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Logo Mark歯を磨く様に演じるわが家の聖域

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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私の家の廊下にはスチール製の比較的大きな棚があり、その棚の横には光沢のないペンキで塗った折り畳みできる扉がある。軽自動車で運べるように真ん中で扉が折れる仕組みになっている。そしてそれらが狭い廊下を通行不可にしている。
ガスの点検や何かの修理に来た人は廊下が通行出来ないから、必ず寝室兼仕事部屋を迂回路して、台所や浴室にたどり着かねばならない。お見苦しいかなその部屋が作業真っ只中で片付いていない事も多々あり…。
その棚一帯は、ここ10年位の仕事の積み重ねで出来たもので、断捨離して自分のすみかをスッキリさせたいと思いながらも、なかなか手が出せない場所である。
断捨離の手始めとしてもう着なくなった服は捨てましょうとかいうが、役者などをしていると案外それが不味かったりする。
というのが自分とは違った役をする事が多いので、日頃着ない服の方がむしろ良くて、そして他の役者とのバランスもあるので、服の数は数種選べる位ある方がいい。
昨年、一人芝居をした時、受付に衣装の上に通常着ている派手めな普段着を着ていたらお客様に、
『鵜飼さん、衣装でここにいていいの?』かなんとか言われ、受付の友人が、
『これ、鵜飼の普段着。』
なんて会話があった(笑)。
こんな時も色々服が有れば便利な訳だが服に関してはそこそこ断捨離をしてしまいましてこんな事も。
しかしこの棚やその周辺は断捨離出来ず、舞台で使ったドロップ(背景)や幕や大道具や小道具で溢れている。
もう再演はしないかもしれない…、いや、するかもしれない。この希望がこもった“するかもしれない”に気持ちが持っていかれ、捨てられない。捨ててしまってそれをまたやる時に作るのは大変だ。ファッション誌に載っている服の着回し30日ではないけれど、道具だって何かの芝居に流用出来るかもしれない。そう考えると捨てられないのだ。
何年も前にやったクリスマス公演での二人芝居の衣装。一瞬で着られる様にギャザースカートをマジックテープ留めにした。それと共布で作った大きな髪飾りのリボン。スチールざるで作った(ほぼスチールざる)兵士の帽子。朗読舞台用に作った大正時代風のモノクロの背景、太宰治の『チャンス』用に下手に筆で書いてもらった『人生はチャンスだ!』という折り目をつけたくない体育館の舞台につるす様な大きな紙。錆びたトゲトゲの長い有刺鉄線。
ジッタリン・ジンの♪あなたが私にくれたもの…♪で始まる“プレゼント”の歌詞じゃないけれど、全てあげたらキリがない。
それが廊下を所狭しと占領している。こうやってツラツラ書いていると占領しても当然の様なこと“当たりまえ”に思えてきた。ここはアナーキー地帯ではなく聖域なんだ。
そしてその仲間が先日また増えた。工夫して作った“バースデーケーキ”。
先日のシニア劇団スターライトの公演の時使ったものだ。バースデーケーキに炎がともり♪ハーピバースデイトゥユー『ふぅー』で蝋燭の炎を吹き消すあの当たり前のシーンだ。
この当たり前のシーンも舞台では当たり前ではなく、炎を使う危険な所、本物の火を使うと幕を燃やしかねないので、イミテーションの火が消せるホールケーキを作った。
ダイソーでLEDのクリスマスイルミネーションを買い、ザルを買い、それに白いフエルトを貼り苺をのせ、自画自賛だがドーム型の可愛らしいケーキが出来た。蝋燭は手元のスイッチでつけたり消したりできる。蝋燭を綺麗に立てるのは少々苦労した。
これはもう捨てられない。おそらくこれを使う機会はもうないだろう。けれど手放せない。
こうしてわが家の聖域が着々と拡がっていく。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
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