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Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる自分の声・こえ・koe

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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何で、学生時代好きではなかったものばかり使って仕事をしているのだろうと我ながら不思議に思う。その1つが“自分の声”である。
大学卒業後は、あまりにも自分の声が嫌いで、わざわざ喉を傷つけて声を変えたり、喉をしめたりして発声をしていた。
その作り声で、愛知県の商業劇団の入団試験を受けたときは、不本意にも試験官に『そういう声は役者より声優の方が向いてるんじゃない。』なんて言われた。勿論そんな発声だったら、以前いた商業劇団の公演、多い時は800人程の人に届く生声は出せなかっただろう。マイクだってちゃんとした発声でないと拾いづらいものだ。
私の地声はもともと低く、聞いていて好きになれなかったし、大学時代ブームだったカラオケでは、女性パートの声を出すのは喉は痛いし、苦労だった。
それを変えたのは、なんといっても今ではライフワークとなっている、一人芝居調“朗読舞台”だろう。
朗読舞台で使う主に小説は、登場人物が何人も出てくる。それを1人で演じ分けるので、やはり声は変わる。夏目漱石の夢十夜の第一夜に出てくる漱石理想の女性(と言われているそう)と太宰治のメロスでは無論声は違う。
そこで、自分の声の高いところはもっと高く、低いところはもっと低く安定して出せるようにした。
どの様にしたかと言うと、一旦自分の人物イメージで作品を読んで、勿論登場人物によって声を変えて読むのだが、それを何度か録音して聞いてみた。やり出した頃は思うように声が変わらなかったので、小説を演じると言うより、音程とりに近い練習から行った。体については、低音は臍下の丹田より下に、また高音は頭のてっぺんに意識をもっていき発声。
すると徐々に出せる音程の幅が広がっていったんです。それに音程による体の使い方もわかってきたし。高音、中音、低音それぞれ体の使う部分は違っている。
それと毎月カフェでジャズピアノに合わせて詩やエッセイなどを読ませて頂いているのだが、そういう時の声って、どちらかと言うと爽やかな高めの声かな?なんて思うので、そんな声をイメージして練習もした。
その他、やっていたのが、ビジネス書などを自分の声で録音し、車の中で聴く。これは声改善の為ではないが、せっかく聞くなら素敵な声のほうがいい。それでこういう声で聞きたいなと思う声をイメージしながら吹き込み、それを続けたんです。
“これくらいの体感で声を出したら、この位の音程で聞こえる声が出る”と体が覚えるように、自分のこの高さで出していると思っている声と聞こえ方の誤差をなくすようにした。
多くの場合もそうだろうと思うが、私の場合も、録音した声は自分が思っていたより低い。この“声の録音&調整”の行動を聞くと、ちょっとマニアックな趣味に聞こえるかと思うのだが、声がコンプレックスなだけにやりましたよ。感覚と聞こえ方のずれについては、今でもたびたび調整します。すぐにズレるので。楽器で言えば調弦っていう感じ。
それとともに気をつけたいのが日本語の“あ”の発音。昔いた劇団の理事長が、
『なかなかちゃんとした“あ”の発音をする人がいない。』
なんて言っていたことがあるが、確かにそう思う。この“あ”の音が綺麗に出せないと、トークや話が暗くなる。横開き“あ”、ではなく口を縦に開く“あ”の音。
こんなマニアックな趣味的演習を繰り返し、ある時思ったんです。
『あー、思った以上に自分の声って変えられるんだなって。』
勿論、潰さずに。自分だけの持ち物である声も服やメイクと同じで、その場その場で自分でコントロールをして、音程とかニュアンスとか変えられたら素敵かなぁ、なんて今では思うんです。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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