[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる感覚のreplay

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

商業劇団に入って2年目、まだ芝居を始めて間も無い頃、主役がまわってきた。上手いからではなく、上手くなるよう勉強させる為にだ。その役は小学校3年生の女の子で、芝居のスタートは彼女の2ページにわたる長台詞から始まる。
(セリフ)『迷子ってこわいことですか。迷子って悲しい事ですか、迷子って…』
それは恐ろしい怖い気持ちをぎゅっと胸にしまって、森の中を涙を見せず歩いているシーンなのだ。
ところが、初公演、演出家先生が見ている前で、その大事な彼の書いたセリフを私は、ほぼ1ページとばした。その劇団は脚本家の書いたセリフは吟味に吟味して書いてあるものなので、一言一句変えてはいけないと言う教えであったにもかかわらずだ。
演出家先生『あの台詞、忘れたのですか?』
私『いいえ、覚えているんですけれど、すんなり台詞が言えなくて。』
大馬鹿者である。役者だろ!何言ってんだ!と言いたかっただろうが、先生は無言だったのを覚えている。
その時はそんな経験がなかったから言えなかったのかもしれないが、役者は、何かからそのきっかけを引き出して演じなければならない。殺人鬼の役をやった人が殺人をしているわけはない。この場合、例えば子供の頃、デパートで迷子になった時の事とか。
その後だったか前だったか私の為にこんな感覚を呼び戻す稽古もなされた。
演出『シャワーを浴びている時の感覚を思い出してください。』
頬や頭上にあたる気持ちの良い水のつぶの感じと、それによる身体のリラックス感。どの筋肉が緩んでどの筋肉が縮むか。今なら感覚を蘇らせる事が出来るのは当然の事。でも当時はそうしているつもりなのだけれども、全然表現になっていなく、相手にわからせることができなかった。感覚を頭で考えて表現しようとしていたのかもしれない。つまり身体の感覚の蓄積がなかったのだろう。
それ以後は何かを体感した時、同じように体の筋肉だったり表情だったりを繰り返すようにしていた。テレビを見ながらでも役者の体感を真似てみる。
そして現在、リアルなシーンにはそんな表現はありえないのだが、そのお話の中でその役者がやると当然その表現が生きて輝いて見える、そんなちょっとした表現の仕方が好みとなった私。巻き戻せるものは何回もそのシーン(表現)を見て真似るのである。
また、芝居は台詞があるので、その台詞を長くすればほぼ感覚表現の処理が出来そうな感じがするが、そうではない。単純に出てくる言葉だけでは、聞いている相手が十分に理解できないようだ。第一つまらない。
小説だったら『もう、来ないで!』と泣きそうな声で言った。と言い方や状態の付け足しが後でくるので、よろしいのだが、芝居はその場のそのセリフのみですからね。
それと、芝居は相手の心情の変化が多いほど(多くわかるほど)楽しいもので、何があっても“別に”的な人ばかり出ていたら観ていてもしょうがないのである。
少し話がずれてしまうかもしれないが、入団前の私でも、日本語ではなく、英語で会話していると当たり前のように顔や体を使って会話していた事に気がついた。嫌なものはあから様に顔をしかめてNo way!(冗談じゃない)て言うし、Oh, incredible!(素晴らしい!)って声を高め手まで使って言っていた。見よう見真似でアメリカのアラバマ州で覚えた英会話。やっぱり表現の蓄積は必要よね。
あれから何十年か経ち、いろいろな感覚、寒い時、痛い時、恐ろしい時、楽しい時それを身体の引出しに入れておくのが当然となり、それを舞台に上がった時に引っ張り出す。そして今では舞台を降りてからもいくらか無意識に引っ張り出しているようで、私のおしゃべりは表現が舞台サイズ、大きいらしい(笑)。

2月28日(日)14時〜 オンラインZOOM 舞台公演 江戸川乱歩『一人二役』

お申込みは、携帯電話のメールアドレスはPCからのメールが受け取れないことがありますので、下記のものをご記入の上、PCメールでお申込みください。
・名前(ふりがな)
・電話番号
・メールアドレス
・支払方法(paypay又は振込)
ご予約メール

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む