2024/07/05
私が加わってから、もうかれこれ10年位は経つだろうか。カフェ カラクでのJAZZ PIANOに合わせ朗読は。
もともと、毎月第2火曜日にカフェカラクでピアノ演奏をしていた美恵子さんが『何か読みに来ない?』と誘ってくださったのが始まりだ。
はじめた頃は、作品選びにそこそこ時間がかかり、大変な物事の一つだったが、そのうちに私のこのエッセイの大見出し【歯を磨く様に演じる】の様にこれも歯を磨く日常生活と変わらないものになった。生活に当たり前に組み込まれていったのだ。
美恵子さんがピアノで私が朗読担当。多くの方に驚かれるのだが、美恵子さんの当初言っていた様に、2人合わせての練習はしない。合わせるのは本番だけ。
読む作品を美恵子さんに伝えて、美恵子さんが作品からイメージしてピアノで弾く曲を選んでくれる。曲も本番しかわからない。
どのタイミングで朗読をスタートするか、どこで間をあけるかは私がその時の気分で勝手に決める。勿論、文章の作りにもよるし、お客様との会話にもよる。
〈仕事でルーティーンに出来るものはルーティーンにしてしまいなさい!〉
これは以前仕事をさせて頂いていた会社の社長さんがよく言っていた台詞だ。
だから私も公演だったり、作品作りだったりをなるべくルーティーンにしてきた。一つ作品を作ると県内数カ所で公演してまわったり、一ヶ所公演する所が出来れば、春秋冬と季節でまわったりと。
今年、隔月で行っている一つのルーティーンの公演を途切らせてしまった。
というのは、その公演を通常ならやる事になる月に2度にわたり、大変な公演が控えていたからだ。
それまではどんなに忙しくても、常連のお客様もいらっしゃるし、意地でもやっていたのが、ちょっと魔が差して、
「大物の公演が終わったら、また考えればいいや。」
と気軽にストップさせてしまったのだ。
大物が終わり、いざ再始動の時に、パソコンの再起動ボタンを押すように簡単に再スタートとなるはずなのが、全然、全くならない。
「あの公演やっていいのだろうか?」
「コロナの時代も終わったことだし、どの様にやったらいいのだろうか?」
「本当にやった方が良いのか?」
考えるたびにロクでもないことが頭の中をグルグルし、いっこうに進まない。
それどころか情けないことに公演を行うというスタートラインは先の先の先にある様な状態。
こうやって考えている時間もそこそこ費やしていて、まったく時間の無駄である。
長い不毛な時間を過ごした後、結局は、好きな作品を選び出し、また知人に相談し、日程を決め、にゅるりとそちらは再始動し始めたわけである。
その点、毎月第2火曜日14時からの“カフェ カラクでのJAZZ PIANO に合わせ朗読”は、
「どうしよう。やる?やらない?」
なんて無駄な発想は出てこない。
「次は◯月だから何に関する物を読もうか?」
と生活する中で自然と考えているし、図書館や本屋に行った時も、
「これ、何月にいい!」
と先の先まで無理なく思考がいくから気楽である。
そして長年続けていると、それを楽しみに毎月の様に来てくださるお客様や、ほぼ広報活動は行っていないのだが、お店に問い合わせなども来るしで、なかなかの繁盛ぶり⁉︎で嬉しいかぎり。
ほんと、毎月決まって公演が有るというルーティーンは有難いのである。
準備中