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Logo Mark歯を磨く様に演じる夜道でも、中身がわからなければ怖くない⁉︎

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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ここ数年不思議だと思っている事がある。子供の頃から暗い所は苦手で、自分の家でさえ電気の消えた部屋には入りたくなくて、部屋の電気をバチバチ全てつけてから入っていた。
桃の季節には五段の大きな雛飾りのある部屋で私は寝ていた。日中は(親には怒られるのだが)私達のよい遊び場となる五段飾りだが、夜になると薄暗い部屋では恐怖をそそる。
ある年、夜トイレに行きたくて目が覚めた。でも無性に雛飾りが恐くて、トイレに行くのを我慢しながら布団の中に潜っていたら、
『(トイレに)行ってらっしゃい。大丈夫だから。』
と声がした。実際に声がしたのか、脳に直接働きかけられたのか、恐怖のあまり自分でその言葉を自分に向けて無意識にかけてしまったのか、今となっては定かではないが、私はその言葉に安心してトイレに行き、再び眠りについた。
また社会人になってからのことであるが、30代までいた劇団の敷地の周りが林で、その中に住んでいたので、夜ひとりで真っ暗な林の一本道を歩くのはとても恐怖だった。夜中にそんな所を歩かなければ良いのだが、劇団から脱出し、頻繁に浦和に住んでいた友人宅に行っていたので、深夜その帰りは駅からタクシーに乗りここまで戻って来て(このタクシー代が、深夜料金もあり、電車代を超える程当時の私にしては高額で)、少しでもタクシー代を節約するために暗い林の前、タクシーのメーターが最後のひと目盛りが上がらない所でおろしてもらって恐怖の夜道を歩いて戻ってきた。
でもある時ふと思いついたのだ。
“想像しなければ怖くない⁉︎”
文章とかで“幽霊”とか“化け物”という漢字を見ただけではどうってこともない。中身がわからなければ怖くないのだ。
『おそらく私は想像力豊かなのだろう。』
そう思い込み暗い夜道を歩いた。頭の中を無にすることに集中しながら。そうすると目の前の視界もぼやけてくる。物を直視すると何かを考えてしまうから。奇跡の人に出てくるヘレン・ケラーみたい。
ある時からその夜道に街灯が連立した。それ程明るくない街灯だが、周りを見渡すのには十分な明るさであった。ある晩、夜道をやっぱり歩いていた私は、どこからかわからないが、酔っ払いの男性に跡をつけられていた。それに気づいた私は咄嗟に速度を早め、無我夢中で林の中の劇団の事務所まで、大声を出して走った。あれは本当に本当に怖かった。
『待て!』と言いながら走ってきた男性ではあるが、酔っぱらっているので、学生時代中長距離選手の私のスピードの方が早く逃げ切った。見える方が怖いじゃん!
でも、ここ6、7年前位からだと思うが、暗い建物に早朝1人で入ったり、真っ暗にして1人で眠ったりするのが、全くと言って良いほど怖く無くなってしまった。
その同じくして6、7年位前から有難い事に朗読だの芝居だのコミュニケーションの講師だの様々の仕事が増えて、起きている時はほぼ仕事に関する事を考える様になっていた。その習慣のせいだろうか、暗闇の恐怖や怪奇現象、幽霊だのへの想像力があんまり働かないのだ。脳が考えることを拒否している様子。
現時点一番恐いのは魔物よりも仕事が進まない事である。
仕事(仕事の仕方)が落ち着いたら又、昔みたいにカヨワキ乙女の感覚が蘇るのだろうか…。
そんな私も作品の中には恐怖シーンが度々出てくるもので、過去に溜め込んだ記憶を元に、身体のパーツや筋肉達を総動員して1シーンを演じるのである。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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