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Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる映画を参考にしつつ、オンライン公演

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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2ヵ月に1回偶数月の第2日曜日に定期的にオンライン『朗読舞台』の公演をしている。そこでは画面に映る映像は主に私の胸部から上。勿論カメラを遠くに置いて配信する事もあるが、私のやりたい事としてはそれでは物足らず、結局胸より上で表現する。YouTubeなどでは朗読を静止画像と組み合わせ、姿は見せず声のみ登場なんて事も多いが、役者としては身体も使って表現したい。そして私がやる時は演者は私1人。人数が多い方が面白いのはわかっているのだが、それでも自分一人で何もかも表現したいという欲望もあり、そうさせて頂いている。自分の背後に映るバック幕も作品により作る。
オンラインで芥川龍之介の『羅生門』をやったときは、主人に暇を出された下人と老婆を演じ分けたかった。下人が一生懸命梯子を登っているところは手と上半身と特に目線を使いパントマイムで表し、衣類を剥がされ盗まれた老婆は、その惨めな姿を生声と緊張した体と手で表現した。
数十センチ先に置かれている画面に近づいたり離れたりその効果も利用してみた。上手くそれが伝わったかは定かでは無いが、何か感じとってもらえたことだろう。後から頂いたたコメントでは惨めな老婆の印象がとても強かったそうだ。シメシメ。
今回の作品は太宰治の『眉山』。ちょっと切ない物語。主人公の行きつけのお店には彼が誘って常連となった人々が出てきて“眉山“の悪口を言うシーンがある。割と登場人物がいるがその人物達を演じ分けたい。そう思ってこの作品を選んだところもある。
5、6、うーん7、8人位なら声やスピードを変えて演じる事は難しくはないが、画面越しには私しか出ない、一瞬にして姿形が変わるわけではないので、視覚によって惑わされる所もあり(視聴者と私の距離が近いので)、声やスピードだけでは矢継ぎ早に交わされる会話をうまく伝えることができない様だ。やっぱり視覚は人の思考におおいに影響を与えるものだと改めて思った。
最近観た映画の中にアカデミー賞にノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』があり、その中で戯曲『ワーニャ伯父さん』の読み合わせのシーンがある。キャストがいろんな言語を使う国々の役者だったり、手話で話す方だったりと、言葉が統一されていないので、読んでいていつ台詞が終わったかわからない。そこでセリフの後に机を『コン』と叩いて次の人が台詞を読むシーンが出てきた。確かに『コン』と合図するとその人の台詞が終わった印となりわかりやすい。
今回の舞台はこれを利用させて頂いた。1人の台詞を言ってサンプリングパッドを叩いて音を出し、次の人の台詞を言う。人物が変わったと感覚でおわかり頂けたら幸いだ。もちろん手も使い顔の状態も変えた。この人はこんな顔付で、こうやって顔の筋肉を動かしてしゃべっているんじゃないかな、なんて想像しながらやっていた。
顔が隠れている朗読なら声やスピードが変わっただけで他人だってわかるのだが。
さて、このこと以外にもいろんな映画を見て思っていたことがある。映画では人物の顔にカメラがすごく寄ってくれたり、急いでいる足だけを映したり…そうする事によってその人が何を考えているか丁寧に!?わかるように作ってあるものも多い。
私のオンラインの『朗読舞台』は多くは私の胸部から上をホーカスしっぱなしなので、この映画の要素も利用しつつ最近演じているつもり。有難いことに観てくださった方もコメントをくれる。
芝居を手軽に観客に見せたいというある方の思いから『朗読舞台』と名付けられスタートし、ここまで辿り着いた。朗読でもなく、朗読劇でもないこの『朗読舞台』という形はまだまだ進化できそうである。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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