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Logo Mark 鷲谷 城州(Joshu Washiya)

14歳頃から作曲を続ける、ギタリスト/シンガー/ソングライター。

THE BEATLES、LED ZEPPELINをはじめとするブリティッシュ・ロックを大きなルーツとしながら、ハードロック、ブルース、フォーク、ポップス、エレクトロニック・ミュージックなど、ジャンルや年代を問わずさまざまな音楽から影響を受け、独自の楽曲制作を続けている。
その音楽の特徴は、特定のジャンルの枠に収まらない自由な発想。

THE BEATLESに代表される親しみやすく印象的なメロディ、LED ZEPPELINに象徴されるハードロックやブルース、フォークなどを横断する音楽的な多様性をひとつの原点としながら、そこへさまざまな時代・ジャンルのエッセンスを取り込み、「どこか馴染みがあるのに、今までありそうでなかった音楽」を目指している。

これまでCOMA、SLEEPY HOLLOW、Clock End、CANDY MONDAY、Stoning Crowsなど、自ら主宰するバンドで活動。現在はJoshu Washiya名義を中心に、過去に制作した作品の再構築(Reboot)と新たな楽曲制作を行っている。

ドラムなど一部を除き、自ら楽器を演奏して作品を制作することも多く、ギターを中心とした人間的な演奏感と、DTMによる現代的な制作手法を組み合わせているのも特徴のひとつ。

ロック、ポップス、ブルース、フォーク、エレクトロニック――。
それぞれを別々のジャンルとして捉えるのではなく、自身が面白いと感じた音楽を自由に組み合わせ、新しい楽曲へと変えていく。
「聴いたことがあるようで、聴いたことがない。」
そんな不思議な親しみやすさと意外性を併せ持った音楽を届けることが、鷲谷城州の目指す表現である。


YouTube X(旧Twitter)

シングル「Seven Years」

「7年後の自分は、今の自分をどう振り返るのだろう。」
高校1年生の少年が思い描いた未来を、28年後の自分が歌にする。

1998年、高校1年生の頃に作った「スナップ写真」という楽曲から生まれた。

当時のコンセプトは、「7年後に、高校生だった自分を振り返る」というもの。

アコースティックギターと歌を中心に作られた、日本語詞のフォークソングだった。
しかし、それから約28年。
かつて想像していた「7年後」を遥かに通り過ぎた現在の鷲谷城州が、その曲をもう一度手に取った。

日本語だった歌詞は、当時のフレーズや発想を生かしながら新たな英詞へ。フォークソングだったアレンジも、ソフトロックやパワーポップを思わせるサウンドへと生まれ変わった。

けれど、すべてを現代風に作り直したわけではない。
基本となるコード進行など、16歳の自分が考えたアイデアはできる限り残す。
一方で、6分を超えていた曲構成は大胆に整理し、現在の耳でどうしても不自然に感じる部分には手を加える。

そこにあるのは、昔の作品を単純に「完成度の高い曲」に作り替える作業ではない。
16歳の自分が作った曲を、現在の自分が受け取る。
そんな、時間を隔てた二人の鷲谷城州による共同作業のようにも感じられる。

そして、この曲では歌詞そのものにも時間が流れている。
かつて「7年後の自分」を想像して書いた歌を、本当の未来にいる自分が、高校時代を振り返る歌として書き直す。 本来なら「Seven Years」ではなく「28 Years」。
本人がそんな冗談を交えて語るほど長い年月を経たからこそ、タイトルの「Seven Years」には、単なる年数以上の意味が宿っている。

さらに、この曲には鷲谷城州の音楽的ルーツも垣間見える。
THE BEATLESやLED ZEPPELINなどのブリティッシュ・ロックだけではなく、家庭環境を通じてフォークソングからも影響を受けてきたというJoshu Washiya。「Seven Years」は、そんなフォークの原型を持つ曲を、現在の音楽的感覚によってソフトロック/パワーポップへ変換した作品でもある。

昔の自分を否定するのでも、美化するのでもない。
あの頃にしか作れなかったものを残しながら、今だからできる音楽へ。
28年前の少年が未来へ投げた一曲を、現在の自分が受け取り、もう一度未来へ送り出す。
「Seven Years」は、そんな長い時間そのものを音楽に閉じ込めた一曲である。

