[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Markなにか創るとうれしくてこれからの写真アートについて考える

紫水勇太郎・清水 豊

株式会社4DT 代表取締役
株式会社ワークス 代表取締役
Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouT...

続きを読む

 写真を撮るのが好きだ。ふと心に引っかかる物や現象が目の前に現れて、それを止めて捉えておきたくてレンズを向けてシャッターを切る。するとそこに、自分の肉眼で見たものとはちょっと違うそれが映し出されて、そしてそれもまたいいなと思えたりする…なんて言いつつ、実際のところ最近とんと写真を撮る機会が減った。一眼レフで撮る機会はさらに減って、撮るとしてももっぱらiPhoneだったりする。だってiPhoneのカメラって本当にすごいんだもの…なんて言いつつ(2回目)、たまに一眼レフで撮影したりすると、やっぱりそのボケ足や光の感じがいいなぁなんて思ったりもするんだけれども…。

 さて、同じように写真を撮ることが好きという人は世の中にたくさんいることだろう。そしてその中には写真を撮ることで自分のなにかを表現しようとしている人もいるだろうし、それを職業にしている人もいるだろう。まぁ写真というものは、ある程度ちゃんとした機材を使えば誰でもそれなりのものを撮れるようになったし、少しでも手法や写真のメカニズムを知れば、もっと自由に思ったものに近い写真が撮れるようになる。その手法やメカニズムもそれほどメチャクチャ分量の多いものではなくて、まぁポイントとなるよく使われる方法はそれほど多くないから、当然に多くの人がそれを習得することができるし、また使うこともできるだろう。
 となると、プロとかアーティストとか呼ばれる人とアマチュアの差ってなんだ?…なんてことをふと思ったりした。

 さっきも書いたようにiPhoneのカメラはとてつもなく優秀だ(iPhoneだけじゃなくてAndroid機だって優れたカメラ機能を持つ機種はたくさん出てる…使ったことないけど)。ピントは自動、露出も自動、さらに後からいじり放題だから少々の失敗もリカバリーOK。つまりスマートフォンを持っている人なら誰でもすぐにけっこう水準の高い写真を撮ることができる。だからInstagram等を中心とする写真系SNSにはそういう写真がた〜くさん上がっていたりするし、その上、「インスタ映えするいい写真を撮る5つのポイント」なんていう動画や記事がたくさんあったりするから、ちょっと調べればそれこそ誰でもなかなかの写真を撮ることができるだろう。ある意味、マジなプロやアーティストさんにとってはやや鬱陶しい状態かも知れない。
 だって、これまではややこしい機材を使う技術を知っていて、それを手早く使いこなしてミスなく、その上いい写真が撮れるということがそういった人たちの一つの差別化ポイントだったろうと思うけれども、そんなの簡単に踏み越えられている状態とも言える。
 そもそも機材がややこしくない。下手をすればシャッターボタンをタップするだけである程度の水準は自動でクリアできる。その上後からいじり放題だ。つまり後から「なおせる」し「盛れる」ということ。まぁ簡単にいい写真が撮れるということになる。
 その上機材が安くなっている。昔一眼レフなんて買おうとしたらそれこそけっこうな金額がかかるからもっぱら中古カメラ屋さんで買ったりしたものだし、当然に本体だけではなにも撮れないのでレンズも何本か必要になる。そしてもちろんレンズもそこそこ高いので中古屋さんのお世話になったものだ。その上さらにフィルム代、現像代、それをプリントしようとすれば、それを依頼すればそのお金が、自分でやろうとすればそのための機材や薬品や印画紙や…と、まぁお金がかかることかかること。さらに当時はISO値もせいぜい1600程度だったから、暗いシチュエーションで撮影しようと思えば明るいレンズが欲しくなるし、ブレないために三脚やらレリーズやらが欲しくなって、さらにフィルターなんかも欲しくなるかも知れない。いやいやそもそも暗さを補うためのストロボや照明が欲しくなるのも自然な流れだろう…お金がいくらあっても足りない。
 今は安い上に性能も上がったお陰で、だいぶ暗い環境でも難なく撮れちゃったり、照明なんて適当な電灯でも充分だったり…いや、照明機材もだいぶ安くなってる印象だけどね…なんて感じで、つまり、専門機材を持ってる上にそれを使いこなしているという、職人的なアドヴァンテージはもうまったくないかも知れない…実際、観光地なんて行くと、カメラの構え方も怪しい感じの観光客がとんでもなくいいカメラを持ってたりするもんなぁ…うらやま。
 つまり、機材によって差別化することはなかなか難しいという状態にあると言える。

