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Logo Mark歯を磨く様に演じるセリフは何処に?

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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筆をとる…、今じゃ筆なんか使わない。
先日、近所の八坂神社のどんど焼きに行った。どんど焼きは年神様が空に帰っていくのを見送り、五穀豊穣や無病息災などを祈る祭事で、どんど焼きでは、主に門松やしめ縄、破魔矢などの正月飾りや書き初めなどを燃やすそうだが、書き初めなど全くなかったよ。
昔の人はよくパソコンもワープロもなく、小説や脚本が書けたなとつくづく思う。
物事、ある程度頭の中で組み立ててから、紙に鉛筆やペンでおとしていかないと何枚紙があっても足りないと思う。鉛筆なら消す事も出来ようが、ペンだとそうはいかない。紙面がぐちゃぐちゃになる。
それに対してパソコンは便利だ。思いついたら少し書き、またいいネタが出てきたらどんどん前やら後ろやら途中やらに文章を足せばいい。
なんて便利な時代で生活しているんだろう私。
『良かった!』
ではなく、ちょっと困っている。
何せ便利だが、情報量が多い現代に、泳ぎに例えると下手なバタフライの様に派手に溺れそうになりながらなんとか沈まずにいる私。
この情報量の多さが問題で、毎日、必要と思われる情報をとるのが精一杯で余白がない。これが私の表現活動の足枷となっている事に、最近気づいた。
『今か!』
と自分にツッコミたくもなるが、まだ気づいただけ良しとしようか…。
と言うのは、芝居の脚本をまた書き始めたところ、なんとなくこんな事で書いていこうと“筆”、ではなくパソコンを持ち、始めたのだがあっという間にストーリーが終わってしまう。
不思議に思い、最近シニア劇団で使っている台本を思い浮かべてみると、言いたいこと以外のなにげないセリフや「あ」とか「う」とか一見意味の無さそうなセリフの羅列なのだ。
役者方々は覚えるのがとても大変そうだが、確かに現実の環境ではあまり意味のない、たわいも無いセリフが殆どなのだ。
『おとーさん、飲み過ぎ!』
『ああ。』
『おとーさんがそんな事するから、この子が真似するじゃない。』
『へい、へい、へい』
なんて。家族団欒の会話だ。
これだけでは確かに意味がないかもしれない。でも例えばお父さんが“いつ会社を辞めて、独立しようかお母さん(妻)に話そうか”と平静を装いタイミングを見計らっていたとしたら、芝居ではその会話の中で探っている雰囲気が出せるわけだ。
自分は自分ルールで好き勝手に毎日を過ごし、友人と話す時も互いの主張を好き勝手に言い合っている様な気がする。なんて余白のない会話だろうと振り返る。
勿論お互い言いたい事が言えてスッキリするし、メールじゃないがさっぱりはっきりしている。
だがしかし、しかしである。
人と人との関わりを重視する表現活動となると、面白くもない。
人間表もあり、裏もあり、好きで嫌いと、とても複雑なのだ。それが面白いのでは無いかと思う。残念にも自分にはその要素があまり無い。無いものはしょうがない!
有り難い事に周りを見渡すといらっしゃるではないか、そう言うお話が得意な方が。
『あー、ここの鳥天美味しいんだよね!』
『どうしようかなー、鳥天にしようか、カツ丼にしようかなあ〜? 迷う〜』
とても幸せそうである。
私は瞬時にメニューを見、無言のうちにスパッと“カツ丼”に決まっていた。
23時過ぎ。
こんな余白も脚本を書くには必要な要素だと思う。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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