[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる一人芝居『ある宇宙塵の秘密』の公演

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む

私の一人芝居制作は、一人で作品を選び、演出を考え、大道具、小道具を考え作っていく個人作業が殆どだ。これは自分の性格に至極あってはいるのだが、時としてナメクジよりも遅い事がある。
仕事だから“やらない”という選択肢はないのだが、先延ばしにしてしまいそうになる。制作担当がいるといいのになぁと思ったりもするが、これがいたらいたでやっぱりそのアラ探しをするのだろう。
今回もなかなか進まない私は今春、仲の良い友人に決意表明をし、
『コロナの状況がある程度落ち着いたので、カフェでの公演を再開しようと思う。』
と言ったが、いつやるのか平日なのか土日なのか、料金はいくらにするか、演目は何にするかなど、考える事が次々にでて、長らく公演決定には至らず、しばらくして、
『まだ決まってないの⁉︎』
とちょっと呆れられた感じで彼女に言われてしまった。
彼女は私から見て、成功させるのが難しいと思われる事も果敢にトライをするとても羨ましい行動力の持ち主なのだ。だってどれが成功か不成功かなんて、その人の価値観次第のところもあるし、一生懸命やれば経験という財産がもれなくついてくる。
結局、馴染みのカフェに行き『公演をやりたい』と勢いで言い、お店の方の『是非是非!』という言葉に背中を押され、そこで日にちを決めた。こうなったらもう進むしかない。やっとだ。
さて、今回はオンラインで台本を見ながら公演した朗読舞台作品、海野十三の『ある宇宙塵(じん)の秘密』を一人芝居にする事に決めた。それは、
『これは絶対(画面越しより)生でやった方が面白いよ。(身体やその周りの状況)全部見られるし。』
と観てくれた知人が言ってくれたからだ。
そうなのだ。作品の中で、画面の見えないところで足でシャカシャカ音のする袋を手繰り寄せ、寒空の下歩いている足音を出していたし、宇宙遊泳だってしていた。無重力空間をゆっくり浮いている上半身のアップのみより、ちゃんと下半身の動いている状態も見せた方が面白いに決まっている。
余談になるが、宇宙遊泳の動きは見えるところが上半身だけだからといって、省エネして上半身のみ、動かしても安っぽい動きにしかならない。
身体は上下繋がっているので、下半身を省エネしたら上にも影響がでてくる。その状態に自然な呼吸をつける。そして呼吸が不自然となるとなんだか身体の動きもヘンテコになる。
歩くパントマイムも割と長く使っているのだが、この大事な呼吸の仕方を間違って(通常ではない呼吸の仕方)しまうとナンバ歩きになってしまう。あの卒業式で卒業証書を校長先生から受取りに行く時に見る、足と手が揃って出てしまうやつだ。
そして今回のやりたかったポイントは、自分の身体であらゆる事を表現する事。
ロケットも(椅子はないが)椅子に座る事も、同僚も守衛さんもサール博士も、話のト書に書かれている状況も音響も。
現代、音響機器も素敵に発達しているし、大道具だっていいのが作れる、壁にプロジェクターで背景や人物も簡単に投影が出来る。
しかし、私としては、芝居に関しては文明の力使用ばかりでは宜しくない気がする。
手軽に機械化の多用は物語を軽くしてしまう様な感じがするのだ。
先日観た有名劇団の芝居も人物が入れ替わるのを雛人形の様な顔のお面と、隠し扉のなんともアナログな変身方法でやっていてホッとした。テレビとかだったら映像切り替えで済ませてしまうところだろう。
このアナログ感が心地よいのだ。
という事で、あくまで全身を使って冷房の中、汗をじんわりかきながら稽古をし、本番を演じたのであった。

宇都宮のシニア劇団スターライト劇団員募集中!

問い合わせ、申込は下記のメールまでどうぞ。
メール

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

続きを読む