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Logo Mark歯を磨く様に演じる舞台の人

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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先日、アトリエほんまるで2人芝居「猫を探す」のツアー公演があった。そしてその公演は茨城県の百景社アトリエ、長崎県のアトリエPentA、愛媛県のシアターねこと日本各地の小劇場での公演に続く。
そしてそのトップバッターがアトリエほんまるであり、現在のところこの芝居でほんまる公演が日本最北端の公演との事である。
少しだけお手伝いをし、公演を観、アフタートークを聞きいろいろ面白かった。この公演、列挙した公演会場からもわかるように、割と広い地域の人が関わっており、公演当日その中でも比較的近くの土浦にある百景社の方も来られて、ちょっとした演劇の輪である。プロデューサーは三重県だし、役者は関西だし…。
そして頼もしかったのが、50をそこそこ過ぎている男性役者さんががっちり芝居に向き合っていること。
女性はともかくとして、男性役者さんとなるとそれまでは毎日芝居生活を送っていた人が、30の声を聞くとそろそろ落ち着かなくてはいけないのかなと不安になり、一般企業に就職してしまう事例をいくつも見てきた。芝居をすることによって毎月定額のお給料をいただいていた、前いた商業劇団も例にもれずそうだった。
勿論、(失礼を承知で言わせてもらうが)50過ぎの男優から若人の様な、
『芝居たるもんはこういうもんじゃ!俺についてこい!』
的な雰囲気は微塵も感じないが、それでも芝居に礼儀正しく正直に向き合っていられる姿がなんとも心強い。
そこに関して少し離れてしまうかもしれないが感じている事がある。でも、私にとっては全然離れていない話。
最近、シニア劇団の上演台本を必死になって探しているが、学生や20代30代が演じたらよかろうと思う台本が目につき、ましてや演劇経験の浅いシニアさん達が演じられる既成台本が役者人数も加味すると本当になかなか見つからないのだ。
『この年齢になってそんなにムキに芝居を作っているのって…』そんなことを不意に考えずにはいられない。
それでこの50過ぎの男優さんだ。
この「猫を探す」の公演のお話に戻るが、この公演、芝居が終わった後アフタートークがあり、役者も普段の服に戻りプロデューサー、役者、演出とのなんともゆるりとした日常会話的に舞台の上で繰り広げられた。
大体は風呂のお湯でいうとちょっとぬるめの38度位の話なのだが、数カ所、演劇人らしくやっぱり熱いというか激しい。
コロナ禍での練習であったお2人は公園で練習した時もあったそう。これは演劇人のあるあるではないかと思う。私も二荒山神社の桜の下や渋谷ヒカリエの地下で覚えていたこともあった。神社のスペースで1人練習したことも。
もっとも私の心に響いたアフタートークの内容が、ある小劇場での出来事。舞台装置が組まれ、やっと普通の会場で稽古ができるという時、そこの小劇場の方が安心して別の仕事に行って帰ってきたらきれいにその舞台がない…。小屋のステージサイズと舞台装置、アクティングエリアのバランスが良くなかったそうでその装置に演出が“No”を出し作り直し。1日で。こういう事態には巻き込まれたくはないが、これもやっぱり演劇人のあるあるだろう。
私の周囲でもこれに似たことがあって、八百屋舞台(ステージ奥から手前にかけて傾斜がついた舞台)に色を塗り、おがくずを調達し、上からトッピングと大掛かりな装飾をしていたのが稽古後、夜であった。ところが次の朝行ってみるとなんとそのおがくずを接着されないうちにとっているではないか!やってみたが気に入らなかったらしい。その時は演出自ら調達しトッピングし、そして最終的に気に入らずそのおがくずを剥がしていた。
夜ここで寝たのだろうか?
こんな事も演劇人よくある事である。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
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