[ Spinart(スピナート) ] - あらゆる表現者・アーティストと出逢えるサイト

Logo Mark連載記事

Logo Markなにか創るとうれしくて「#ギターソロ」がTwitterで度々トレンド入り〜若者がギターソロを飛ばすんだってさ…で考えたこと

紫水勇太郎・清水 豊

株式会社4DT 代表取締役
株式会社ワークス 代表取締役
Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouT...

続きを読む

 最近Twitterで度々「#ギターソロ」がトレンド入りしていて、「なんだろな?」と思って見てみると、それに付随して出てくる投稿は概ね「若者がギターソロを聞かずに飛ばしている(スキップしている)」という話だったりする。どうやらこのお話、高野寛さんという、ご自身もミュージシャンで音楽プロデューサーでもあって、同時に京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の特任教員もやっているという方のツイートが発信源なんだそうな。まぁそもそもここのところギターソロなんて話題にもならなかったから、正直「どうした突然?」的な違和感はバリバリあったものの「まぁ、そうなんだろうねぇ〜ふ〜ん」くらいに見ていたら、それに対して「自分は聞くけど」とか「いずれまたギターが持て囃される時代が来る」とか、次から次へと偉大なギタリストたちを列挙してたりなんていうものも目にしてちょっと面白かった。
 まぁちょっとネガティヴな内容も目についたけど、それでもまったく話題にならないよりはなんぼかマシかと思ったりして、あながち悪いことばかりではないなぁと思ったりもしたと。

 で、自分はどう思うかなぁとちょっと考えてると…結論から言えば関係ないなぁと…また身も蓋もないことを思ったりして。え? ギター弾きだったくせに、今でもハードロックとかメタルとかよく聞いてるくせに「関係ない」とか言っちゃっていいのと思われそうだが(いや、誰もシミズのことなんてそこまで考えてないね)、頭に真っ先に浮かんだのは、自分が音楽を作る時って、そういうことのために作ってないしなぁということだったりする。
 「そういうこと」ってなんやねんという話だけど、頭に浮かんでいるのは「プロ」と呼ばれる立場にあって、「プロであるからには売れなければならない」的なことを、自分も思ってたり、周辺スタッフに言われてたりする人が、商業的にバンバン売れて、儲かってウハウハしたいということを目的に…っていうこと。
 あ…ちょっと書き方が悪いな。別にこれが悪いと言ってるわけじゃなくて、売れるということは多くの人に支持されていて、その人たちがお金を払ってもいいと思っている状態なわけで、そういう状態にはなかなかなろうと思ってなれるものでもないことは重々分かっているつもりなので、それを意図的にできる人っていうのは、それはそれでものすごいとは思う…ということは前提とした上で、ただまぁ自分はそれを目的に音楽を作ってないということですなぁ。
 いやもちろんそりゃあ売れたらうれしいに決まってるんだけれども…っていうかそんなことが(あるわけないけど)もしあったら、マジで有頂天になっちゃうだろうことは超自信があるんだけれども、それでもそこが目的という感じては考えてない…まぁハナから無理と思ってるということももちろん少なからずあるけど…だってそれを目的にするといきなりつまんないことになりそうなんだもの…いや、バンバン売れて儲かってウハウハするとそれが楽しみになるのか?…経験ないから分からないなぁ…誰か経験させてくださいお願いします。