1st. アルバム「False Funeral」

YouTubeで全曲お聞きいただけます。
YouTube

まだ何者でもなかった10代の少年は、頭の中だけなら何でもできた。

鷲谷城州の原点ともいえる1st. アルバム。
そこにあるのは、完成されたスタイルを持つミュージシャンの音楽ではない。
THE BEATLESやLED ZEPPELINをはじめ、さまざまな音楽を吸収しながら、「こんなことをやったら面白いのではないか」と試行錯誤していた10代の作曲家の記録である。

オルガンを大胆に前面へ出した「白昼夢」。
ギターとベースで異なる旋律を走らせ、さらに2本のベースやブラスまで組み込んだ「Guideline To Bluff」。
そして作曲活動を始めたばかりの時期まで遡る「I Won't Fail This Time」――。

そこには、ロックだからギターが主役でなければならない、ベースだから伴奏に徹しなければならない、といった発想に縛られない自由さがある。
もちろん、それは計算され尽くした実験音楽とは違う。

当時はギターやベース、ドラムの演奏法さえ十分に理解しておらず、頭の中で考えたフレーズが実際にはとんでもなく弾きにくかったり、後の録音でアレンジを修正したりすることもあった。
しかし、その「知らなかったからこそ作れた音」こそ、「False Funeral」のおもしろさなのかもしれない。

THE BEATLESのポップセンス、LED ZEPPELINに代表されるロックの自由さ。
その向こう側へ手を伸ばしながら、ジャンルも楽器の役割も飛び越えて、自分なりの音楽を作ろうとしていた少年時代。
その楽曲を後年の録音、そして現在のRebootという時間を越えて聴き直すことで、「False Funeral」は単なる初期作品集ではなくなる。

未完成だからこそ予測できない。
未熟だからこそ、常識に縛られていない。

現在の鷲谷城州につながる「ありそうでなかった音楽」の萌芽を、もっとも生々しい形で聞くことのできる作品。
それが「False Funeral」である。

シングル「Lovely Laura」

どこか懐かしく、それでいて、どこにもそのままでは存在しない。
「Lovely Laura」は、Joshu Washiyaの持つ独特のポップセンスが凝縮された一曲である。

THE BEATLES、LED ZEPPELINをはじめとするブリティッシュ・ロックから大きな影響を受けながら、さまざまなジャンルの要素を自由に取り込み、「ありそうでなかった音楽」を追求する鷲谷城州。
英詞で歌われる「Lovely Laura」は、そんな音楽性を象徴する作品のひとつである。

耳に残るメロディには、ブリティッシュ・ロックやポップスを愛してきたソングライターらしい親しみやすさがある。
しかし、その曲を注意深く追いかけていくと、単純なロックやポップスという言葉だけでは括れない、鷲谷城州ならではの感覚が姿を現す。

懐かしいのに、新しい。
親しみやすいのに、少し不思議。

過去の音楽への敬意をそのまま再現するのではなく、自分の中に蓄積されたさまざまな音楽を組み替え、自分自身の曲として提示する。
その姿勢が「Lovely Laura」の大きな魅力となっている。

そして、この曲にはもうひとつの楽しみ方がある。
「Lovely Laura」のMVに描かれる人物と世界は、この作品だけに閉じたものではない。
先に公開された「懐かしい静寂の中で」とのつながりを感じさせ、さらに「Seven Years」、2027年1月公開予定の「マドロミ」へと、その世界は静かに広がっていく。
「Seven Years」「マドロミ」の登場人物は、裏設定上「Lovely Laura」に登場する人物と同一人物。
だからこそ、まず一曲の音楽として「Lovely Laura」を楽しみ、その後に「懐かしい静寂の中で」を振り返ることで、楽曲とは別の物語が浮かび上がってくる。

そして「マドロミ」が公開されたとき、それまで断片的だった風景に、新たな意味が加わるかもしれない。
音楽だけでも成立しながら、映像を追えばその向こうにもう一つの世界が見えてくる。

