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Logo Mark連載記事

Logo Mark歯を磨く様に演じる人間余白があるから面白いのだ

鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
日本演劇教育のさきがけ的な存在である劇団らくりん座の正式団員として全国各地で公演を経験。
朗読や表現、コミュニケーショ...

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先日見ていたテレビに、ある凄腕ドクターが出ていた。勤務中に左手で箸を持って食事をしていた。左利きかと思いきや、実はそうではなく、右手は仕事をし、左手では食事をするそうだ。
『オット!右手でマウスを持ち始めた!』
効率的でなんとも現代的である。
私も左手で箸を持ち食事をしていた時があるのだが、私の場合は右手で食事をしていると食べ終えるのが皆より随分と早いので、
『左手で食べたら⁉︎』
という母の助言から出た改善策だった(しかし、すぐに左手も早くなってしまった)。そして私も左手で食べ、右手では鉛筆を持ち、何かをしていた事もあるが、なんとも自分が蟹になった気分で落ち着かなかった。
昨日、東野圭吾さんの『クスノキの番人』という本を読んだ。細かい字で書かれた500ページ弱の本を一気に読んでしまった。
読み終えた本を友人にあげようと思ったら、文字と本の厚みを見て、
『いいわ(いらない)。』
と言われた。
私としては、
『文庫本で1,000円ちかくもするのだから、これ位読み応えがないと。』
と思ったりするわけだが、動画を見慣れている現代人には文字が小さく尚且つページ数が多い本は好まれないのかもしれない。
さて、東野圭吾さんの本を読むたびに凄いなと思ってしまうのが、伏線の多さだったり、人物のキャラクター設定の緻密さだったりである。
おそらく、伏線をほぼ無くしてキャラクター設定を薄くしたら500ページが半分以下になるだろう。
脚本を読む時、「行間を読め、行間を読め」とよく言われた。まさにこの行間の様なことが500ページの紙いっぱいに散りばめられている。この方、芝居の演出をしたら面白いものが出来るんじゃないかと感心しながら読んだ。
“手帳を忘れて焦っている理由がちゃんとある(しかしその時点ではそれほど目立たない)。”
“出てこなくても話が成り立つ登場人物が話を膨らませる”
この様な一気にゴールにいってしまわない作品が、私を動画からそちらの世界に引っ張っていく。とにかく面白いのだ。
話は変わるが、芝居をやっていて、やりたい作品がシェイクスピアである。どうしてあんな昔の作品が現代まで演じられ続けているのか、その面白みを体感したいと思うからである。
もともと読書家とは程遠い私が、ある時シェイクスピアの作品を読んでみようと思った。そこでなるべく読みやすそうな薄くて文字が少ない本を選んだ。
図書館の子供向けのコーナーに並んでいる“マクベス”の本だ。
大人になってから読んでいるので勿論あっという間に読めた。
“小心者な将軍マクベスが妻と計画し、妻に誘導され、主君を暗殺し王位に就いた。その重圧に耐えきれず錯乱して、そして貴族や王子らの復讐に倒れる。”
あらすじもわかった。
しかし、あらすじはわかっても全くもって面白くないのだ。これじゃ、読者が大人のコーナーに置いてある長い長いマクベスの本に手がいくだろうかと思ってしまった。様々な細かい部分、余分だとシェイクスピアでない人間が思った部分を取り払ってはいけないのだ。
人間、そんなにシンプルではないし十人十色の事情がある。それが絡み合うから面白いのだ。
しかし、それを僅かでも表現する(観ている方にわかる)にはどうしたらいいのか。そういった類の面白みをどう伝えたらいいのか。
4月21日(日)にはシニア劇団スターライトの第4回の公演がある。その公演を前にしてそんな事を思ってしまうのである。

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鵜飼雅子

舞台役者、朗読家、アトリエほんまる 副支配人。
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