2021/12/17
私のやっている表現や活動だったりは、括るとアーティストという枠らしいが、そんなに思いっきり表現したい、岡本太郎の『芸術は爆発だ!』と力一杯力んでいるわけではない。むしろ、
『こんな事感じたんだけれど聞きます?』
と、呟きつつ尋ねている状態なのだ。
例えば、先日銭湯に行って露天風呂に入った。そのとき、風が僅かに顔の前を通る。顔の前の右目から鼻、そして左頬に流れいく風の足跡を覚えていて、それに少しだけ言葉や状況を付け足して再現し、それを見ている人が少しでも面白く興味を持ってくれたら嬉しく思う。そんな感じなのだ。共感という言葉が一番近いかもしれない。
そして最近つくづく思う。
『自分ってなんて怠け者なんだろう。』
これは表現者にとって大変よろしくない性質の類じゃないかと。
先日、ラジオの仕事で、音楽家の方がゲストにいらした。その方、コロナ禍で音楽活動がほぼできなくなり、写真撮影も好きなので、 カメラにものめり込んだのだそうだ。(ご本人はのめり込んだとまでは思っていないと思うが、こちらとしてはその話を聞いてそう捉えずにはいられない。)あの短期間に相当沢山カメラ撮影の経験をされ、カメラの性質や知識を取得されたご様子。おそらくやりたいという強い欲望の赴くまま動いたんだと思う。なんて活動的なんだろう。
それと比較して私は…。
やりたい事は…うーん、毛足の少し長めの毛布と電気毛布に包まれていたい。そろそろ寒い時期ですからね。
これはやりたい事ではなくて、何もやっていない。基本面倒くさがりで怠け者なのだ。
でも、暖かい殻を破って、外出したり、面白いと思える事を見聞き体験するとすぐにハマってしまう瞬間湯沸かし器的性質なので、なるべくそれを上手く利用しようと決めた。
他にも決めたことがある。『◯◯しなくちゃいけない。』いつも仕事をする机の右角に付箋で貼ってある指令的事項。
この『しなくちゃいけない。』を『〇〇したい。』とか〇〇する時『どうやったら面白いか?どこが面白味か?』とプラスに考えて行動しようという事。
幼少時代から、親や学校の先生に扱いやすいと思われていた子供だっただけに、物事を真面目にしっかりやるのはある程度得意なのだが、ユーモアセンスに欠ける。
皆が笑っているのがわからない。アメリカの映画館に行った時は本当、私は宇宙から来た人だった、笑い渦の中、全然笑えない。英語がわからないのではなくて、面白さがわからない。
お笑いが得意な劇団のチケットがやっととれ、観にいった時には面白さが解らず、自腹を切った公演にも関わらず初めて芝居の途中で劇場を後にしようと思った。
絵画で言うと、石膏像のデッサンは得意だが、私の絵はピカソのゲルニカには絶対にならない。
このユーモアセンスや面白みは物事の余白から出現するものであって『〇〇しなくちゃいけない』という切羽詰まった状態からは発生しないと思う。
ある友人が今はなくなってしまった稽古場で昔、言っていた。
『大人になって、こんな事していても面白おかしく生きていけるんだよって子供達に教えたいよね。』って。
ここのこんな事とは芝居である。
とりあえずまだ演じ、表現できる環境にいる。有り難い事に。
それじゃ、それを自ら楽しみ、また楽しんでもらえる様にしなくちゃねと。
23歳にして初めて芝居の舞台に立ち、あっという間の何十年。
皆さんの前に出ることが、歯を磨くのと同じように特別なことではなくなってきたこの頃思う事である。
準備中