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Logo Mark歯を磨く様に演じる高齢者を演じる事になりました

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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今年は9月19日が敬老の日。敬老か…。もっと若い時は年配者を敬うというより“お年寄りですよ”という印籠をを渡す、渡されるそんな感じがしていた。到底私はほぼ永遠にその区域には入らない存在で、全く他人事として話に加わったり聞いたりしていた。
『町内会からこんなの届いたんだよ。』酷く怒り気味で話していた事務担当で、ほんのたまに舞台で人が足りなくなった時に演じていた、60代?70代?の元気な女性の言葉。
そして『そりゃそうでしょう。』とその女性の妹からの返答。昔の仕事場での会話だが、敬老の日のあるあるかもしれない。
この妹様、私にとっては大先輩で当時60歳間近だった。
『60歳になったら引退出来るかな⁉︎』と冗談まじりで言いながら舞台の仕込みでは若者と共にいやいや、若者より先に立ち、重い照明道具箱を1人で持ち早足で運び、危険な高所に登って照明器具を仕込んでいた。ジーンズがこれ程綺麗に着られるこの年齢の人がいるだろうかと当時思っていた。
彼女、舞台ではピンク色の着物を着て年齢で言えば小学校低学年の役を演じていた。その役を別の若人がやった事もあるのだが、離れた舞台なら勿論そんな役者より上手くて格段に少女に見える。
さて、年配者。私にとっての高齢者は、お煎餅のぽたぽた焼きに書かれているような、おばあちゃんおじいちゃんが日向の縁側に座りながら、三毛猫とうとうと眠っているそんなイメージだ。
高齢者か…。70代ねえ…。なんでこんな事をうだうだ言っているかと言うと、近々公演する芝居の役が70代の婆さんで(おばあさん、なんて上品な感じじゃなくて)、しかもほぼ私に当てて書いてある様子。つまり動き、身体での表現が多い気がする。
動きが売りなのは台本を書く彼女だけではなく、自ら存じ上げております。
若き時演出家に、
『セリフで通じない場合は他のことで表現をしましょう。』
なんて言われた結果が、この身体全体の表現になったのではないかとも思っている。
この表現、日常生活でも自然に使っていて、私の親友にも『ヤコ(私)さんの動き大きいよね。』だの、たまに仕事関係の方に私が意見を述べた時には『演じてる⁉︎』なんて言われたりもした。演じてないから。あなたに言ってるだけだから。 まぁそれはいいとして、もともと年齢より若い役を演じることが多かった私だが、自分より何十歳も年上、それも最期を迎えそうなバッちり高齢者をやるなぞお初でして、コミカルな動きを入れつつ、ちゃんとその年齢に見える役作りをしたい。物語がそのせいで上っ面のものになりそうだから。
ところが、最近体幹を鍛える為、全くやっていなかった筋トレをほんの少しだけやり始めてみたら、腹筋が再び主張してきた。
稽古の時、近所のおばあちゃんが腰を曲げ、両足をやや開き気味で歩く姿を真似すると歩きやすかった。ちょっと前までは。今では少し歩きにくい。身体の方は老化させずに老女にみせたいね。
そうそう、最近凄いなぁと思う高齢女性がいる。多くの方がご存じの『90歳。何がめでたい』を書かれた佐藤愛子さん。先日朗読させて頂いた作品が、
94歳現役作家が悩みを解決⁉︎『佐藤愛子の役に立たない人生相談』
の中で彼女が29歳の女性の悩みを解決しているもの。若い人が高齢者の話を聴く傾聴なんていう言葉もあるが、佐藤愛子さんは彼女の悩みに歯に衣着せぬ物言いでスパっと返している。すばらしいとは思った。でも年寄りと言う感じが全くしない。そんな佐藤愛子さんも間もなく99歳。
インターネットの記事によると、おおざっぱな記憶ははっきりしているが、細かいことになるとわからなくなるそうだが、別に困らないからまぁそのままほっとく様だ。本当はわからなくなるのではなく、気にしないのだろう。
『ごめんなさい。すっかりボケてしまって』
と言えばすむそうで、いやぁ、これはいい手だね。
こんなの女性の姿を何十歳も若い私が描いてみたい。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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