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Logo Mark連載小説・空虚な石(仮)5. 薫(2)

スピナート文芸部

アーティストを支援するサイト「Spinart(スピナート)」が、小説系の文筆を志す方のコンテンツを、トライアル的に展開するのがこの「文芸部」。
まずはこちらで連載開始し、いずれここ...

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 その番組はすぐに見つけることができた。ラジオ局のホームページ。その番組表によれば、2週間に一度30分の番組をやっているらしい。この放送局では過去の番組をネット配信で聞くことができると書いてあった。
「聞いてみようよ。」
 薫が言う。僕はそのためのボタンをタップし、ずらりと並んだ過去放送のリストの中から直近のものを選んだ。音が再生される。iPhoneのボリュームを上げ、2人の耳の高さに持ち上げる。それに2人で耳を近づけた。
 番組の内容はそれほど珍しいものではなかった。ミュージシャンのゲストが登場してしばらく話していたかと思えばそのミュージシャンの曲を紹介し、さらにその後また別の曲を紹介して終わり。そのミュージシャンも全然知らない人だったし、特に興味が持てるような内容でもない。
「なんか…普通だね。」
「うん…。」
 聞き終わって、2人ともその番組をどう解釈していいのかつかみ所がないまま、だからつい言葉少なになった。
「声も普通だね。」
「うん…。」
 歌っている声とは明らかに違う。どちらかというと普通の大人のサラリーマンのような話し方だ。僕の中で勝手に思っていた人物像が壊れた。
「でもさ。」
「うん?」
 停滞した雰囲気にそぐわない声で薫が言う。それに思わずピクリと反応する。そういう声を出すときの彼女はなにかを思いついたということだ。
「この番組に出てるってことは、この放送の時に行ったらいるってことじゃない?」
 こういう時の彼女の声は明るくて強い。次にはいつ行こうという話になるだろう。しかし僕は今一つそのアイディアに乗れなかった。気になったままの父の言葉。それに逢ったからといってなにを話せばいいのか。分からない。僕にはまったく分からない。当然、僕の反応に彼女も気づく。同時に彼女も、その明るい表情を曇らせていった。
「ねぇ…耕平…。」
 彼女が少し遠くを見ながら言う。
「この人探すの…もう、やめにしない?」
 意外なその一言に彼女を見る。彼女は変わらず少し遠くを見たままでいる。
「なんとなくなんだけど…探して逢ったところできっと…いいことないと思うんだよね…。」
 見事なほど自分の中の思いの一つを言い当てられた僕は、その言葉にも答えを返せないまま、ただ彼女を見ていた。
「だってさ…耕平のお母さん、ものすごくいいお母さんだったと思うんだよ。」
 彼女はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、そのまま言葉を続けている。
「お父さんだってとってもいいお父さんじゃん…耕平だってそう思うでしょ?」
 そう言って今度は彼女がこっちを向く。僕はそれに反応してやや慌てて視線を外した。そして頷く。
「3人とも、お母さんが居た時の、とってもいい思い出があるのに、この人のことがあってからずっとギクシャクしてる。最初は私も、本当のことを知ることって大切なんじゃないかと思ってたけど…なんか、それのために残った2人が悲しい思いするのって、なにかおかしいと思い始めて…。」
 彼女も考えながら話しているのだろう。言葉は時々途切れ途切れになった。しかしそれでも、きちんと伝えようとしてくれているのがよく分かる。そして僕も、彼女の話を聞きながら、自分は、本当のところどうしたいんだろうと自問自答している。彼女の言っていることはある意味正しいし、僕の中にある一つの考えを見事に代弁してくれていると思う。しかしそれだけではどうしても判然としない自分も確実に居る。そしてそれを考えた時、ふと、この沢井賢司と母を責めてしまいたくなる気持ちもわき上がってくる。こんな男が居なければ。母がこんな男とつきあっていなければ。こんな男の写真を後生大事にとっておかなければ。きっと今、父と僕が持っている感情は大きく違うものになっただろう。しかも父が言ったあの言葉。沢井賢司と母は、父と僕に、今僕が思っているよりさらに大きな傷跡を残している可能性があると思えた。さらには母を泣かせたという叔母の話。そう考えると、この沢井賢司が、とんでもなく憎い敵のようにも思えてくる。僕の中に沸々と、そんな感情が沸いてくることに、僕はさらに大きな苛立ちを感じていた。
