2019/06/17
さだまさしさんの楽曲「親父の一番長い日」とか聞いているとほぼ必ずと言っていいほど最後には泣かされる。
12分30秒というバカげて長いこの曲。こう言っては失礼かとは思うけれどもコード進行や歌メロとしてはあまり派手に展開しない中で歌われているその物語をいつの間にか追いかけ、そして聞く度に同じ場所でグッと来てついつい嗚咽してたりする。またうまいことに、その場所の周辺にだけ、その少し前にいい間奏があったり、それまでとはちょっとだけ違うメロディーとかが仕込まれてたりして、ホントよくできてるなぁと思ったりもする。
しかしこの肝はきっとそこに語られている物語なのだと思う。
聞きながらその歌詞の言葉から情景を想像し、頭の中でその物語を浮かび上がらせ、そして、その浮かんでいる脳内映像に感情移入してしまうのだ。
それはまるで小説を読んでいるようでもあり、小津安二郎の映画を観ているようでもある。
単純に「すげぇ」なぁと思ったりする。
そもそも歌詞の中で物語を紡ぐのはとても難しいと思うんだよね。
まず映画やドラマのように映像がないから、さまざまな描写や場面等を、文字のみで表現しなければならない。
それだけなら小説等と変わらないということにもなりそうだが、なんたって歌詞となれば文字数の制限がものすごい。つまり、めちゃくちゃ少ない情報量の中でそれを表現した上で伝えなければならないということになる。
まぁ日本には古くから俳句や短歌というような文化があるから、制限された文字数の中で秀逸な表現をするということについてはできなくもないことなのかもしれなけれども、しかし歌詞の場合はメロディーに上手く乗る必要性とか、ポピュラー音楽の形態からすれば1番2番等の繰り返しにも合致させるというような必要性も出てくる。
さらになによりも、文字を文字として読ませるのではなく、音として聞かせるのだから、聞いた時点でそれが分かるというような気遣いも必要だ。
考えただけでもう大変。こんなのよくやれるなぁとしか思えない。
こんなことなんでできるんだろ。
ふと、具体的な(というか写実的な…かな)描写が多いことに気づく。
例えば、冒頭「おばあちゃんは夕餉の片付けを追えた時」から「街頭テレビのカラテ・チョップが白熱した頃に」なんて、もうその場面を見せるだけではなく時代背景まで見えてくる。その他にも、「赤いランドセル背負ってか背負われてか」あたりもそう。しかもこれが「一枚のスナップ」だというのだから、それを見ている絵すら浮かぶ。
こんな表現がもうてんこ盛り。だから本当に自然に、それらの言葉が自分の中の引き出しと結びついて、勝手に聞き手の中でそれぞれの映像を映し出し始めているということになる。
これって単に文章における描写力の成せる技かなぁ。
そういえば以前さださんは、「自分の中には「まさしんぐワールド」という別の世界があって、これらの曲の中の主人公たちが実際に住んでいて動いている。」なんてことを言ってた(書いてたのかも)ことがあったなぁ。
つまりさださんの頭の中は、歌詞を書いているというよりも、おそらくは小説みたいなものを書いているのと同じように、想像…というか妄想みたなものが駆け巡っちゃってるんだろうかとも思うが、それにしても、それを的確に表現できる力は本当にすごいと思う。
しかもその中にもきちんと自分が伝えたいことは入っていると感じるので、つまり、単に浮かんだものを書いているということではなく、とんでもなく緻密に構成されているということになるんだなぁ。
そういえばさださんは小説もたくさん書いてるもんなぁ…。でもどっちが先なんだろう。物語が先でそれを歌詞として整形するのだろうか。それとも歌詞を作ろうとしてそれに物語を利用するのだろうか。
そういえば「パンプキンパイとシナモンティー」という曲は当初7番くらいまであったのを絞って今の形にしたとなにかで読んだことがあるなぁ。とすると先に物語があるということになるかもなぁ…もちろん曲にもよるだろうけど。
もし物語が先にあるということだとすれば、考えてみれば自分はそういう作り方をしたことがないかもと気づいたりもする。曲を作るってよく、詞が先? 曲が先?…みたいな話はするけど、そもそもその前に物語が先にあるなんて、話題にしたこともないかもしれないなぁ。これは是非やってみよう。もちろん、さださんのように素晴らしいものがいきなり書けるとは思わないけど、でも、新しいアプローチは新しいなにかを産み出すとは思うので、それは面白いことなんじゃないかな。
じゃあその前にもう一度さださんを復習するかなぁ。「精霊流し」「朝刊」「追伸」「フレディもしくは三教街」「線香花火」「異邦人」「第三病棟」「転宅」「指定券」「雨やどり」「もう一つの雨やどり」「雨どりや」「最終案内」「セロ弾きのゴーシュ」「最后の頁」「フェリー埠頭」「SUNDAY PARK」「秋桜」「加速度」「歳時記」「パンプキンパイとシナモンティー」「空蝉」「療養所」「椎の実のママへ」「みるくは風になった」「黄昏迄」「極光」「退職の日」「退職の日」「片おしどり」…う〜ん…まだ半分も挙げられない…教材が多すぎるな;;;
※ちなみに写真は、京都市先斗町で撮影したもの。
もう少しローアングルで撮れば、小津映画っぽくなったかもなぁ。
※使用カメラ&レンズ:Canon EOS 6D + EF24-70mm F2.8L II USM
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