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Logo Mark連載小説・空虚な石(仮)4. 父(2)

スピナート文芸部

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「おまえ…美里ちゃんになに言ったんだ。」
 幾日かたった日の晩、父が突然そう切り出した。父は叔母のことをそう呼ぶ。しかし父の言葉はいつになくはっきりしていた。いつものどこか上の空な父ではない。目は若干そらし気味ながらも身体がしっかりとこちらを向いている。ひょっとしたら少し怒っているのかもしれない。もちろん僕は即答できない。あの日叔母から聞いたことはどう考えても父にとっていい話ではない。恐らく母も、父にだけは生涯言わなかったことだろう。それを僕の口から言ってしまっていいはずはないと思えた。
「なんで?」
 困った結果ついついやってしまう僕の癖。質問に質問で返してしまう。しかしそれは実のところ、相手にもっと切り込んで来る隙を与えているのだということは最近になってちょっと分かるようになってきた。
「美里ちゃんから連絡があって…。」
 叔母は全部しゃべったのか?…父の話している間にも頭の中をいろいろなシミュレーションが走る。
「なんだか意味の分からないことを言ってたからさ。」
 どうやらすべてを話したということではないらしい。
「どんな?」
 また聞き返してしまう。やめておけばいいのに、と、自分もでも思いながら。
「おまえのことをちゃんと見ておいてあげた方がいいとか、場合によっては少しの間美里ちゃんとこで預かってもいいとか、おまえの気分を変えてあげるのもいいかもとか…言ってることの意味が分からん。それで、なんでそんなことを思ったのかを聞くと、それは全然ちゃんと説明してくれない。」
 あまり早口でもなくそれほど強く語調でもない。しかし恐らく父は怒っているし、それはこの父が、これだけのことを続けて話しているということからもうかがえる。ただ、僕が家を傷つけてしまった時のように強く怒らないのは、父としてもなにか引っかかる気持ちがあるからに違いない。
「おまえ…美里ちゃんになに言ったんだ。」
 一通り言った父は、また最初の質問に戻った。僕にはもうさらに質問を返すという手がない。しかしついまた聞いてしまう。
「なんで?」
 父は一瞬、かなり怖い目をこちらに向けた。しかしその後も、その感情を押し殺したように話す。
「なんでじゃない。美里ちゃんがなんにもないのにそんなことを言うわけがない。とすればおまえがなにか言った以外はないだろ。」
 恐らく普段の僕なら、そんな風に決めつけるのはよくないというようなことを言ったかもしれない。もし母がいたら、きっと母が笑ってごまかしてもくれただろう。しかし今は少なくともそんな雰囲気ではない。僕は、それきり黙ってただこちらを見ている父の視線に耐えきれなくなっていた。
「あの男のことだろう。」
 突然の、父らしくもないきっぱりとした口調に思わずハッとする。その言葉に対する僕の反応に、父はきっと図星だと思ったに違いない。僕はついそのくらいはっきりとした反応をしてしまっていた。父はそのまま僕から視線を外す。そしてゆっくりとソファに腰掛けた。いつものテレビに向かう席ではない。僕に正対する位置だ。そして前屈みになって両肘をつき、両方の手を自分の顎の前で組んだ。
「気になるか。」
 言いながら目だけをこちらに向ける。僕は迷いながらも小さく頷く。
「そうか…。」
 僕の反応を見てそう一言だけつぶやいた父は、また目線を下に落とした。そしてまた黙っている。僕はもう自分の心臓の音がどんどん大きくなるのに耐えられない。なんて言っていいかなど考えられないし、父が次になんて言うのかも想像がつかない。早くこの場を終わりにしたいという気持ちだけが強くなるが、終われるはずがないことも分かっているし、どうしたら終われるのかも見当がつかなかった。
 父はゆっくりと立ち上がるとキッチンに向かい、グラスに氷を入れ、いつものボトルから焼酎を注いだ。僕はその動作をずっと目で追っている。
「おまえもなにか飲むか?」
 意外にも優しい、そしていつもなら絶対にかけないその言葉に驚き思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「あ…、ああ、じゃ、アイスコーヒー。」
 父はそれに応えず、黙ったまま洗い物置き場からコップを手に取ると、冷蔵庫からアイスコーヒーの紙パックを取り出し、そのコップに注いだ。
 両手にグラスとコップを持った父は、ゆっくりともどってきてテーブルにそれを置く。そしてまた同じところに腰掛け、同じ姿勢にもどった。そして少しだけ小さく、父の喉が鳴った。
「美里ちゃんからあらかたは聞いたんだろうけど…美里ちゃんが言ったことは、事実だ。」
 その言葉を言う父は、意外なほど淡々としていた。なにかを諦めているようにも見える。
「親父は…知ってたの?」
 咄嗟に僕の頭によぎった問いを投げる。僕はその問いの残酷さをきっと認識できていなかった。父は黙って小さく頷いた。
「それならなんで…?」
 「怒らなかったの?」とか「別れなかったの?」と言いそうになり言葉を途中で切った。それ以上言葉を続けることはできなかった。言いにくかった。できればここまでの言葉で察してくれたらと思った。
 父は少しこちらを見てすぐに目線をグラスに落とし、焼酎を一口、飲んだ。そして小さくため息をつく。グラスは両手で持ったままだ。
「そりゃあ…俺は母さんのことが大好きだったからな…。」
 言うなりすぐに顎を引き下を向く。父の爪が少し白くなって、グラスを持っている手に力が入ったのが分かる。眉間に入った皺。少しだけ小刻みに動いたこめかみ。恐らく奥歯を噛みしめている。そしてそのまま黙り込んだ。僕はそれ以上なにも言うことができず、ただその様子を見ている他にはなにもできない。
「でも母さんは…!」
 沈黙の後に押し殺すように吐き出された言葉は、口を開くことで堰が切れたように嗚咽が混じった。
「母さんが本当に愛したのは…!」
 反射的に父に近づきその肩に手を触れた。小さく震えている。息が荒くなっているのも感じる。顔の上半分は赤くなり、目を閉じている。もういい。もうなにも話さなくていい。そして申し訳ないとも思いながら、その手を小さく何度か動かした。父の呼吸が大きくなる。呼吸を整えようとしているのが分かる。父は手に持ったままだったグラスをもう一度口に運ぶ。そしてもう一度やや深く息を吸って、そして吐いた。
 父の目が僕に向けられる。その目は赤く潤んでいたが、しかし意外なほど強さを持っていた。
「大丈夫だ。安心しろ。」
 唐突に出てきた父の言葉の意味を僕は理解できない。しかし僕は父の言葉にいちいち頷きながらただ黙って聞いているしかない。
「事実はどうあれおまえは俺の息子だ。」
 それまで一定の速度で父の肩をさすっていた手を止める。
「どういう意味?」
 聞きたいが言葉が出ない。そのまま黙って父を見つめる。父は少し微笑んで、今度は逆に僕に手をさしのべた。僕の頭の左側に触れ軽くなでる。そしてその間にもブツブツと言葉を繰り返した。
「大丈夫だ。安心しろ。」
 それはまるで、自分に言い聞かせているかのようでもあった。


連載小説「空虚な石(仮)」をまとめて読む
1. 母
2. 黒い人
3. 叔母
4. 父(1)
4. 父(2)
4. 父(3)
5. 薫

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