[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる“めんどくさい”は考えず行うべし⁉︎

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

数年前までは仕事のオフの日は、どっかへ行ったり、何か技術などを取得したりする事に使っていて『1日中特にする事もなく、家にいてダラダラしているのは、勿体無い』と断然思っていた。
小学生の時も休日家にいた父親を見て、ああいう風にはなりたくないと思っていたが、しかしである、最近父はどうやらオール日曜日のリタイア生活を満喫すべく、毎日の様に地下鉄で何処かに出掛けて行っているらしい。
反対にほぼオール平日勤務中生活の私はというと、今度休みが取れたらダラ〜と一日中家にいようと考え、貴重な休みが取れた前日には食料とスイーツを買い溜めして心ウキウキなのである。朝は目覚ましに起こされる事もなく、好きなだけ寝る。と言っても習慣があるので早朝に目が覚めてしまう。
秋元康さんの爪の垢でも煎じて飲んだら私のダラダラが少しはマシになるかしら。
こんな風になってしまった敗因は、あの何にもしなくていい快楽を味わってしまったからだ。
先日、ラジオ放送をスピリチュアルカウンセラーの方とやっていて、“日々のやる気、モチベーションをアップさせる方法”について話をしていた。
これには必要な要素があって、
(1) 欲求
(2) 目的
(3) 体力
なんだそうで、この“(3) 体力”がやはり減ってきている様だと自己判断している。
慣れとはある意味凄いもので、私は決してショートスリーパーではないのだが、仕事スケジュールが詰まってしまう週の後半は3時間少々の睡眠で過ごしてしまう事もある。これには我ながらびっくりするのだが、やはりそんな時は睡眠が不足しているせいで、起きてはいるのだけれど仕事をしていても判断力に欠けたり、台本を手にしたまま、やる気の出ない時もある。
こんな事ではいけない!
そして、(1)の欲求や(2)の目的を達成しても嬉しくはあるが、否が応でもいろんなことを体験してしまった私は、夏休みに自分の育てた朝顔がやっと一輪咲いた喜びを、大人が宝くじで大金を当てた以上に表している小学校低学年にはなれないのだ。
欲求や目的つまり“したい”というより“しなくちゃいけない”と括ってしまう。
年を重ねるにあたりなんと勿体無いものを失ってしまったのだろうか…。
そして“しなくちゃいけない”にほぼおまけのように、いやおまけじゃない、オシドリの様に寄り添って付いてくるのが、“めんどくさい”という感情である。
しかし、この“めんどくさい”を少しずつ取り去る方法を習得しはじめた。
“めんどくさい”を引き起こす元のひとつは、「効率的に片づけられないか」と考え始めることだそう。
そこで私は無になってする事にした。小学校の時間割に4時間目国語と書いてあればそれを椅子に座って素直にうけた時の様に。
案外これが割と直ぐに身につく様で数日それをやっていると、今度はやらない事が気持ち悪くて罪悪感さえ起こってくる。
最近、パントマイムをやり始め、パントマイムはやせ我慢(体幹だの筋力だの必要)と聞いた私は、朝と夜は歯を磨く時バレイのつま先立ちをして磨いたり、音楽を聴いている時椅子に座って腹筋をしていたりする。その結果お腹のところが少しだけ以前のように筋肉が顔を出してきた。
あと仕事がなかなか進まない理由が“自分への評価がされるものだから”という心理学の先生の話も聞いた事があるが、決めた事を日課としてやり続けると好きとか嫌いとかそういうのはどうでも良くて、そういう行動ルールに自然となっていく。そしてやり続けることによってそれが“好き”という感情も出てきたりする。不思議だ!
こうして私は最近なかなか進んでいなかった創作活動を行動ルールにはめ込んで進めていくわけである。

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む