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Logo Mark歯を磨く様に演じる自分だけの言葉

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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先日もうちの母と電話をしていたら、ここのところ幾度となく繰り返される文言がまたもや登場した。
母『不思議だよね。子供の頃は国語苦手だったのに…。』
どうやら母にとっては不可解でたまらないらしい。私が役者や朗読、演出、発声と大きくくくったら国語関係の仕事をしている事が(笑)。
確かに賞をとった「ヘレンケラー」の読書感想文は母が書いてくれた。
しかし、幼少時代から自分の身体を通しての思いや感覚が鈍かった訳ではなく、一般的な“言葉のパターン”を使ってそれを表現する事が苦手だったのだ。
小学生の時、作文の時間に好きな事を書いていいと言われ、好きな様に、
“私が作文が書くのが苦手なわけ”
と題した、苦手理由から始まる自己分析を書いたら、担任の先生に、
『変わった文だね。』
と褒めも貶しもしないニュートラルな言葉を頂いた。そりゃ先生も困るわね。上手くないので褒める訳にもいかず、また大袈裟に万人に解る様に赤ペンを入れて子供の欠点を深掘りする訳にもいかず、教師から見たら、
『こんな文章書かないでよ〜!!』
でしょうね。
でも、その時から触覚等の感覚、空気感は割と敏感に感じていた様な気がする。他の人には解ってもらえない感覚的な物を宮沢賢治のオノマトペ風に表現したり、これまた人に解ってもらえないが、自分流に物事に例えたりしていた。やっぱり解ってもらえないのだが。
とりあえず、自分的な感覚表現があったのは覚えている。
だが、気づいてしまった。最近はそれが長らく無くなっていたのを。忙しすぎたのだ。不器用の私にとっては。
薄々解っていたものの、それを強く思わせてくれたのは1月に発表された芥川賞受賞作、井戸川射子さんの『この世の喜びよ』を読んだ時だ。
この物語は特に大きな事件もなくて、ショッピングセンターの喪服売り場で働く女性が、フードコートにいる少女が気になっている等、些細な物事がビロードの様に濃厚に書かれている。
“あなた”と言う言葉が独特に使われていて、慣れないと読みづらいのだが、次の日のラジオの書評コーナーで取り上げられる小説だったので、ゲストとして出る私は、忘れていく訳にいかない宿題の様に深夜義務感に近いかたちで読んだ(というより視線を次々に進めた)。その時は、なんだかよくわからなかった文章だが、どうしても気になって次の朝、早朝の短い時間を使って最初の所を読み返すと、なんとなく面白みが伝わってきた。噛めは噛むほど味が出てくるスルメのような感覚。
放送後、丁度その日は歩いて10分とかからないホテルに予約を入れていたので、何もしないと決めていたホテルでじっくり読む事にした。
再度読んでん見ると一見何でもない事や気にしなければ何もなく過ぎてしまう誰でもあろう事が、細かい独特の表現モリモリに書かれていてとても面白かった。
私にとって頭で理解するというより体の感覚で体感するという小説だった。
小説「この世の喜びよ」を整えてあるホテルのベッドの上で広げながら、硝子越しに大きく開かれた宇都宮の町が濃い灰色の整わない凸凹から、赤みをおび、やがて無造作に宝石が散りばめられた宝箱に変わっていくのをゆっくりと小説と共に楽しんでいた。
読み終え、最上階の星空に一番近い露天風呂に入った時には、夜風が心地よく、水面の細かな微粒子の大群が大気中に舞い、風にさらわれて行くのを何とはなしに眺めていた。
自分だけの感覚がいつ頃から無くなってしまっていたのだろう。
自分だけの感覚を磨き直したら、表現者として今とは少し何かが前進したり、変わるのだろうか…。

4月8日(土)14:00〜オンラインzoom公演

坂口安吾『風博士』。
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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
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