「聴いたことがあるようで、聴いたことがない」。

鷲谷城州が目指すそんな音楽の魅力と、作品を越えてつながっていく物語。その両方への入口となる一曲が「Lovely Laura」である。

シングル「懐かしい静寂の中で」

懐かしいはずなのに、どこにも帰れない。
静かな風景の中に、記憶だけが残されている。

鷲谷城州が描く「懐かしい静寂の中で」は、そのタイトルが示すように、過ぎ去った時間をそっと振り返るような空気をまとった一曲。

THE BEATLES、LED ZEPPELINをはじめとするブリティッシュ・ロックをルーツとしながら、ロック、ポップス、フォーク、エレクトロニック・ミュージックなど、さまざまな音楽を自由に吸収してきた鷲谷城州。
その音楽の魅力は、特定のジャンルを再現することではなく、それらを自身の感覚の中で組み替えることにある。
「懐かしい静寂の中で」でも、強烈なインパクトだけで聴き手を引っ張るのではなく、メロディと音の重なりによって、少しずつ独自の風景を作り上げていく。
そこにあるのは単純な「懐かしさ」だけではない。
昔を思い出したときの温かさ。
その時間にはもう戻れないという寂しさ。
そして、記憶の中だからこそ美しく見える風景。
懐かしさと喪失感が、静かに同居している。
そんな感覚こそ、この曲の大きな魅力だ。

そして「懐かしい静寂の中で」は、音楽だけでなく映像とあわせて触れることで、もうひとつの表情を見せる。
その世界は後に公開された「Lovely Laura」へと緩やかにつながり、「Seven Years」、さらに2027年1月公開予定の「マドロミ」へと広がっていく。
同じ人物を思わせる存在が異なる作品の中に現れることで、それぞれ独立していたはずの楽曲の風景が、少しずつひとつの記憶のようにつながっていく。
ただし、物語のすべてが説明されるわけではない。
これは誰の記憶なのか。
なぜ、この風景が懐かしいのか。
答えを決めるのは、曲を聴いた人自身だ。
音楽を聴き終えたあとにも、風景だけが心の中に残っている。
「懐かしい静寂の中で」は、そんな余韻まで含めて味わいたい鷲谷城州の一曲である。

シングル「Nothing Can Be Such Great Pleasure」

これほど大きな喜びなんて、ほかにあるだろうか。

少し大げさにも、意味深にも聞こえる「Nothing Can Be Such Great Pleasure」というタイトル。
鷲谷城州が作り出す音楽の魅力のひとつは、THE BEATLESやLED ZEPPELINをはじめとするブリティッシュ・ロックを原点に持ちながら、そこで完成されたスタイルをそのまま再現しようとはしないことにある。
さまざまな時代、さまざまなジャンルから吸収したものを自分なりに組み替え、ポップな親しみやすさと、一筋縄ではいかないアイデアをひとつの曲の中に共存させる。
「Nothing Can Be Such Great Pleasure」も、そんなJoshu Washiyaの音楽に触れる一曲として聴いてほしい。

タイトルに掲げられたのは、単なる“Pleasure”ではなく、“Such Great Pleasure”――「これほど大きな喜び」。
では、その喜びとは何なのか。
タイトルだけを見れば、とても幸福な歌にも思える。
しかし「Nothing Can Be Such Great Pleasure」という少し独特な言い回しには、単純な幸福感だけでは片づけられない、不思議な余韻も漂っている。

だからこそ、タイトルから意味を決めつけるのではなく、まず音に身を任せてみたい。
メロディを追い、アレンジを聴き、言葉に耳を傾けたとき、最初にタイトルから想像していた“Pleasure”とは違う景色が見えてくるかもしれない。
親しみやすさの中に、ちょっとした違和感を。
ロックの中に、予想していなかったアイデアを。
既存のジャンルをなぞるのではなく、好きな音楽から受け取ったものを自由に組み合わせ、「ありそうでなかった音楽」へ変えていく。
「Nothing Can Be Such Great Pleasure」は、そのタイトルが意味するものを想像しながら、鷲谷城州ならではの音楽世界を楽しんでほしい一曲である。

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