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Logo Mark歯を磨く様に演じる舞台の道具について

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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何年前になるんだろう?? 鹿沼の、プロで人形劇をやっている人形劇団のお正月公演を観に行った事がある。確か『びんぼうがみとふくのかみ』じゃなかったかな?
ここの人形劇のやり方は人形だけが舞台に登場するという訳ではなく、登場人物(人形)の他に人間も役者の様に出てきて人形と会話したりする。人形劇と言うよりむしろお芝居って言う方があっている人形劇で、観ていてベテランの安定感充分でとっても落ち着く人形劇なのです。
“観ていて落ち着く”要素の1つにはこれがあるんじゃないかと思う。人形や舞台や舞台中出てくる小道具が細かく丁寧に作られている事。
『これが陶芸家さんや、人形作家さんなら個展だわね。』
なんてその人形劇団の道具を見て思った。
私もいろいろな小道具を使って演じてきた。値段じゃないけれど一体20万もする猫の“くんちゃん”の人形を使ったり、『鶴の恩返し』の時はこれも値段は聞いていないがおそらく相当お値段のする鶴の人形を飛ばしていた。
人形は勿論オーダーな訳で、くんちゃんの場合、お腹のところに手を入れる穴が開いていて、そこの中に手を入れると人形を支える支柱と首を動かすパーツと瞬きさせる引き手と、耳を少し動かす引き手があって、まあ演じ手の想像力にも比例するが、あたかも本物の猫の様に動かす事が出来る。
『鶴の恩返し』の時の鶴もそうだが、羽を大きく広げた鶴のお腹の下に黒い支柱が付いていて、その一番下の所に操作取っ手がさりげなく付いていて、鶴を飛ばし動かしながら大きな羽を羽ばたかせる事が出来る様になっていた。
羽は確か白と黒の薄い和紙か何かで一枚ずつ付けられていた。
こんな貴重な道具をあてがわれてしまうと、
『否が応でもそれに見合うだけの使い方と言うか演じ方をしなくてはならん!』
となり、より注力して練習に励むわけだ。先輩からくる無言のプレッシャーもある。
そしてそういう道具は繊細で毎日バスに道具を乗せ移動している劇団が取り扱うには少し壊れやすい所があるが、それでも人形職人が舞台で何度も使う為に作ってあるので、そんじょそこらでは壊れない。専用の箱を作り、荷物を載せているバスの後ろ側のスペースではなく壊れない様人間と一緒の乗車席にいたりとよろしい待遇なのである。
道具について困ってしまうのが、よろしくない道具をいただいた時。商業劇団にいた時はそんな事は無くて、先輩方は道具を作るのにも慣れているのでそこそこレベルの高い道具を作ってくれていた。なおかつ使いやすいものを。
当たり前と言えば当たり前かもしれない。それが仕事なのだから。
よろしくない道具をいただいた時は、まずモチベーションが下がる。そして作り直すにも製作者に悪いなんて気持ちになる。
『仕事で忙しい中、そしてこういう事得意じゃないんだろうけど頑張って作ってくれたんだよな。』
こう思うと思考回路が停止してしまう。
少々なら自分が使い安い様改良してしまえばいい。それは役者として当たり前なのだから。
しかし、少々で全く駄目な場合もあり、その時は私の使用する物ではなかったが、演出と共に作者が別の仕事をしている日中に、
『これ、作り直すしかないよね(涙)』
『そうだよね…。』
と本番迫った時期に作り直した事もある。作者への言い訳は口がたつ演出がしましたよ(言い訳じゃないか⁉︎)。
でも、道具がまだあるだけ良いのかもしれない…。
別の公演の時だが、担当から届く届くと言われていた自分の被る道化師の帽子がゲネプロの前日(本番2日前)になっても届かなく、いつも衣装を作ってくれている方と材料を探し、夜な夜な作ったこともある。
残念ながらどこに行ったのか、結局公演が終わってもその帽子は届かなかった…。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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