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Logo Mark歯を磨く様に演じるこの現代において、よりアナログに向かう

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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最近の舞台状況は表現するのに、より窮屈になりつつあると思う。これはあくまで私にとって。
というのは背景も映像やら何やらで出来てしまうし、ライトもLEDライトに移行してきて、有線ではなく無線で繋がってしまう。便利なようで全然便利ではない。機械ものに慣れているか、またお金を出して専門家を雇うかしないと表現が出来ない状況に感じるのだ。
以前芝居中に近くにあったライトが点いていない事に気づいた。そこでライトをとりその場で少々修理して再び点灯させたのだが、これはライトの仕組みが点いていないイコール、球が切れているか、断線しているかという単純なものだからなし得た技である。LEDライトになるともうお手上げである。
昔、パソコンを使えない初老のサラリーマンが、出世できないなんて話も聞いたことがある。その時は人ごとの様な感覚でいたが、まさか自分のやっている芝居でもそんなことが起こるなんて夢にも思わなかった。
1938年2月4日ニューヨークのヘンリー・ミラー劇場で初演され、その後、世界で一番上演されている戯曲ソーントン・ワイルダーの『わが町』は進行役(芝居中の役)である舞台監督によって芝居が進んでいく。
『これは何何で』
『ここには何があって』
という台詞が劇中至るところにはいる。
舞台装置はきわめて簡素で、小道具や書き割り(舞台背景)などはなく、すべて役者の動作によって表現される。
ここまで後戻りしなくてもいいが、機械の仕組みに詳しくなければ芝居ができないのは困りものだ。
東日本大震災直後『もしイタ ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』という芝居を渡辺源四郎商店の畑澤聖悟さんが慰問公演を前提につくられた。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という一時流行った小説をもじった話だ。着眼点にも驚かされたが、彼は一切の舞台装置、照明、音響効果を用いず、身体、言葉、声だけですべてを表現するようにし、それを大勢の高校生たちが舞台で駆け回り、いろんなもの、状況等を表していた。カラスの鳴き声なんかも舞台上にいる高校生が口で入れていた。私も宇都宮の文化会館で拝見したがとても面白かった。
そうなんですよね。身体さえあれば何処でも演じ、表現出来るっていうのはいいなあと最近つくづく思っている。
その為には、当たり前だがそれを観客にわかる様にしなければいけないわけで、舞台道具や背景の助けがない代わりに、役者への技量がより必要となってくる。
そこで私が最近練習しているのがパントマイム。私が教えて頂いている先生が言うには、その先生の先生は、
『マイムで表現できないものは無い!』
と言っていたそうだ。
そうかもしれない。体が舞台道具や背景に代わる道具なのだ。
しかし、最近マイムを練習していてつくづく感じているのが、かく体のパーツの可動範囲が私に比べマイムの先生は驚くほど広い。
例えば腕にしても、手のひらを固定すると関節から下の肘までの腕部分はなかなか動かないのに、まるで車のワイパーのように手のひらを固定したまま動いたりする。これには驚いた。同じ事を真似ても全然違うんだよね私とは。自分の体が自分の思うように動かせることで、その状況を表現する事が出来るのはわかっているが、私の場合自分の体が自分の思ったように言う事をきかない。角度だったり動きのちょっとの違いの結果が大きいんだよね、本当に。
これがすんなり自分の思うようにできたら面白いだろうな、なんて思う。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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