2019/02/11
言の葉の旅の始まり。
まずは主題にもある 「 藝術 」 について、
これから旅を共にする読者の方々と共有して
おきたい。
ある概念について理解を深めたい時、
言葉の上では、まずその語源を辿っていく作業は
非常に大切なプロセスだと思っている。
それは、言葉の表面にある辞書的な意味合いの奥底に潜む、
その言葉に込められた想いや感情というような繊細なニュアンスを
想像力を用いて解釈(咀嚼)する為に欠かせない。
何故、どのようにして、言葉が生まれたのか。
決して明確な答えに辿り着けないのだとしても、
幸い持ち合わせたこの想像力によって、無限の可能性に
想いを馳せることが出来る。
不毛に思われるかもしれないが、こうした行為こそが
言葉を愛する僕の、僕なりの言葉への敬意であると感じている。
そこで、主題にもある
この 「 藝術 」 という言葉の奥深くに
潜って行くことを、この旅の第一歩として進めたい。
あくまで、ここでは「 藝術 」の辞書的な定義に依存せず
様々な情報を参考に、各々が既存の解釈を見つめ直したり
必要であれば再構築出来るような柔らかな感性で没入していきたい。
「 藝 」 という文字に焦点を当てていく。
何故、旧字体での表記を選んでいるのかというと
一般的に使われる 「 芸 」 は、日本において 「 藝 」 の
略字であり、こうした略字の背景には中国と日本で差異があって
ここで前者の表記を扱うことは、寧ろ混乱を招くと思われるからである。
加えて、中国と日本それぞれの「 言葉の歴史 」 の中で
両国ともに目的をもって略字等を用いて言葉の形を変化させてきたが
そうした変化は単に言葉の 「 形 」 のみならず、そこに孕む 「 概念 」 や
その 「 扱い 」 も時代を経て、変わってきた側面があるのではないかと
考えている。
特に中国では、その長い歴史の中で
こうして今もなお伝わる漢字を様々に変化させて繋いできた。
その中で結果的に簡略化された 「 芸 」 ではなく、
まずは今此処に在り、なおかつ共有出来る文字として
より古く、そして少しばかり複雑な 「 藝 」 を見つめていこう。
原字は 「 埶 」 である。
さらに細かく分けて見ていくと
「 木 」 + 「 土 」 + 「 丮 」 となり、それらを組み合わせた
会意文字 (二文字以上の形や意味が組み合わさってなる文字)である。
そこに、芽生えたばかりの草の形に象る 「 屮 」 を二つ合わせた
「 艸 」が形を変えて、いわゆる草冠となって先ほどの 「 埶 」 の
上部となり、さらに加えて 「 云 」 が下部に置くと
ついに 「 藝 」 となる。
それぞれの象形のルーツや、込められた意味合いを見ていく。
「 木 」 + 「 土 」 に関しては言うまでもないだろう。
では 「 丮 」 はどうだろうか。
この文字は 物を手に持つ様を表しているようだ。
次に 「 艸 」 は先述したように芽生えたばかりの
草を表しているが、同時に字の左側にある左払いの 「 屮 」 は
「 左 」 の古字でもあり、左手を象った文字でもあるようだ。
最後に 「 云 」
これは 「 雲 」 の原字であり、雲が立ち上る様子の象形や
香りの強い草(薬草や虫除け等に使用されていた)などを指し、
意味合いとしては 「云う(話し伝える)」や「巡る」
「還る」 「還す」などを含む。
ここで厳密にしておきたいのは
「謂う」と「云う」の微妙なニュアンスとして、前者は頭で考えて
述べる場合や、呼び名を口にする場合に用いられ、後者は人から
伝えられた物事や、外から得た事柄について述べる場合に
用いられるらしい。
ちなみに「言う」は上記のそれら全てを包括して使えるようだ。
「 木 」 + 「 土 」 + 「 丮 」 + 「 艸 」 + 「 云 」 = 「 藝 」
こうした様々な要素が組み合わさって、
ようやく 「 藝 」 という文字の成立に辿り着く訳だ。
辞書での定義を参考までに
この 「 藝 」 に含まれる意味合いをまとめると、
「わざ」「才能」 「果て」「限界」
「植える」 「種を蒔く」
「おきて」「法則」 「まと(的)」
などとある。
※ここで解説した漢字の語源については諸説あり。
すこぶる面白い。
言葉というもの(ここでは漢字)は、
とてつもなく緻密で多彩に、良く出来ている。
こうして根を辿ると、その言葉の根底に潜む
込められた想いや感情に、想像を膨らませることが出来る。
果たして、僕と旅を共にしている読書の方々は
どんな想像で 「 藝術 」 について解釈をしているのだろうか。
次章では、実際にこのようなプロセスを通して
考察した 「 藝術 」 について、筆者である僕なりの
解釈を語っていくとしよう。
準備中