[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

最近私は珈琲豆をお気に入りのお店で買う。そこでは珈琲豆を買う前に試飲をさせてくれる。珈琲をもっと一般の方に広めたいのと、購入者の好みの豆を買って頂きたいとのお店の思いで(豆のお勧めはしないそうだ)。
先日行った時も私が購入する珈琲豆は決まっているのだが、
『焙煎の状態が違うかもしれないので、試飲しますか?』
と聞かれ喜んで味見させて頂いた。この時、珈琲を入れてくれた方はいつもの方と違い、年に4回位しか入れないこちらの会社のトップの方であった。確かに入れて頂いた珈琲はいつもの豆なのだが飲むと何かが違っていた。
そしてその方が昔飲食店に珈琲豆を納めたときの面白い話をしてくれた。
ある店に行くとそこのママが自分にいろいろ話をしながら(なんと無く)珈琲を入れてくれるのだそうだが、その珈琲がとても美味しく、
『(自分のところの豆だが)やっぱり毎日入れる人のほうがおいしい珈琲を入れる。』
とまじまじ珈琲豆屋さんのトップが言うのだからこれまた興味深い話だ。
また、こんな話もしてくれた。
ある所で珈琲講座をなさった時の事、何グループかに分かれ珈琲を入れたのだが、その時少しやかましく騒ついたグループと真面目にジッと真剣に珈琲を入れていたグループがあったのだが、入った珈琲を飲んだところ、なんと騒がしいグループの珈琲の方が美味しかったそうで、
『珈琲を入れるのもセンスだね。』
なんてを話をしてくださった。
センスかぁ…。あったら嬉しいのだが、私の場合、夏の暑い日にも登場しない。こりゃまた失礼。
でも、センスは無いにしても、毎日とはいかないまでも続ける事は出来る。
もともと本を読むのが嫌いで、気がついた時には朗読が苦手で、自分の声も嫌いだった。しかしそれが仕事だったものだから下手でもやらざるを得ない環境にあった。最初のうちは、30分位の文章なのだが、なかなかスラスラと読めない。
昔、芝居の台本の読み合わせをした時に、先輩に文章(読み)が変な所で切れるのを不思議に思われた事があった。私もすらすら読める人が不思議で聞いてみたら、どうやら文章を読み慣れている方は文章の先まで目で追っているので、適切なところで文章を切り、読むことが出来るのだそうだ。慣れていない私は先の文字までいけず、声に出して読んでいる所の文字しか追えなかった。意図的ではない。
約30分の作品を1ヵ月かけて練習して、マシになったところで公演日となった。おそらく今ではそのレベルに到達するには2、3日で充分だと思う。
『どうやって発声の練習をしたりするんですか?』
なんて質問を頂く事も多いが、朗読公演本番が多くあるので、発声練習というより四六時中朗読作品の読み、公演作品の練習をしている。
そして今では大っ嫌いだった読書が、趣味の欄に書けるまでにもなった。本については、作品選びから初まり、公演のための朗読が終わったら、趣味の読書に移ってまた本を読んだりする。この時も声に出して読んだ方が私には落ち着くのだが、朗読してばかりだとなかなか文章が進まないのでもどかしく、朗読したり目で追ったりして本を読む。
声の事も最近はよくお褒め頂ける様になった。
数年前近隣の大学で社会人向けの発声講座があった。そこではオペラをされている方が講師で、低音、中音、高音の声の出し方の違い、身体の使い方をご指導頂き、なんとなく自己流であってはいたが、声の出し方の確かな自分の技術となった。
それと併せて最近顕著なのが、朗読をしない時の声の出や文章の読みの悪さだ。年齢のせいなのか、ここ10年近く朗読をしない時が続く事がなかったせいか判らないが、声を仕事にしているだけあって、朗読を疎かにすると怖い目に遭うのである。
*雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
軒下から落ちる雨水も、長い年月が経過すると固い石でも穴を開ける事。

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む