 さぁそれならどうする?…まぁ多くの方がもうお察しと思いますが、ここも結局コンテンツ・ファーストなのだと思うのですよ。つまり、そういった多くの方々が思いつかないような写真を撮ることができる人…それがプロでありアーティストなんじゃないかと。
 多くの方々が思いつかないような写真てどんなんやねんて?…いや、それを定義することは難しいと思いますけど、例えば撮影するアングルがユニークだとか、画角内のレイアウトが印象的だとか、色使いに特徴があるとか、ピントの置き所が人と違うとか、撮影対象のテーマが面白いとか、場面の切り取り方の視点がすごいとか…まぁいろいろ言えそうですが、これをそれぞれ具体的にどうするかと考えると、なかなか奥の深いお話になりそうですなぁ。でも、考えられるポイントはたくさんあると思います。
 自分も写真を撮っていて時々思うのは、例えば目の前にいい風景があったり面白い物があったり印象的な出来事が起こっていて、それを撮影してまぁまぁいい写真だなぁと思えた場合、その写真が放つ魅力のほぼすべては、その被写体の魅力によるものであって、自分の撮影行為によるものではないんじゃないかってことなんですね。つまりその被写体はそれそのものが魅力的なんだから、自分ではない別の誰かが撮影してもいい写真になるでしょって話。そこになにかもう一工夫…例えばアングルを変えたりフレーミングを考えたり色彩を考えたり合焦点やシャッタースピードや被写界深度を変えたりして、さらにその行為になんらか意図的な意味合い(例えば「滝の流れを強調するためにシャッタースピードを落としました」とか…これはだいぶベタですね;;;…すみません)があって初めて、自分の撮影行為がその写真に貢献したと言えるのではないか…なんてね…もやもや考えちゃったりするんですなぁ。
 つまりそうすることによってようやくその写真は、「誰が撮ってもまぁいい写真だよね」から「〇〇が撮った写真っていいよね」になるのではないかと。つまりこれは他のジャンルのコンテンツを考える時とほぼ同じだなぁなんて思うんですなぁ…だからコンテンツ・ファーストと考え方の軸は同一だと思えるということです。
 それにさ、その結果として存在するなにか(この場合は静止画として留め置かれた「写真」というもの)に、自分のなにかを投影しようとしたり、自分のなにかでなくてもそこになにかを表現しようとしたり、それも、他者のそれとは異なる自分独自の手法によってそれを成し遂げようとしたりすることは、これぞまさに表現でありアートと呼べるものなのではないですかと…思うんですがどうでしょうねぇ?

 ということで結論としては、まぁまぁいい写真は誰でも撮れる時代にはもうだいぶ前からなっていて、まぁまぁいい写真を撮るためのノウハウについても誰でも知ることができて実践するのが容易な時代にもなっていて、その時代におけるプロやアーティストは、その上で可能な違う表現について絶えず考えて試行錯誤する必要が以前よりも必要になっていて…というかどんどん増していて、それを考えることによってさらに上の、それこそ心に引っかかる写真作品を生み出すことができる…ということなんじゃないかなと思ったりした…というお話。まっ、自分はまだそう思ってるだけでまったくちゃんとできてませんけどね…とほほ。
 もっともAI生成の登場で、写真も絵も音楽も動画も、さらに別の嵐に巻き込まれているとも思うなぁ…それについてもまたいずれ考えてみたいと思います。

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


紫水勇太郎・清水 豊

株式会社4DT 代表取締役
株式会社ワークス 代表取締役
Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouT...

続きを読む

関連記事

準備中