 さて話が横道にそれまくったけれども(筆者の特技である)、じゃあどういうことのために音楽を作ってるんだい?と言えば、それはまぁ間違いなく、自分の中でモヤモヤと渦巻いてるいろいろな感情を音楽というカタチにして吐き出したいということに尽きるかなと思う…なんてね。
 まぁ自分の場合はこれがたまたまハードロックやメタル的な歪んだギターがズンズン言っているようなスタイルでやると気持ちと合致するということだし、言ってしまえば(また身も蓋もないけど)、過去にはそういうスタイルで作っていない楽曲もだいぶ数多く作ってる。要はその時吐き出したいなにかの内容によって、たまたま歪んだギターがからんでいる楽曲スタイルが多くなっているだけで、正直それを絶対と思ってるわけでもないということになるかもなぁ。
 自分たちのハードロックなバンドが活動停止して後2年ほどなんて都内の路上で弾き語ってたこともあってもっぱらアコギな曲ばっか書いてたし、その後はやたらとオーケストラ的な曲を書いたりピアノだけの曲を書いたり…。でもだからと言って、ギターソロのある曲をまったく作らなくなったかと言えばそんなことはなくて、居待月というユニットではアコースティックだけれどもギターソロはガッツリあったりしたし(カルロス…うまかったなぁ)、その後ソロで作った作品はむしろハードロックにもどってたりする。
 その間世の中的にはとっくにそういったハードロックやメタル的な音楽は下火になっていて(でもちゃんと残っているあたりはさすがですけど)、自分の周辺でもあまりそういう話が聞かれなくなったりもしたけど、そんな時でもやっぱりリッチー・ブラックモアはいいなぁとか、ヴァン・ヘイレンはやっぱりすごいなぁとか、トニー・アイオミの音って好きだなぁとか、ジョン・ペトルーシの音って好きだなぁとか、ジョン・サイクスってやっぱり好きだなぁとか、ジェイク・E・リーってかっこいいなぁとか、ザック・ワイルドのピッキング・ハーモニクスが好きとか、アル・ディ・メオラってなんでアコギでそんなことできるんだ?とか、エース清水ってオシャレだなぁとか、イングヴェイは相変わらずだなぁとか、その他にもたくさんたくさん聞いたり思ったりしていて、で、藤岡幹大さんと大村孝佳さんを見てさらにまたぶっとんだり…要は結局なんだかんだ好きなんだよねっていうことだったりする。

 他のみなさんはどうなんでしょ? この場合振り返ってみるべきは「目的」かな? 売れるためなのか、自分の表現をしたいためなのか? その他…まだいろいろ考えられそうだけど。

 こんなことをぶつぶつと考えていると、ふと、少なくとも自分にとっては、こういうマーケティング的な発想は不要ということかもしれないなとかも思ってみたり。むしろこの、とっても自分勝手に作った言わばマスターベーションと言っていい作品に、ちょっとでも反応してくれそうな人とマッチングできるような方向でのマーケなりプロモ手法があったらいいなぁってことになるかもなぁ。

 これねぇ、多分、これを手法としてできている人っていないんじゃないかなぁ…いるのかな?
 若い頃、いわゆるそういう業界のプロデューサー的な人や編集者的な人にだいぶ逢ったりした時期もあるけど…まぁあの頃は売れたかったしw…結局一番言われたのは「この曲だと売れないね。」みたいな話で、ひどいところになると「Bon Joviみたいにしたら」なんてことまで言われたりもしたもんだ。で、当時のバカな自分はちょっとそういう方向によろめいたりもしてみたり(だって売れたかったしw)したけど結局いろいろ考えるとそうはなれずに元のグロいスタイルに戻ったりと揺れたものだった。
 なにが言いたいかと言うと、つまり、その目の前に提示された作品に対して、それに合致するマーケットを探し出したり作ったりということができる人は非常に稀で、多くは既にある有望と証明されているマーケットに作り手のスタイルを合わることで商売として成立させようとするということなのかもなぁと思うということですな。

 ん?…「マーケットを作る」だと?…それってスティーヴ・ジョブズじゃん? いや、彼も潜在的なマーケットを表層化させたってことになるのかな? でも、それまでいるかいないか分からない顧客を大量に発生させて見せたわけだから、「作った」でいいかも。

