2019/09/15
アーティストを支援するサイト「Spinart(スピナート)」が、小説系の文筆を志す方のコンテンツを、トライアル的に展開するのがこの「文芸部」。
まずはこちらで連載開始し、いずれここ...
「そういえばあの写真、お父さんに聞いてみた?」
次の日曜、また薫は母の荷物の片付けに来てくれている。片付けをしながら彼女はふと思い出したように言った。父は仕事に行っている。
「それが…。」
あの日の父の反応を見てしまってから、実はその後まったく聞き出せなくなってしまっている。きっとなにかある。それは間違いがない。でも、きっと父はそれに触れられたくない。それも間違いがないだろうと思えた。あの男の人は、父にとってあまりいい思い出の人ではないのだ。それだけは分かる。
「そうか…。その感じだとちょっと聞けないね…。」
薫も低くつぶやくように言う。
「でも、なにかあるね…。」
きっと頭の中に沸いてしまった疑問を打ち消せなかったのだろう。薫は言葉をつづけた。
「耕平はさ…知りたい?」
いつものいたずら顔ではない。それは意外なほど真剣な表情だった。
僕はすぐに返事を返せなかった。知りたくないと言えばおそらくそれは嘘だ。いや、初めはそれほど知りたかったわけでもなかっただろう。しかし父のあの反応を見てしまった今、逆にそれはもっと強い気持ちになってしまっている。しかしそれを素直に口にするのはちょっと気が咎めた。そんな逡巡の中で少し考え、しかし結局は今の気持ちを正直にそのまま話そうと思った。こんな時、きっと彼女なら分かってくれるだろうと思えるのは本当に助かった。
「うん…気にはなる。でも…これ以上親父に辛い思いをさせるのは…ちょっとかわいそうかな…。」
言いながら視線を薫から外した。そして薫は、この言葉にすぐには応えなかった。黙って荷物を分類している。返答がないので、僕は自分の手を止めてもう一度薫を見た。その気配に気づいたのか薫も手を止めた。そして僕を見る。表情はまだ真剣なままだ。
「じゃあ…、私たちで探してみるか!」
突然彼女は勢いづいた言い方で言う。いや、前半は重く話し始めたものを途中から少し上げて言い切った。こんなところにも彼女の心遣いを感じてうれしい。
「ありがと…でも…どうやって?」
写真だけを手がかりに人を探すなんて正直雲をつかむような話だ。もちろん探偵を雇うようなお金はない。そもそもいくら探偵とはいえ、写真だけで人捜しができるような気もしない。二人とも少し黙りこんでしまった。
「う〜ん…そうねぇ…。」
彼女はちょっと芝居がかった感じでなにもない空間を見ながらつぶやいている。僕はまた例の写真を手に取って眺めてみた。ひょっとしたらなにか手がかりがあるかもしれない。横から彼女がそれを覗き込む。
「これ、きっと春から夏くらいだよね。」
確かに背景に少し写っている葉が青々としている。
「この端に写っている看板って、なんて書いてある?」
確かにわずかに看板らしきものが見える。しかしそこにはピントが合っていない。ピントは手前の人物に合っているのだ。写真を遠ざけたり目を細めたりが、やはり判読できるレベルにはない。
「お手上げってやつだな…。」
つぶやいた僕に彼女はくすりと笑う。
「その言い方、なんかオヤジくさい。…でも、この写真からはこれ以上の手がかりってないよ。」
「オヤジくさい」という言葉にちょっとムッとしつつも、彼女の言っていることはまさしく正しい。また沈黙が流れる。
「そだ。」
急に彼女が大きめの声を上げた。そしてiPhoneを取り出す。その行動の唐突さと違和感にただポカンと見ていると、彼女はいちばん下のホームからSafariを立ち上げた。
「分からないことがあった時は検索だよ。」
言いながら素早くなにか文字を入力する。彼女のフリック操作は速い。
「なんだそれ? 誰だか分からない人がネットで見つかるわけねぇじゃん。」
「違うよ。どうやったら探せるかを探せばいいじゃん。」
なるほど、確かに。
「前に里奈から聞いたんだよ。分からないことがあったらネットで検索だって。」