「耕平?」
 彼女の声が突然近く聞こえた。彼女を見ると彼女がこちらを凝視している。僕は、彼女の話の途中からちゃんと聞いていなかったらしい。それに気づき、その気まずい気持ちを隠そうと、ついちょっと大きめの声で返した。
「な…なに?」
「大丈夫?」
 いつもの彼女なら、話を聞いていないと怒る場面だろうが今日は違う。本当に心配してくれているようだった。
「大丈夫、大丈夫…ありがとな、いろいろ考えてくれて。」
 僕の返答の仕方がおかしかったのか、彼女の眉間が少し寄った。それにさらに慌てて返答する。
「いや…薫が言ってくれたことは本当にその通りだと思うよ。でも、言われながらいろいろ考えたんだけど、俺、きっと沢井賢司をボコりたいのかもしれない。」
 彼女の眉間がさらに寄って皺が入る。
「ボコりたい?」
 返してきた言葉にも完全に彼女の不信というか怒りというか苛立ちのような感情が乗っている。
「だ…だからね、親父や俺、それに薫までさ、こいつがいるからこういう感じになっちゃってるわけじゃん。その上、叔母さんの話ではお袋も泣かしたってんだろ? つまりさ…こいつはうちの家族全員の敵ってことになるかなって。」
「そうか…耕平はそう思うんだ。」
 納得できないという態度を前面に押し立てながら彼女は言う。
「だったら耕平は、この人見つけてボコボコにしたいの?」
 口調は既にかなり強い。それに気圧されて僕は怯む。
「い…いや…そこまでは考えてなかったけど…。」
「でも敵なんでしょ? 耕平の家族にとって敵なんでしょ?」
 彼女はしっかりとこちらを凝視している。僕はもうその視線に耐えられない。
「お母さんがどんな気持ちだったのかとか、そしてどうしてお父さんを選んで耕平が生まれたのかとか、全然ちゃんと知ろうともしないで、とにかく敵だって思ってるってことでしょ?」
「だって!…お袋も泣かしたって…叔母さん言ってたから。」
 強く反論しようとして結局尻すぼみになる。
「それだってまだ本当に理由は分からないじゃない。この人が本当にお母さんになにか酷いことをしたのか、それともなにか別の理由があるのか、叔母さんの話は想像でしょ? それなのに敵だって決めつけて、ボコボコにするなんておかしい。そんなの、きっとお母さんだって喜ばないよ。」
 彼女の言葉には断固たる意志がある。しかしそこで僕は、父の話をまだ彼女に伝えていないことを思い出した。それを彼女に伝えようとする。
「薫にはまだ言ってなかったことがあるからな。だから薫には分からないよ。」
 しかしこの言葉に彼女の目は突然みるみる涙で覆われていった。そしてさらに強く、それはもう叫んでいるようになった。
「だから全部話してって言ったのに! 話してくれなきゃ分からないよ! そうやって自分だけ辛い思いしてると思ってればいいよ。辛い思いしてるのは耕平だけじゃないのに!」
 言うと下を向いて涙を拭った。そして、
「もういい。もうやめよ。じゃあね。」
 ポツリと言うとくるりと向きを変え歩き始めた。
「薫! 待てよ!」
「もういい!」
 間髪を入れない彼女の強い言葉に、なにかがバッサリと切られたような気がした。それまで彼女との間にあったなにか。いや、なにかがあるなんて感じなかったほど自然だった彼女との間に、なにかがいきなりあることを感じたという方が近い。そしてそのなにかのために僕は、それ以上声をかけることも、自分から遠ざかっていく彼女を追いかけることもできなかった。


連載小説「空虚な石(仮)」をまとめて読む
1. 母
2. 黒い人
3. 叔母
4. 父
5. 薫(1)
5. 薫(2)
5. 薫(3)
5. 薫(4)
5. 薫(5)
6. 里奈

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