[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じるLet’s act,me!

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

『ステイホームの生活、案外、私にあっているわ。』
思ってはいけない思いが私の脳裏に浮上する。家にいて、じっとして時々タブレットを見たり、ゴロンとこの春新調したお気に入りの分厚いスプリングマットレスに寝転んだりして1日が過ぎていく。歩数計309歩。案外快適。
動物のナマケモノの体がなんか緑色っぽいなと思ったら、あまりに動かないので体にコケが育っていたそうな。食べ物も1日に8g。徹底して動かない。こいつとだったら暮らせそう。たまにはこんなことを思ったりする。
もともと世間の皆様よりゆっくりな性格のところ、顔に血管を浮き出しながら、なんとか遅れをとらず周囲についていく私。8畳の箱は意外に快適な世界。勿論、仕事はしているので毎日おこもり生活とまではいかないが…。
ナマケモノもトイレの時だけはちゃんと木から降り、木の根元にわざわざ穴を掘り、その中にまとめて排泄するという。でも10日振り。
ナマケモノ同様、私も時には本能で箱世界から出て車で遠出したりもする。
ある時、湧水を汲みに行きたい衝動にかられ、近場を探していたらあの名水、尚仁沢の湧水の画像が目に飛び込んできた。苔むした岩、澄んだ川、川には薄い靄のようなものが立ち込めている。靄、靄、靄…。小泉八雲の『夏の日の夢』の空想の世界が私の脳裏に広がる。そんな訳で小箱から這い出し出かける事となった。
宇都宮市内はいつも通りの道路で、いつもと変わらぬ車と通行人で箱世界の延長。
ところが、塩谷町に入って徐々に山道を進んで行くと、いつもとのあまりの違いになんだか不安になってきた。尚仁沢への道はあっているのだろうか。そこで途中、農作業をしているおばちゃんに聞いてみた。
それでも道を間違え進んだ私の視界にはアスファルトは途切れ、凸凹の山道。不安にかられ目のあたりがほんのり温かくなり、それでも進んでいくと、キャンプ場に出た。
そこのスタッフによると尚仁沢の遊歩道にはこの夏、蛭が大発生していて、知らない間に食いつかれ、やられた箇所の服が真っ赤になり、自分の流血ぶりにビックリするという。一瞬言葉を無くす私に彼らは、
『塩持ってる?』と聞く。
『塩…?虫除けスプレーはしてきた。』
『効かない。』
困惑する私に“ヒルさがりのジョニー”という名前だけハイカラな、泡状スプレーを貸してくれ、私は大量に靴にスプレーをふりかけたが、それからはもう蛭のことで頭がいっぱいになり、どうしても蛭の恐怖から離れられない。
またあのガタガタ山道を下りつつ、頭ん中がガタガタの山道と蛭の恐怖のダブルパンチで全身の筋肉が硬直する。
直ぐに道は安全なアスファルトになり今にもタイヤがパンクしそうなガタガタ山道の恐怖からは解放された。
しかし、現地に到着して、いざ遊歩道をスタートした途端、どこを歩いていてもすぐに蛭に飛びつかれる気がして、落ち着かない。最初のうちは森の雄大な風景も空気も尚仁沢の水も楽しむことなく、蛭の接近に自分の周囲ばかり警戒しながら進んだ。
名前を入れるだけで、脳に当たるイラスト部分に「食」「遊」「秘」「H」などといった文字が並ぶ「脳内メーカー」をやったら「蛭」「蛭」「蛭」と出てくるに違いない。なんでこんなちょっとした事に、いちいち怯えてばかりいるのだ私!
なんでだろう?? 以前は蛭よりある意味癖のある方々と毎日生活をし、旅公演まで行っていたせいだろうか。いろんなことに対していい意味鈍感になっていた。いや、耐久性があった。世界の人々が絶滅しても、自分は生きのびられる根拠のない自信があった。
今は逆に世界の人々は生きのびても、自分だけは生きられない様な気もする。
『やっぱ、ナマケモノとの共存は考えない様にしよう。』
Let’s act,me!(行動しようよー、私!)

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む