2024/09/13
小中高を通して吹奏楽部に所属し音楽の楽しさを知る。20代から本格的に音楽活動開始。主に美術館、カフェ、レストラン、ホテル等で演奏し好評を得る。
結婚、出産を経て子育てに専念。11年...
先月、慈光寺での奉納演奏で、
「竹田の子守唄」を歌った。
ワタシ、この曲は昔からのわらべ歌だと思っていたのだけど、フォークグループ「赤い鳥」の曲だった。
1971年。B面は、「翼をください」だ。
「竹田の子守唄」…哀愁が漂ようとてもせつない歌。
被差別部落を意味すると噂が広まり、問題視されたが、今は、緩和されカバーされる名曲である。
子守唄ではなく、子守りをする人の唄で、守り子唄。
ワタシは、親のいる家に帰りたいと心で思いながら、奉公している女の子の気持ちで歌っている。
なんとも切ない歌だ。
でね、この歌に、元となったものがあるのを知ったの。
明治時代から歌われていた民謡で、
子守をしている10歳前後の少女の心境を歌ったもの。
赤い鳥の「竹田の子守唄」は、とても悲しい感じがするけれど、
元は、歌っていたのは少女で、
赤ちゃんをおぶりながら、明るく悲壮感はなく歌っていたんじゃないかなと思ったんだ。
子供時代って、その時は自分はかわいそうとは気づかず、大人になってから振り返ると、
「あ…自分はかわいそうだったな」なんて気づくというか…。
あ、思い出した。
ワタシの小学生の時のこと。
吹奏楽部に入り、なんの楽器をやりたいか考えたとき、母子家庭だったワタシは、購入しなくてもいい楽器を希望した。パーカッションだ。
今思うと、なんともいじらしいというか…子供なりに考えてたんだなぁと。
でも、当時のワタシは別に悲壮感はなかったんだよね。
「うちは買えないから、買わなくていい楽器やろう」とただそれだけ。
それから、次に担当した楽器はホルン。カッコいいなぁと思っていた楽器。買わなくてよくて学校にあるホルンを使えると知った時は嬉しかったなぁ。
子供時代のワタシは、悲壮感はなかったんだ。
この竹田の子守唄を歌いながら、子守をしていた子たちもそうだったんじゃないかな。
歌詞の最後に全て、
「どうしたいこりゃ 聞こえたか」とある。
これがさ、辛い状況を笑い飛ばしているように思う。
辛いと思っても、何も変わらない奉公の毎日。ならばと明るく笑い飛ばす。
これ根性がある。
そして、「歌」ってこれが本当の形じゃない?歌の役目というのかな。
歌っている時は、現実逃避。
メロディにのせて気持ちが明るくなるのだ。
少女達は知っていたんだよ。
歌って笑い飛ばすことを。
これは、生きる術だよ。
「歌」って、世界がある。その世界に入れるんだ。現実はどんな状況でもね。
竹田の子守唄の元唄を知って、
歌の根源を知りたくなった。
今の世界は、どんどん進化して、
便利になって、複雑になっている。
複雑な事が可能な世界だ。
でも、そこをあえて、逆行してみたいと思った。
ワタシが吹くオカリナもとってもアナログな楽器だ。土から出来ていて、
息を吹くと音が出る。
そんなものにとても魅力を感じ惹かれる。
「竹田の子守唄」の始まりを知って、
その頃の歌にとても興味をもった。
人と暮らしそのものが歌になり、
歌いながら暮らしていく。
歌というものは、生きていくために、必要なものなんだ。暮らしに直結している。
ワタシが求めているものは、
これなんじゃないかな。
2024年9月27日(金)、
栃木県宇都宮市【カフェマリオ】にてBGM弾き語り。
15:00〜15:30
16:00〜16:30
チャージはなく、オーダーをお願いします。
ポロンポロンと唄っております。ふらっとどうぞ。
《カフェマリオ》
栃木県宇都宮市昭和2-9-20
tel:0286225666
コミュニティーラジオ「ハルとナオミのブラックホール」放送中。
ミヤラジFM77.3。
毎月第3火曜日15:00〜15:55。
次回は9月17日(火) 15:00〜15:55。
小中高を通して吹奏楽部に所属し音楽の楽しさを知る。20代から本格的に音楽活動開始。主に美術館、カフェ、レストラン、ホテル等で演奏し好評を得る。
結婚、出産を経て子育てに専念。11年...
準備中