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Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる面白いこと

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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先日もオンラインで舞台をやった。こちらは2ヶ月に1回偶数月に定期的に公演している。コロナが騒がれはじめた頃からやっているので、もう3、4年位になる。動きも少なく朗読に近かったり、ほぼ演劇公演だったりと、その時その時でいろいろなやり方でやってきた。
最近はパントマイムマイムを取り入れて公演したり、手元にある物を別の物に見立てて使い、演じる事が多い。というのも、パントマイムは何も用意しなくても自分の身体を使って行うので、ある意味割と都合がいいのである。
しかし今回、そんなマイムを多用して演じていたらある事に気がついた。
それは、
『見えない所もちゃんとやっていないと、やっている事が嘘臭くなる事。』
劇中で宇宙空間を表現するシーンがあった。無重力の為、上下前後にふわりふわりと移動するのだ。
私がオンラインで行っている時は主に上半身しか画面に映っていないので、画面に映っている所のみ、上下前後に動いていれば成立するのだが、そんな一部だけ使った動きをすると嘘臭い、というかむしろその動きが、安物くさくなるのである。
身体はなんとも思っていないのに台詞に“面白い!”という言葉が書いてあるから『面白い!』と言っている感じに似ている。人間の身体は皆さん当たり前に持っていて、なにげなく使っているので、些細な動きが見ているほうに違和感となって伝わる。おそらく見ている方は違和感の理由ははっきりしないだろう。
ちゃんと下半身も使って身体全体で表さないと駄目なのだ。そこがなかなか画面には映らないが、シンドイものだったりする。
物事ってやっぱりそういうものなんだと改めて思うのである。
今回はマイムと見立てを多用して海野十三『ある宇宙塵の秘密』を演じたので、僅か30分の舞台で日頃あまり汗をかかない私が、汗だくになった。その甲斐というわけではないのだが、
『見せる舞台だね。観ていて面白かった。』
など感想を頂いた。私の“面白い”に賛同して頂き、有難い限りである。
今度はこれらの作品をオンラインではなく、生の舞台でやりたいとも考えている。
『画面に映らない所ではこんな事してるんだぁ!』
と私なら思うし、見たいと言う感想も頂いた。
涼しい顔をしながら見えないところでガサガサ音がするビニール袋を左足で手繰り寄せ、踏みつけながら、
『砂利道をザックザックと歩きながら私は思わず胴ぶるいした。』
なんて台詞を言っている。いい大人が真剣にそんな事をやっている姿、なんかちょっと面白いと思う。
大人になると子供みたいにちょっとした事が楽しめ無くなると思っていた。
“箸が転んでもおかしい年頃”はずっと昔に過ぎた。ちなみに“箸が転んでもおかしい年頃”とは、日常ごく普通のできごとにもよく笑う年頃で、特に女性の10代後半をいうのだそうだ。
でも、10代後半ではなくても色んな事が、特に最近面白い。まだまだやったら出来るという事があまりにも沢山あったり、誰かが企画してくれた事を斜に構えず、すんなり加わり面白がったり。普通に身体全体で面白い。頭でも面白いし、胴体から伝わってくる感覚でも面白い。
ただし、面倒くささがここ数年、コロナ禍に入ってからだろうか、私を操りつつあり、面白さを体感する行動にいたらない事も多かった。でも最近は、
『面倒臭いんだけど〜!』
と脳内で声がしても、それを押し切って動くと、色んな事が面白い。
演じる事も一時期は(手を抜いている訳ではないが)なんとなく演じていた。演じることが真夏の大花火大会のような一大イベントではないので、なんとなく演じているのはある意味自分のライフワークとして間違ってはいないのだが、それもなんとなく腑に落ちず、考えないようにしていた事もあったのだが、今は演じる事も含めいろんな事がとても面白いのです。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
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