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Logo Mark連載小説・空虚な石(仮)3. 叔母(3)

スピナート文芸部

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 叔母は、困ったような、迷ったような、そして時に考え込み、言葉を選びながら、そして「仕方ないわね」を連発しながら、話してくれた。
 母はこの沢井賢司とつきあっていた。それも父と結婚した後。そして僕が生まれる少し前。これは間違いなく不倫ということになる。
 ショックというものは感じなかった。僕が知っている両親の姿はとても仲がよく、母も、父に対してなにか不満があるようなそぶりを見せたことはないから、母がそんなことをしていたということ自体、僕が知っている母と直接結びつかなかったということだろう。
 それよりも、母がかなりその人を好きだったらしいという叔母の言葉の方にショックを受けた。その頃の母は口を開けばこの話をしていたらしく、その様子はかなり夢中になっていると感じたと言う。叔母としては、ことが不倫だけに気が気ではなかったらしい。
 母が、父ではない人に夢中だった…。その頃の父と母はどんな感じだったのだろう。そしてなぜ二人は離婚することもなく、そしてその後僕が生まれたのはなぜだろう。頭の中をいろいろな思いがグルグルと回る。
 母は、あろうことか、叔母との飲みの席に沢井賢司を呼んだこともあるらしい。仲のいい姉妹だったから二人はよく連れ立って飲みに出ていたのは知っている。それは僕が物心ついてからもそうだった。そしてそれが母にとって、とても楽しい貴重な時間だったことも分かっている。そしてそれはその時期、叔母に不倫相手を直接紹介するほどの関係だったということなのだ。
 とても優しそうだったと叔母は言った。正直、顔の造りは僕の父の方が上と思ったが、優しそうでとにかく話が面白かったという。いろいろな知識を持っていて、この人頭がいいなぁという印象だったと、叔母は言った。ただそれは、母がそれまで好きになった人とはあまりにタイプが異なり、そこに、そこはかとない不安定さと、きっとこれは長続きしないから大丈夫だというようなおかしな安心感も感じたという。
「あの…、母とその人はいつ頃までつきあってたんですか?」
 これにはかなり明確な答が返ってきた。
「あなたが生まれる前の年くらいまでよ。」
 叔母は、母がなぜ沢井賢司とつきあうことになったのか、そしてなぜ別れたのかは知らないと言った。ただある時から、その話をまったくしなくなり、一時期とても暗く沈んでいたと言う。そして時に少しだけ泣いていたこともあったそうだ。叔母の推測では、相手はミュージシャンだしきっと母は捨てられたのだろうということだった。しかしそれは結果としてよかったのだと叔母は結んだ。
 父ではない男の人に夢中になっていた母。その人と別れて泣いていた母。まったくもって自分の知っている母と結びつかない。それが事実であろうことは間違いがないとしても、とてもよく知っているはずの、とても身近だった母の存在が、いきなりぼんやりとしたとても遠いものに思えてくる。母はいったいどんな気持ちでこの人と居たのだろう。そして父との関係はどうだったのだろう。なによりも、そんな母を沢井賢司がなぜ捨てたのか…これは疑問というよりも小さな苛立ちのような、そんなくすぶったものを腹の奥底に感じていた。
「ごめんね。」
「大丈夫?」
「ショックじゃない?」
「耕作さんには絶対言っちゃダメだよ。」
「耕ちゃんにもきっと、もう少しするともっと分かるようになると思うから…。」
「お母さんのこと、悪く思わないでね。」
 叔母は最後まで、いろいろな言葉で気遣ってくれた。幸い僕は、それほど感傷的にはなっていなかった。


連載小説「空虚な石(仮)」をまとめて読む
1. 母
2. 黒い人
3. 叔母(1)
3. 叔母(2)
3. 叔母(3)
4. 父
5. 薫
6. 里奈


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