2024/07/18
先日、常々非常にお世話になっている知人と栃木県大田原市に向かった。
知人、本当は日光へ朝どりのホワイトトウモロコシを買いに行きたかったようだが、その日は雨が降り出してしまったので、急きょ大田原市街かど美術館の日原公大彫刻展を見に行くことにした。
芸術作品を見に行くからか、車内では、芸術家を支える豪商の話も飛び出した。
松尾芭蕉を支えた豪商の話。先日まで博物館で行われていた展示で知った下野国の豪商大橋淡雅の話。博物館に飾られていた文人画家の椿椿山の大橋淡雅の絵は素敵だった。昔から表現者はこうした方々に支えられ、育てられてきたんだなとつくづく思う。
さて、宇都宮から1時間ちょっとのドライブを楽しみながら大田原の街中の大通りを走り、細道へと曲がった所に会場である旧大島医院はあった。
お医者さんの所に美術作品の展示とはなんとも意外な取り合わせ。
入口を入るとおそらく昔、待合室だったであろう所に作品が飾られていた。
大きな古木から出ている沢山の人間の手。木の色を生かした大きな女性の像。
ユニークで憎めない姿の動物達。
会場には日原先生もいらっしゃり、ゆっくりお話を聞かせていただいた。
先生は豚がお好きだそうで、豚や猪の作品も多い(ちなみに猪が家畜に改良され豚になったそう)。
ただし、普通の豚や猪ではない。主に木でつくられているのだが、体の一部がパッチワーク状に古布が使われていたり、焼物が使われていたり、耳が人間の足になっていたり、顔がなんとも言えない表情なのだ。
以前、大田原市芸術文化研究所で、
『作品を作られる時、不意にアイデアが思いついて創作するのですか?』
と質問させて頂いたら、
『長い間構想して、ここにこの素材を使う必要性も考えてから作る。』
との事。
これだけの作品、どれだけの脳の思考回路を稼働させたのだろう。ご自宅にはもっと沢山の作品が眠っているだろうに…。
また、動物もさまざまな表情をしている。
『動物、それは自分であって、自分でこうだと言うのは恥ずかしいから、動物に言わせている。』
私と少し似ている。私の場合、脚本に書かれた台詞を役となって話していく。通常なら恥ずかしくて言えない台詞も役でなら自信を持って観客の前で言えたりする。
ある像の前で興味深い話が始まった。その像は木神というタイトルがつけられていて、とても穏やかな180cmもの大きな像。美しいインドかどちらかの仏像の様にも見える。そして不思議なことに全体に上から下まで真鍮のラインが何本かはしっている。木と木の間に薄い真鍮がサンドイッチ状に挟み込まれているのだ。
『尊いものを表す為に、金属、ちょっと光ったものを使って…。』
とにっこり話されていたが、これにも深い意図があるに違いない。
『…綺麗だけでは物足りない。だから、それを身体以外の手だったり足だったりで表現している。』
成る程、腕や手、脚や足先の角度が歪んでいたりして何かを物語っている様だ。
作品を作る時、その先、結末の様なものを考えて作るのだが、実は製作者にもわかっていない事があって、それを見た人が自ずと考えくれたりする、なんて話もされていた。
最後に印象的だったのが、優れた作品イコール売れる作品ではない。○○賞を受賞したとかに誤魔化されたりする。特に著名でもない制作者にも優れた人がいて、でも確固たる基準がないので一般人にはわからない。
でも、優れた作品というものは能力のある者が見るとわかるそうで、そんな作品を目の前にすると、
『嫉妬を感じる。』
と日原先生は話されていた。
8月25日(日) 14:00開演
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