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Logo Markゆり呼(渡邉裕美)

自分を救う為描いた絵や詩が優しい、癒されると言われるように。
詩と薔薇と水彩画を愛する画家。
東京都出身、奈良県在住。関西学院大学文学部卒業。

ヒロヤマガタプロセス第6回スター誕生グランプリ受賞。
海外4か国展示他グループ展多数。
神戸元町大丸百貨店での初個展ほか、東京、大阪、京都などでの個展は14回開催。
表紙絵などを提供したり、参加した画集などの、関連商業出版本9冊。
著書である詩画集【片想いのバイブル】「あの人への想いに綴るうた」発売中。
2019年~、唐招提寺うちわ絵奉献。寺宝となる「絵うちわ百双屏風」の候補に選ばれ、境内に展示された。
2021年CFABrooklynコンテスト・ニューヨークアートフェアへの出品資格のあるファイナリストに選ばれる。
2022年には、海外向けアンソロジー画集とオーストラリアでの展示の企画「BOOM2022」に参加予定。


公募初入選から数えて2021年で画業24周年となります。
さまざまな人びとにいただいた優しさから心を開くようになり、自分の作品が人の癒しになるということに喜びを見いだすようになりました。

*初個展までの道のり

それまでは、学生時代の人間関係のもつれからくる心の闇や、重症筋無力症という命に関わる難病や、もう1つの難病をかかえ、「人生は私を生かさない」と絶望していた。
手術が成功して社会復帰出来てもなかなか光を見つけ出すことが出来ず、参加したグループ展に来たお客さんたちに、「ひとは生きている価値があるのか」と問い続け、皆さんが「どんな生き物にも生きる価値はある」と優しく諭してくださったことにより、人に希望を与えられる絵を描きたいと想うようになる。
そのグループ展で美術関係者に認められ、神戸元町大丸百貨店で初個展を開いたのが1999年でした。
個展のテーマは「救い」としました。

*菩薩絵~癒しの絵と言われるように

その後、心の悩みを消化、昇華するために描いた「自分を救ってくれるような存在」としての菩薩様や観音様の絵が、 「優しい」「癒される」と言われて、自分の苦悩の中から生まれたものなのにと、理解されない想いにさらに悩んでいた。
そんな中、第2回の個展のテーマを決めるときに、自分を悩ませたとある経験を絵にすることで人に役立てることはできないかとの想いのヒーリングアート「音霊絵画(アクサンツ-音波-)」を思いつき描き、その柔らかな色調や描線は好評を得ることとなる。

*開けた海外への道

これらの絵は海外に通じる団体にも認められ、オーストラリアの「Art Collection 2005 in Melbourne」への出品資格を得ることとなる。
この頃から海外への道が開けはじめ、ベネチアビエンナーレAU展、他、オーストラリア、韓国、アメリカはNYなどでの出品をはたす。
なお、国内での個展は、東京、大阪、京都などを含め14回を数える。

*出版

また、ブログを通じて出版への道も開け、今までで1冊の詩画集、6冊の表紙や章扉、挿絵を提供した本、2冊の画集への参加などで商業出版をはたし、またフルカラーの私製詩画集も作成。
2016年には自らの作品集「mizunoART 〜詩と薔薇と水彩の画家*渡邉裕美 画集」を出版。
おかげさまでほぼ完売に近くご購入いただく。

*終わりに

今は安らぎと微笑みの絵画を中心に、天使画油絵やマリアさまの水彩画、女性像などを描いています。
今後は国内を中心に、海外も視野に入れて活動しつつ、穏やかで愛のある絵を描いて、悩んでいる人や病を持つ人へ安らぎを差し上げたいと思っています。


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主な作品例

天使や菩薩様、女性の微笑みを主に描きます。

詩画集「あの人への想いに綴るうた」

恋しき切ない想い、傷つき、また癒された喜び。消えてしまった「あの人」への想いを詩とイラストで綴ります。
朗読者みちくさ氏による音声化されたAmazonオーディブル版あり。

Amazon販売ページ

ドラマ「菩薩」

「菩薩2」に、沖島遼氏にお話をつけていただき、くれは氏に朗読を、みちくさ氏に演出&動画化していただきました。
とある美術館にて、一人の男が出逢った絵画。
妙に懐かしさを覚えるそれには、不思議な逸話と縁(えにし)がありました…。

