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Logo Mark音にのせる胸のうち生と死

ツルタハル

小中高を通して吹奏楽部に所属し音楽の楽しさを知る。20代から本格的に音楽活動開始。主に美術館、カフェ、レストラン、ホテル等で演奏し好評を得る。
結婚、出産を経て子育てに専念。11年...

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先日、身近な人が亡くなった。
96歳だから、大往生というものだ。
そこで色々感じたい事を書こうと思う。

人は、この世に生まれ落ち、
最後は、「死」で終わる。
「生」と「死」は、同じ重さ。
違ってはいけなくて、同じなんだ。
生まれたら、生きていかなくてはいけない。楽しいこともあるけど、辛いこともあったりしながら、毎日生活をしていくのだ。
人によって長さは違うけど、
いつ終わるか分からない旅。
きっと長いと思ってみんな生きている。
先が分からないのに生きていく。
生まれるってすごいこと。
生まれる=生きていくことだからね。

で、「死」の方なんだけど、
息が止まり、もう体は動かない。
その先はない。現実世界に置いてはないってことね。
でも、すっごく重い。その人のそれまでが全部詰まっていて、
関わった人達の心の中に「思い出」という形であり続ける。
火葬が終わり、出てきた骨からのあの熱風は、忘れない。
何十年も生きてきたのに、数時間で灰になるのだ。
今までの人の形から、白い灰に姿を変え、この違いに呆気に取られるような、信じられないような気持ち。
どんな人でも、最後は灰。
太った人も痩せてる人も、みんな最後は同じだ。
灰になった人は、もう返事をしない。
だから、それぞれ生きていた頃のその人を思い出して、
「こんなふうに言うだろうな」とか、
想像をする。それが返事になるわけだ。
記憶にあるものが、その人自身になる。
「死」は、全て終わりではなく、人々の記憶の中で生き続ける最初の日なんだ。

アタシは思う。
いい加減に生きるのではなく、
やっぱり“ちゃんと”生きていたいと。
旅はいつ終わるか分からないんだから。
「生」と「死」の重さを同じにするために。

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ツルタハル

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