 スティーヴ・ジョブズがやったことってどんなことだっけ? まぁ今まさに自分たちの生活と切っても切れないのはiPhoneだろうなぁ。これがなければスマートフォンという業界全体がない。それも確か周囲から大反対された中でしかし「自分が欲しいから」的なことを言いつつ確信的にプロジェクトを進めた…んだっけ? あの頃だいぶ調べたのにもう記憶が曖昧になってるなぁw(だったら調べなおして書けよ) まぁだとしたら彼の頭の中にはマーケットが見えていたってことだろうなぁ。その辺は、そんなことも考えず自分との対話の中でマスターベーション的な作品を生み出すこととはだいぶ違うようにも思うなぁ。そもそもiPhoneはアート作品ではないから、売れて使ってもらってっていうのが目的だっただろうし、素晴らしい、それまでに誰も見たことのないデバイスを作るということは、その目的を達成するための過程もしくは手段でしかない…か。

 ん?…「誰も見たことのない」だと?…これはアートにも通じそうだなぁ。
 いくら技術が優れていても、既視感バリバリのアートの場合はどうしてもそのスタイルのオリジナルに近い、言わば中興の祖的な人に重ねて見られることが多くなって、それを超えるなにかがなければ、その作品に触れた人の記憶に残ることさえ難しく、結局「マーケットを作る」どころか単に忘れられて終わるということになる…ということか。

 となると、いくら自分のマスターベーションですよと言ったところで、その作品に触れた他者になんらかのアクションを期待するのであれば、そこにはその少ない機会でその他者になんらかの感情を起こさせるようなインパクトが必要になる…ということか? とすればそれは結局コンテンツ・ファーストに戻っていくような気もするなぁ。しかもそこには、比較的近い創作スタイルを持っている他者との比較によって、それとの差別化も意識するような思考も必要になるということになるなぁ。
 だったらそういう周囲の創作者の情報が必要になるじゃん。
 そういう周囲の創作者との差別化を図るための発想を広げるための情報も要るねぇ。
 差別化を図るためにどのような技術が応用可能かというような知識も要るし、それを応用導入しようと思ったらそのための技術も習得しないとねと。
 で、技術を習得するためにはどうしたらいいかという情報が必要になって…。
 おおなかなかキリがないぞw こう考えると、まぁ典型的なマーケティングではないかもしれないけれども、発想的にはそれに近い考え方は必要になってくるねぇ。

 あ、でも本気で他人なんて関係ないし、単に自分が満足できればいいっていうスタンスならすべて要らないんだ。自分が作っているもののレベルなんてどうでもいいし、自分の作品に触れた他人がどう思うかなんてこともどうでもいいし、本当にただひたすらに自己満足のために作るということなら…。
 でもなぁ、なにかを作るって、アートに限らないけど、行き詰まることってあるじゃん。そしたらやっぱり外の世界ってちょっと見たりした方がその状況を早く打開できてその先に進めたりするよなぁ…まぁ、言ってることが極端だね。おそらくこれはどのようなスタイルの割合がより大きいかという話であって、おそらく誰にとっても、どれか一つだけで考えているということではなく、いろいろ混じりつつ、しかし割合としてはよりこちらの方が高いというお話なんでしょう。

 であればその割合を考えてみればいいということになるね。自分にとって大切なスタイルの優先順位みたいなもの。
 これ、考えてみるといいと思います。そうすると、自分の作品作りの際にもっとも重要視すべき要素の優先順位がつけられるようになるんじゃないかなぁ。そうすれば取捨選択が簡単にできるようになるから、知恵を絞るべきポイントが絞られて、迷走する確率が減って、思考に無駄がなくなって深みを増したりするものなんじゃないかなと思ってみたり。

