[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じるオラ東京さ行くだ!

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

最近は自分が居る部屋に舞台を作り、オンラインで公演もやりとなんだか近くで済ませてしまう事も増えた。それはそれでいい。遠方の方にも観てもらえるし、観客も自宅で観られるので時短に繋がり観る方も都合がいい事もよくわかる。
でも、そういった状況下でなんだか言葉に出来ない透明のクラゲの様なふわふわした違和感を感じる。“やった”と言った身体感覚の物足りなさを感じるのかもしれない。
私が1人舞台公演をやり始めた頃、公演をするなら少なくとも1度は東京でと考えていて、何度か銀座での公演を行った。この時は流石に1人ではなく、お花の方とのコラボレーションで。
今は当たり前となったzoomでの打ち合わせも当時は存在しなく、東京近郊に住んでいるコラボ相手と渋谷や原宿で待ち合わせをして、ちょっとした楽しいランチと共に打合せをした。
当日は2人で1人ではなかなか食べられない参鶏湯を食べた後、原宿近くの舗道にまで席の広がったテラス席のお洒落なカフェに入り、悩んだ末選んだモンブランと珈琲を頂きながらの打合せで、ここだけ聞くと、全く私はお上りさんだ。
打合せではいつどの様に、やるかからスタートして、あれこれ話し合った結果、初回はバレンタイン企画となり、私は恋やらなんやらに関した一人芝居で、相方はバレンタインに贈りたい人を思ってのフラワーワークショップとなった。金額も東京価格で花代は入っているものの、公演場所を貸してくださった方の『銀座で、安い金額での公演はよろしくない』との助言もあり、そこそこ高めの参加料に決めた。
当時は一人芝居ではそれ程数をこなしてはおらず、家に戻り考え出しても作品もなかなか上手く作れずにいたところ、相方のご友人に、手伝ってあげると神の声を頂き、とりあえず書いたのだが、まだ全然完成に程遠い台本!?と言って良いのか不明な物をメールで送り、またそれをこれまた演じていると言って良いかわからない画像をYouTubeに限定公開であげ、これも送った。
あの時、今年の夏に買ったiPhoneがあったら、家に今のインターネットがひいてあったらどんなに良かったろう。YouTubeにあげるのも、ものすごく時間がかかって、こちらもまた別の友人の手を煩わせオンライン上にやっとの事で公開できた。
神たる相方の友人はプロの脚本家であり、演劇に関する本の著者で、作品の演出もしておられ、午前中に出した荒い私の台本が、その日の午後には素敵な作品に仕上がって送られて来た。
これだけでも有り難いのだが、後にその道のプロ中のプロの彼女から『今度、事前に一緒に稽古をしよう』とメッセージが入った。
結局、私の都合があり、公演当日の午前中に彼女が東京のお手頃に借りられる会場を予約してくださり、最終詰めの稽古をする事になりました。
さて、天候はなんて冷たいのでしょうか。公演前日あたりに突然大雪が降り、それでも東京近辺の電車は動いていたので、少しホッとしながらその日出発致しました。この“少し”にはまた訳がありまして。
この時は今よりも表現家さんに賃金を払って仕事をしてもらうという事が、ある意味浸透しておらず、それでも私は大道具を創ってもらい、微力ながら幾らかでもアーティストさんに支払いたいと考えていた。そこで創ってもらった椅子として使う木の林檎箱に流木を装飾したものを電車の中に持ち込み、電車を降りてはゴロゴロと彼女が作ってくれた小さな台車に乗せて雪の残る東京の街を気分屋の台車を操り、やっとの事で運んだ。宅急便等で送るのも可能だが、私が持っていけば、その分彼女にギャラとして払う分が多くなる。そう思って運んだ。
実際、公演は相方とプロの助っ人のお陰、そして暖かい観客のお陰で無事に楽しく終わり、公演後は皆で親睦会となった。
そんな数々の物語が1つ1つの公演に存在し、自分の記憶に刻まれている。この欠如が現在の私のクラゲの様なふわふわした違和感の様に思えてならない。
そろそろまた、東京で新しい出会いと共に公演をしようか…。そう思う。

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む