2024/07/11
シミズの中に強力なインパクトを残しているアーティストさんを紹介するシリーズ、今回は白砂勝敏さんです。
白砂勝敏さんの紹介情報はこちらのページをご覧ください。
アーティスト紹介・白砂勝敏
白砂勝敏さんは、造形、絵画、詩作、音楽と、さまざまな分野で活躍するアーティスト。その作品は多種かつ多様であって、それぞれの作品シリーズから受ける印象はまさに自由そのものとも思えます。
そうした自由な作風とはどのようなことなのかと考えます。
通常こういった作品を作る方の多くは、ご自身が得意とする分野があって、例えば音楽をやる方はまずそれが軸だし(その傍で絵を描いたりする方はいますけどね)、絵を描く方はそればメイン、写真の方も、造形の方も、文筆の方も、書の方も、パフォーマンス系の方も、演劇の方も、多くの場合はご自身の軸となっている分野があって、プロフィール等もその軸となっている活動をしているものとして記載されていたりします…まぁ微細な例で恐縮ですが私もアーティスト紹介側では音楽をやる人として記載しています…時々絵を描いたり写真を撮ったり文章も書くけど、それについては二次的なものとして扱われているという感じですね。
しかし白砂さんにはそういった軸的なものがない…いや、こういう書き方をするとまるでそれが悪いことにようにも見えちゃうかもしれませんが、そうではなくて、なんでもすごいということなんですね。
なんでそんなことができちゃうんだろうと考えます。
あ…きっとできちゃうんだと思いました。例えば画材を持つとなんらかのイメージが頭の中に浮かんで、同時に、それをアウトプットするにはどうしたらできるか、についても同時にイメージできちゃうんじゃないかなと。だからそれがモノづくりの方向だったとしても、例えば流木や廃材のようなものを手に取ると、そこからなんらかのイメージが浮かんで、かつなにをどのようにしたらそのイメージが実現できるのかが分かっちゃう。さらに言えば、その実現するための労力や技術に対しての心的障壁もめちゃくちゃ低いんだろうと思えます…なんだそれって? 例えば、流木や廃材を手にしますよね。その時頭になんらかのイメージが湧く…「ああこんな風にしたら面白くなりそうだ」と思うわけです。で、それをどうやったら実現できるのかを考える…と、他の材料はどんなものが必要で、それを加工するためにはどんな機材や技術が必要で…なんていう実行レベルのことを考えたりもしますよね。ぶっちゃけ彫刻作品なんて、なんでもない形のものを手で削って削ってなんらか意味のある形にするというような過程です。で、特に私の場合なんかだと「うわぁ大変だなぁ」とか思っちゃう。で、結局やらなかったりするんです。白砂さんの場合おそらくここの障壁が低い。いいとなったらやっちゃうんです。またできちゃう。それくらいの経験値が既にある…ということかなと。
自由ってこういうことかなぁと改めて考えます。
だって縛られてないですよね…心的に。アーティストや表現者の方って、いわゆる一般の方達よりは心の縛りが少ない方が多いかもしれないんですが、それでも自分が例えば「ミュージシャンだ」「画家だ」「イラストレーターだ」「写真家だ」「役者だ」…等々言っていくと、今度は逆にその自分で貼ったレッテルに縛られて、それを軸にものを考えるようになる。時には違うジャンルでの表現が頭に浮かんだとしても、その優先順位を低いものとして捉えてしまうようになる…とも考えられるわけです。
白砂さんにはおそらくそれがない。頭に浮かんだら浮かんだままそれを実現してしまう。しかも自分の中に数多くあるあらゆる選択肢を組み合わせて自分の中でコラボさせちゃったりなんてことさえやります。例えば、使われなくなった電ノコの歯で、造形的なアートを創りながら実はそれを叩いたりして音楽パフォーマンスにもしてしまうなど…いやぁ面白いなぁと思いますねぇ。
いやこれ、並大抵のことではないと思うんですよ。だって私のような凡人からすれば、一つのジャンルでさえ全然極められていないのに、そんないくつものジャンルを飛び回りながら表現していくなんて、正直できるような気がしません。どれもが中途半端になりそうで怖いと思ってしまいますし(自分の場合は実際そうだしT_T)、極めたいなら一つの道を…それこそ「求道する」的な考えになりそうとも思います。
あ…そんなことも白砂さんにとってはあまり価値の高いことではないのかもしれないなぁ…完成度がどうこうとか、道を極めることがどうこう…なんてことではなくて、あくまでも自分のイメージが実現できるかどうかが大切…だとすればそれは、自分の内なるものとの競い合いであって…そうか…道を極めたかどうかなんて、それ自体が相対的なものであって実は表現の本質には関係ないのかもしれないなぁ…。
だからひょっとしたら、まずは自分が自分で生み出したものに対して満足できるかどうかがものすごく重要で、他人がそれをどう思うかはそれほど重要ではないのかも?…いや、褒められたらうれしいに決まってるとは思いますけど、でもそれは副産物であって、そもそもそこに期待値があまりないというか…こう考えているのだとすれば、さらに自由ということかもなぁ…。
