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Logo Mark歯を磨く様に演じるやめなきゃ続く

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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『やめなきゃ続く』この言葉を先日、大学生の男の子に言ったら、キョトンとされた。あまりにも当たり前すぎて、返す言葉がなかったのだろう。
私がこの台詞を言われたのは劇団員として生活はしていたが、彼とそんなに歳が離れていない時だった。やっぱり私もその時は彼と同じ顔をしていたと今振り返ると思う。その名言を私に言ったのは、当時お世話になっていた勢いの有る演出家の先生だった。
親の反対を押し切って劇団員になったものの、お家で好き勝手やっていた、当時の現代っ子の私にとって、劇団の暮らしは芝居、上下関係、寮生活、他にもいろいろ辛い事が多かった。春、夏、冬休みと日祝日を除き、ほぼ毎日芝居公演が有り、週の初めは声が出ていても週の終わり頃になると、自覚症状はないが、声が出てないとも言われる。体力的にも辛かった。また、新人は自分の事をやりつつ、先輩の事もしなければならない。そんなの無理でしょう。心の中だけで呟いていた。
早朝に公演先の学校に到着し準備をするのだが、学校なんか見たくもなかった。会場設営をしている時も『(吊っている)アッパーライトが自分の頭上に落ちてきたら、ここから逃れられるのに』なんて考えていた。一番下っ端は辛い!! そして、自分の後に何人か新人が入ってきたのだが、この劇団の独特の体制に慣れなく、辞めていき、いつまでたっても一番下の私。県内から入団した人は家に帰れるが、遠くから来ると、そんじょそこらでは実家には戻れない。
その上、何をやっても不器用な私(注:学生時代は器用だと思っていた。しかし、こういう事をやる人等は、器用の少々上のランクの人達が集まるんだと思う)。そんな私を見兼ねた方が、何人もいらっしゃり、温かい言葉をかけてくださったり、ちょっとした気晴らしにも付き合ってくださったりした。その中のお一人がある時、私にボソッと言ってくれた。
『やめなきゃ続く』
今考えるとその時は、その言葉について、考える余裕もなく耳を通り過ぎていった言葉だが、なんか最近なんとなくわかる様な気がする。あそこで思考回路が麻痺して、辞める行動に至らなかったのも、私にとって本当にラッキーだったと思う。
ここまで書いた話の他にも『劇団辞めろ!危機』があった。今では笑い話だが、劇団を一向に辞めない私に、ある長期休暇に実家へ帰った時、母親が『劇団を辞めないなら、鵜飼家との絶縁状を書け!』と絶縁状の文章見本と便箋を用意してきた。見本文を事前に用意したところがまあ、うちの母らしい(笑)。
しょうがないから私も『今後、鵜飼家と一切縁を切ります』と親と自分の控えで2通書いておいた。所詮、紙だし…。親としてはこれで実家へ帰ってきてくれると思って、最後の札を出したつもりが、予想通りにいきませんでしたね。ゴメンなさい。
その後5年位して、玄関前で追い払われる際、投げられても汚れない様、栃木名物の苺ではなく、羊羹を手土産に、実家に帰ったら、すんなり家に入れてくれた。何故か以前書いた絶縁状は後生大事に仏壇の脇に…。私の控えは行方不明です。
それから、うん10年時が過ぎた現在は『芝居を辞めるとか、辞めないとかそんなのではなしに、普通にやっている? やっているのが普通?』考えるに至らない状態です。でも、それが現在、仕事になっているのは、本当に有難い事です。
そして、よく考えるのが、自分が『やめなきゃ続く』と言ってくださった先生のその時の“年齢”に達したが、“力量”は少しは追いついたかな〜?と言う事。イヤ〜まだまだ。
その方は、大学を卒業してから現在まで、芝居を続けていらっしゃいます。劇場の大道具搬入口で、若者に手を取ってもらいながら、高い段を登る様になった今日でも。

新美南吉「でんでん虫の悲しみ」

朗読:鵜飼 雅子、オカリナ:ツルタハル

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
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