里奈とは薫の友達。なんでもしょっちゅうパソコンに向かっているらしく、ちょっとしたゲームなら作れるらしい。
「ねぇねぇ!」
薫が素っ頓狂なくらい大きな声を上げながら空いている方の右手で僕を叩く。
「すごいよ! ねぇ! 写真でも検索できるんだって!」
「ちょっと写真貸して!」
興奮している。そして状況の飲み込めない僕から写真を奪い取った。そしてその写真をさらに写真に撮る。iPhoneのカメラ特有のシャッター音が鳴った。
「これを…ここにアップロードすればいいのかな?」
なにやらぶつぶつ言いながら画面操作する薫を横から覗き込むが横からだとあまりよく見えない。
「これで検索…っと。」
どうやら画面にずらっとたくさんの写真が表示された。
「随分出てきたねぇ…ここから探すのかぁ…。」
「どれ…。」
表示された写真の多さにちょっとうんざり感のある声を上げる薫からiPhoneを奪い取る。確かにそこにはたくさんの写真が表示されていた。しかも、どれもあまり関係がなさそうな写真ばかりだ。少しスクロールしてみる。やはり関係のなさそうな写真が続く。そしてスクロールのいちばん下までたどり着くと、また別の写真がロードされた。
「これってずっと続くんじゃない? きっとかなりあると思うよ。」
「それを全部見ていくしかないか…。」
「だね。」
薫は僕の顔に自分の顔をくっつけて横から画面を覗き込んでいる。僕は言いながらも画面をスクロールし続けた。あまりに速くスクロールすると見て取れない。だからその速度はかなり遅い。そしてスクロールがいちばん下までたどり着くたびにまた別の写真がロードされる。関係のありそうな写真はまったく見当たらない。
「う〜ん…やっぱ無理なのかなぁ…。」
何度目かのロードを繰り返している中で彼女がつぶやく。僕はとにかく最後までは見ようという気になっている。だから手を止めない。時々、黒いニット帽を被った男の顔が出てくる。その度に止めて写真と見比べる。しかし、なんとなくだが別人だということだけは分かる。そんなことを繰り返した。
「あ…。」
声を上げたのは二人ほぼ同時だっただろう。
「この写真のこの人、似てない?」
そこには黒いニット帽を被ったメガネの男が写っている。しかもギターを持って歌っている。その写真をタップする。すると写真が大きくなる。
「似てるよね。同じ人じゃない?」
彼女の声が高まる。
拡大された画面の中にある、その写真が掲載されているページを開くためのリンクをタップする。画面が切り替わり、そのウェブページが開かれた。
「沢井…賢司? 知ってる?」
僕は顔を横に振った。
「なんだかミュージシャンみたいだねぇ…。ね、ここタップしてみて。」
彼女がそのページに配置されたボタンの一つを指した。「プロフィール」と書いてある。開いたページにはこの人の経歴が掲載されていた。どうやら有名なミュージシャンということではないらしい。しかし何枚かのアルバムが出ているようだ。そのページに飛ぶリンクをタップした。何枚かのアルバムのジャケット画像と思われる画像が表示される。iTunesやGoogle Playでも売っていると書いてある。
「ん?」
僕はその中の一枚に目を止めた。
「どした?」
彼女の声には反応せず、持っていたiPhoneをその場に置き、母の荷物が積んである最上階のロフトに向かう。その中の、母が聞いていたと思われるCDを入れた箱を見つけ出し、その中を探した。彼女は少し遅れて階段を上り、今、ロフトに登る梯子の途中で顔だけをロフトの床面に乗せてこちらを見ている。
「これだ…。」
一枚のCDを取り出して彼女に見せた。深い青色のジャケット。中央にはちょっと読めない漢字熟語が書いてある。きっとこのアルバムのタイトルだろう。彼女は持ってきたiPhoneに表示されているさっきのページと見比べる。
「ホントだ…。これ、この人のCDだ…。」
「ちょっと待って。」
僕は記憶の片隅になにかを思い出した気がして今度は別の箱を探す。母の小物をまとめた箱。そこから母のiPhoneを取り出し電源を入れる。しかし電池はもう切れている。同じ箱から電源ケーブルを探し出し接続する。少し待つと立ち上がった。しかし今度はパスコードがゲートになる。母のつけそうなパスコードを試す。