ああ、きっとダヴィンチってこんな感じだったのかもなぁ。岡本太郎ってこんな感じだったのかもなぁ…なんてことも思ってみたり。
いかがでしょう? 今ご自身がやっている表現活動について、その軸となっているジャンルはご自身にとって「絶対にそれでなければならない」ものなのか…なんて考えてみるのも面白いかもしれませんね。そう考えると実は意外とそれである必然性は低いかもしれない。やろうと思ったら、他にもいろいろな可能性が見えてくるかもしれない。いや、今の軸を捨てなさいなんて言ってるんじゃないんです。ちょっとだけその枠を緩めてはみ出してみる(これは新しい学校のリーダーズの冒頭挨拶ですねw)と、もっと違った扉が開いて面白いかもよというお話でした。
まぁすぐにどうこうしなくても、こんなことを頭の片隅で考えているだけで、ある日突然それこそ偶然に近い形でなにかに出逢えるかも…なんて、そんな期待を抱くだけでも、毎日の楽しみの一つになるかもしれませんしね。
そうそう、そんな白砂さんとの出逢いも極めて偶然だったなぁと思い出します。
その日私たちは、自宅からクルマで10分程度の場所にある栃木県那須塩原市の板室温泉にある那珂川の上流流域を散歩しようと行っていました。この辺りは古い温泉街の名残りもありつつ、那珂川の上空には鯉のぼりがたくさん泳いだり(GW付近の日程のみ)、エメラルド・グリーンの水に魅せられたり、吊り橋もあり、(自分たちは滅多に入りませんが)温泉も楽しめます。そして後背の山ではちょっとした山歩きもできたり、自宅から近いくせにどこか遠くに来たような気分にさせられる場所でもあります。
…と、ひとしきり歩いて、クルマを停めておいた駐車場にもどると、その隣の建物に変わった飾り付けがされているのに気がつきます。その建物は普段人気がなく、そもそも営業しているようには見えませんでしたからそれまで気にもしていなかったのですが、その時はいつもと様子が違っていたことに気づきました。
入り口の前の敷地になにやらソフトボール台の玉が並べられている。そしてその玉はキレイな流れを作って、建物入り口へのエントランスにつづいているように見えました。
「あれ、なんだろうね。」
言いながら遠巻きに少し見ていると中から人が出てきます。男性と女性、そしておそらくはお客様と思われる何人か。楽しそうに話していました。そうか…なにかのイベントなのかな?…等と思いつつ、とはいえ帰ろうかなと考えていると、その中の女性が話しかけてきました。
「よかったら見て行きませんか?」
そのお誘いに乗ってのこのこと入っていたのが最初の出逢いでした。
中に入ると所狭しと並べられた展示物。最初の印象は「なんだこれ? 面白いな!」でした。
中央には大きくディジリジュのような筒状の物体が地面から生えているように立っています。実はこれ本当にディジリジュだったんですが、聞けば、白砂さんはご自身でこの楽器を作成し、そして演奏もするとのこと。そうした音楽作品を収めたCDも販売されていました。
さらには川の石や流木を使った作品。空き瓶や錆びた金属の部品のようなものを使った作品。それらはもともと自然にあったもののようでもあり、退廃的なサイバー・パンク的に感じられるようなものでもあり、自分の視界に入る作品がそれぞれ場面場面でなにか違う世界観を表現しているようでもあって興味が尽きません。
また、白砂さんももともとが話好きなのかずっといろいろと話してくださって、作品のバックボーン等もとてもスルッと入ってきたように思います。
そして気がつくと、地元にあるアートと素敵なBarを融合したお店の話になり、いきなりその夜にそこに一緒に行って呑む話になっていました…実は自分としてはこんなことは珍しいんです。私、表面的には外交的だと見られることが多くありますし、実際初めての人でもあまり臆するという感覚はなく、いろいろと頭に思い浮かんだことをついベラベラと話してしまうタチではあるんですが、しかし私の本性は本来とても内向きで、そうした場面に置かれるといつもかなり疲れてしまう。だからあまり自分から人を呑みに誘うなんてことはないんです。だって疲れるし、それにそもそも、呑んで本音を話してみてよかったと思うことなんてホント〜に少ないですから、そういったことに正直かなり懲りているということもあります。
でもなぜか誘っちゃった。これもきっと白砂さんご夫妻の素敵なキャラクターに惹かれてのことなのかもしれませんね。
という感じでその後もだいぶ調子に乗ってしゃべりまくってしまったのですが、その発端はとても偶然。そしてその場でこのSpinartの連載記事執筆も依頼し、現在に至るという次第です。こういうのをご縁というのかもしれませんね。
ということでみなさん是非、白砂勝敏さんの自由な創作世界をご覧いただければと思います。白砂さんはこのSpinartで記事連載もしてくださっていますので、是非そちらもご覧いただければと思います。
白砂勝敏・脳内伝言板
準備中