連載記事

音でつながる愉快なあれこれベースとの出会い

後藤英智(ゴトウエイチ)

1965年1月生まれ。
若いころ10年ほどフリーのベーシストとしてキャバレーやホストクラブで演奏。
ルーツは70年代歌謡曲から洋楽ポップス、オールディーズ等。一番影響...

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高校に入った時にベースを入手しました。実は父のバンドにはベースがいなかったので私をベースにしようと目論んでいたようです。思う壺でハメられましたww
最初に買ったのはグレコのバイオリンベースです。これは後年分解してみたところ、シングルコイルでホローボディにはしっかりブロックが入っていて、ソリッドに近い感じの作りでした。そのため本物のヘフナーよりも固くてタイトな音がします。指で弾いてもそこそこ弾けるベースでした。今はどこにあるのやら…後輩に永久レンタルしているので、どこかで弾かれているのでしょう。
高校時代はとにかくよく稽古していました。部活もやらず(自主的喫茶店同好会w)家に帰っては6〜7時間弾いているときもありました。ただ、バイオリンベースでは対応できる楽曲に限界があります。当時流行っていたカシオペアなんかは絶対弾けませんww
なぜかこの頃は指弾きばかりしていました。ベースにピックは邪道だ、みたいな気持ちがあったのかもしれません。大学に入ってからも基本的に指でしか弾いていませんでした。ビートルをやるときはピックを持ちますが、慣れない頃はピックの方が突っ込んで弾いてしまい、リズムが軽くなり、走り気味になってしまっていました。立ち上がりがピックの方が早いので、同じリズムで弾くと早く音が出てしまうんですね。
高校の頃はバンドはやりませんでした。古い曲ばかりが好きだったので、趣味の合うメンバーがいなかったのです。それで、暗ーく稽古ばかりしていたわけですww 結果的にはこのころの稽古はとても良かったですね。正確なリズム感はこの頃に身に付いたのではないでしょうか。
大学に入ってもバンドはやりませんでした。ビートルをやるヤツなんて、いないと思っていたからです。ところが、偶然となりに座ったヤツが、ビートルバンドをやっていたのです。運命的な出会いでした。ただし、すでにポールポジションwは取られていて、空いていたのはリードギターでした。それでもビートルバンドをやれる!ということですぐに加入して、私のバンド人生が始まったのです。

大学時代は音楽とアルコール漬けでした。軽音楽部ハワイアンにいたのですが、実際はビートル、ストーンズ、ロケンローにブルース好きばかりの集まりでした。女子がいない音楽クラブなんて!信じられないけど、滅茶苦茶硬派なクラブでしたww
ここでいろいろな楽曲を演奏しました。適当なセッションをよくやっていましたが、ある日ベースを弾く機会があったのです。当時の私はビートルのギターというイメージでしたが、ベースを弾いたら、あ、やっぱり楽しい!のです。それ以降、掛け持ちでベースのバンドにも加入しました。一番すごかったときは7バンドぐらい掛け持ちしていました。合宿や学祭の時は全く休みがない状態です。でもいろんなジャンルを経験できて、とてもよかったと思います。指のマメも固く、何時間弾いても大丈夫でした。この頃の経験も後で役に立っています。

大学を卒業してから2年ほど塾の講師を勤めたある日、ハコバンに入らないか?という誘いがありました。
俺にできるかな…? ちょっと心配でしたが、とりあえず会ってみました。オールディーズバンドです。曲目リストを見せてもらいました。
「えーと…これと、これと、…これは…できないなぁ。」
50曲ぐらいのリストでしたが、できない曲が数曲しかなかったのです!ww 高校時代の稽古が役に立ちました!
即戦力ということで加入して、ライブハウス、キャバレー、ホストクラブなどで演奏する仕事を始めました。
バンマスは同い年でしたが、私が「これと、これと…」とやっている時は”できる曲が”だと思っていたそうです。かなりたまげていました。
「人生に無駄はない。稽古は嘘をつかない。」
実感しました。

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後藤英智(ゴトウエイチ)

1965年1月生まれ。
若いころ10年ほどフリーのベーシストとしてキャバレーやホストクラブで演奏。
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