沖島遼Twitter
くれはTwitter
みちくさTwitter

詩「生まれてきてくれてありがとう」

「生まれてきてくれてありがとう」

あなたがそこに
居てくれてありがとう

生きていてくれて
ありがとう

今の時代に生まれてきてくれて
ありがとう

出会えた事に感謝

幸せをくれてありがとう

今この時を噛み締める

生まれてきてくれて
ありがとう

夢と目標・微笑と救いの絵を描くことについて

私が微笑みと救いの絵ばかり描くようになったこと、それは大学時代のショックな経験を経たことにさかのぼります。
その事件はどうしようもない辛さを私にあたえましたが、その責任の一端が私自身にもあったため、誰にも明かせず、告げられず、ずっと1人で悩み続けることになりました…。
そうして2年近く悩み続けたのち、さらにその傷を上塗りするような事件が起こり、ついには私自身の精神が破たんを起こすにいたってしまいます。

それから長い療養生活が続きました。
ただただ「死にたい」と想い続ける日々でした。
ようやくわずかずつ回復して、友人と交流できるようになり、社会への想いが芽生えた頃。
難病が私を襲います。

それは肺が止まり人工呼吸器につながれ、手足の力も衰え、食べ物ものどを通らず鼻からチューブを挿されてミルクだけが注がれる入院生活を私にもたらしました。
もう後は死を待つだけの日々でした。

手術は不可能と言われていましたが、父母が死を選ぶよりはと医師を説得してくれて、手術が何とか受けられるようになれました。

ようやく回復して、でも言葉が上手くしゃべれず、それでも欲しい服があってバイトを始めることにしました。

社会生活に馴染めるようになると、生来の夢が頭をもたげ、絵で生活ができるようになりたい、そう想い、当時の最先端のコンピュータグラフィックスを学ぶために就職率90%越えとうたわれるスクールに通うようになりました。

そこを卒業すると、でも就職課で、
「あなたのような絵は自分で仕事を探してください」
と言われ、さあ、就職活動をしよう、と想った矢先に結石ができてまた入院することに。

退院後、仕方なく、それでも自作品をもって活路を見出そうと画廊を廻っていると、
「グループ展をしませんか」
と声をかけていただけて、その参加したグループ展で、とんとん拍子に個展のお話をいただけ、夢だった1999年、ノストラダムスの予言で世界が滅ぶ前に個展が実現しました!

そうして病院につとめながら彼氏ができて、結婚しようとまで言ってもらえた矢先に、第2の難病にかかります。

入院生活の中で彼氏とも別れが来て、その後、しばらくは懇意の画廊さんでグループ展に何度も参加する日々でした。

そうして思い切って2度目の個展をすると決めた時、テーマを何にしようかと瞑想してみました。
そこでは、私の人生を変えた経験を絵にすること。
その辛かった思いを糧に、人を救えるようなものを描くこと。
水彩抽象によるヒーリングアートを目指すことでした。

そうしてその後ブログをはじめ、ネットの上の人と出会い、中でも衝突や新しい悩みも生まれ、その悩みを消化、昇華するために、辛い心を救うために菩薩様などを描くようになりました。

そうした絵が「優しい」「癒される」と言われることに最初、私は信じられない想いがしました。
自分が辛かった思いがそこにはあったからです。
でも、人々との交流が私を変えました。
暖かい想いを知りました。

その後辛い経験をするようになった時には、
「こんな私のような辛い想いをしている人が、誰にも理解されていなくても、私だけはその人を救えるように」
との想いを抱くようになりました。
その想いを表現したのが個展「祈りの瞬(とき)」でした。

その後、新しくブログで知り合った人たちに、随分と優しくしてもらえるようになりました。
そうして、微笑みこそが温かく、ひとを癒すもので、そうした人たちのお蔭で私自身も微笑めるようになり、微笑みの絵を描くようになりました。

そして、それらの微笑みの絵が、みんなに「癒される」「ほっとする」といってもらえることが私の最大の喜びともなりました

そんな絵たちをたくさんの人たちに見てもらいたい。
そういう望みが、今の私の夢であり目標でもあります。

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