「どうしたの?」
僕のその一連のあまりに速い動作を眺めていた彼女が思わず声をかけた。僕はそれに応えない。頭の中は母が好きだった数字の組み合わせを思い出すことでいっぱいだ。何度目かの入力で、幸運にもそのパスコードは解除された。iPhoneのホーム画面が表示される。
「ねぇねぇ、どうしたのって!」
応えない僕にやや焦れたように彼女はさらに言う。でもまだ僕は応えない。意外にも多くのアイコンが並ぶホーム画面から目的のアイコンを見つけ出すのにやや手こずりながらもそのアイコンをタップした。
「やっぱり…。」
「なにが?」
彼女が2段ほど梯子を昇り身を乗り出して僕の手のiPhoneを覗き込む。同時に僕はその画面を彼女の方に向けた。
「ほらこれ…、お袋はこの人の別のアルバムも持ってたよ。」
「あ…。」
彼女は咄嗟に自分のiPhoneの画面と見比べる。確かにそこには表示されているそれと同じアルバムジャケット画像があった。
僕はすぐさまそのアイコンをタップした。少しの間をおいて曲が再生される。いきなりかなり激しい。これはひょっとしてヘヴィメタルとかいうジャンルになるんじゃないだろうかと思った。
「お母さん、こんなの聞くんだね…。」
意外そうに彼女が言う。無理もない。僕が知っている母もこんなジャンルの音楽を聞いていた印象がない。意外とベタな巷のヒットソングを聞いているイメージだ。だいたいそもそもそれほど音楽が好きだったという印象もない。
「この人のファンだったのかなぁ…。」
彼女の言葉に僕も同じことを考えていた。しかし、それほど音楽が好きだったわけでもない母が、わざわざこんな特に有名でもない人の音楽を聞いたりするんだろうか。どうしてもしっくりこない。それを彼女に言うと、彼女は少し考えてからこう言った。
「若い頃はいろいろな音楽を聞いたのかもよ。で、この人のファンだったとかじゃないかなぁ…。」
しかしその言葉に説得力がないのは言葉を発した彼女がいちばん認識している。だから彼女の語尾は小さく尻つぼみになった。僕もその言葉にまったく説得力を感じないまま、そのサイトの別のページを開く。今度はどうやら写真類がまとめられているページだ。ページが変わったことに気づき、彼女がまた覗き込む。
「ねぇ…この人…けっこう近所に住んでるんじゃない?」
表示された写真の中の数枚が、明らかにこの近所の大きな公園で歌っている写真であることに気づく。この橋のかたち。そこから連なる柵のかたち。そのカーブ。奥にぼやけて写っている建物。間違いがない。その公園はこの地域ではもっとも大きな公園で、休みの日ともなればあちこちからミュージシャンや大道芸人、絵描き、物売りをする人などが集まっていた。だからこの人が、その公園で歌っていたことがあるとしてもあまり不思議ではない。
「あ、この人Facebookもやってるよ。」
彼女が言いながら横から指を伸ばしてそのアイコンをタップした。画面が切り替わる。フェイスブックのアプリが立ち上がった。表示されたその人の画面。タイムラインには、最近もその公園で歌っていたことが書かれている。日付は約一ヶ月前。やはりこの近所に住んでるのかもしれない。
「あれ?」
彼女がなにかを見つけた。なに?…という意味で僕は彼女を見る。それをきっかけにしたように彼女が言葉を続ける。
「この人、お母さんと友達になってるよ?」
つながった…母とこの人は確実につながっていた。僕は少しだけ、頭の中になにか焦げ臭いような臭いがしたのを感じた。
連載小説「空虚な石(仮)」をまとめて読む
1. 母(1)
1. 母(2)
1. 母(3)
1. 母(4)
1. 母(5)
2. 黒い人
3. 叔母
4. 父
5. 薫
6. 里奈
アーティストを支援するサイト「Spinart(スピナート)」が、小説系の文筆を志す方のコンテンツを、トライアル的に展開するのがこの「文芸部」。
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