 …で、なんの話だっけ?(見失うのも筆者の特技である)…そうそうギターソロを最近の若者が聞かないって話だった。
 まぁつまり、上記の割合を考えた後、そういったことを気にした方がいいという選択をした人は気にすればいいし、気にしない人は無関係でいい…まさに身も蓋もだなw
 確かに気にする人の中でギターソロを多用する人にとっては、まぁ、自分の音楽を気に入ってくれる可能性が高いかもしれない人が減るかもしれないということだから大ごとかもしれないし、同じ作り手でも、ギターソロなんてそもそも使わないという人にとっては関係ない…おお、本当に身も蓋もないなw
 まぁ最初の記事を書いた高野寛さんという方もきっとそのくらいの考えで書いてるかもなぁと思いますが、たったこれだけの燃料投下で、あのTwitterのトレンドにこれほど長い期間上がりつづけるというのもすごいことで、自分もついついそれに煽られていろいろ考えてみちゃったわけで、やっぱり誰も気にしていない状態よりは、良くも悪くもなんらか盛り上がっている方がきっといいことなんだろうなと改めて思ったりもします。

 ということでみなさんはどう思ったでしょう。まぁ今回は、「ギターソロを飛ばして聞く若者が増えた」場合の作り手だけを考えて書いてみましたが、やはりこういういろいろなことについて、自分だったらどう思うかなぁなんて感じて考えてみていただくのが一番面白いことかもと思いますし、それによって感受性や審美眼のようなものが磨かれるようにも思いますし、さらにはその傾向から自分という人間が見えてきたりもするかもしれません。ですので是非、考えてみていただければと思います…なんてね。

 あれ?…ここまで散々書いてふと、自分ってあまりギターソロって覚えてないかもなんて思ったぞ? 例えばじゃあシミズが好きなギターソロのベスト10を挙げろとか言われたらものすごく困るかも。ギター弾きだったくせに? なんでだろ。
 まぁ、リッチー・ブラックモアという人が、ほぼほぼ毎回その時の気分でとんでもなく違うソロを弾いたりするので、こちらもちゃんとコピーするのがバカバカしくなって、リッチーの指クセとかよく使うスケールとかは調べたりしたけど、いわゆる完コピとかしなかったもんなぁと。同様に、イングヴェイとかヴァン・ヘイレンとかも、気になるところ…というかできそうなところだけかいつまんでちょっと練習したくらい(だから上手くならなかったんだよw)。
 それよりむしろ、上記に列挙した偉大なるギタリストのみなさんたちのプレイは、音とか、リフとか、ヴォーカルのバックで弾いているカウンターとか、ソロももちろんだけど、そういったいろいろな部分を総じて好きだなぁと思ってるかもしれない。そう考えると(またまた身も蓋もないけど)ギターソロだけを抜き出して考えること自体、自分にとってはあまり意味がないということなのかもしれませんな。
 …う〜ん、なんかとっても不毛なことを考えていたような気がしてきたなw


※ちなみに写真はシミズの現行メインギター。
 フェンダー・ジャパンのストラトキャスターで、元はリッチー・ブラックモア・モデルとして売ってたもの…確か7万5000円くらいだったかな?…なので、ラージヘッドで指板はスキャロップド。ピックアップはポールピースがでかい奴で黒カバーだったりします。
 それをいじって、リアにはディマジオのトーンゾーンというピックアップを乗せてみたり、センター・ピックアップは回路を殺しちゃって、スイッチもフロントのみ、両方、リアのみの3段に替えてて(しかもスイッチノブはテレキャスのだし;;;)、トーンは1つ外してフロントとリア共用に。ヴォリュームもマスターのみ…で、邪魔なので穴を1つ後ろに下げてみたりしてます(なのでヴォリューム奏法がきつい…てかそもそも下手だからそれほどできないけど)。
 ちなみにヘッドにつけてるのはフェンダーのファットフィンガー。なんでもネックの振れを抑えることで音を締める効果があるんだとか。これが面白いように、特に低音に影響が出ます。
 そうそう、トレモロアームは使ってません。アームをだいぶ前に折っちゃってそのままになってますw ちなみに裏バネは4本。自分的にはこれが一番好きな音になりました。

この記事への感想はこちらへどうぞ

この記事への感想を送る


紫水勇太郎・清水 豊

株式会社4DT 代表取締役
株式会社ワークス 代表取締役
Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouT...

続きを読む

関連記事

準備中