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Logo Mark なにか創るとうれしくて 今なにをしているのか気になる存在…T塚A子という異才

紫水勇太郎・清水 豊

Spinart運営者
YouTube「うさぎのうみちゃんねる」のおじぃ
YouTube「Crazy NOVA's NO VAnity!」のアシスタント
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 実は時々思い出す同級生がいる。
 名前はT塚A子(一応仮名)。
 中学生の時、同じクラスになったこともある女の子だ(同級生なので今は間違いなくおばさんw)。
 恋愛対象として好きだったとかそういうのではない。むしろそれ以上に尊敬もし、彼女の言動に興味を持っていた。それはどういう女性だったか。

 まずとてつもなく頭がいい。
 いつも学年で1位〜2位を争っていて、確か高校も、県内でもっともレベルの高い高校に行ったと記憶している。
 しかしあまり勉強している印象がない。授業中もどこか上の空というか、ちゃんとノートくらい取っていたんだろうけど、真面目にちゃんと聞いているという印象はなかった。まぁ、頭がいい人ってそういうもんなんだろうなと思ってたっけなぁ。
 そう言えば学校に外国人の英語教師が確か1日だけ来た時、彼女はその教師と英語でペラペラ喋ってたっけなぁ…思わず「すげぇ…」と声が出たら「簡単なことしか言ってないよ」とサラッと返されたっけ。いやいやなかなかの長文喋ってたけど?…って思ったっけなぁ。

 そしてピアノがめちゃうまくて、校内のクラス対抗合唱コンクール的なイベントでうちのクラスのピアノ伴奏をしていたと記憶している。
 そしてその練習の合間に、けっこう難しそうなクラシック曲をするすると弾いてたっけなぁと思い出す。そうそう、映画「リリィシュシュのすべて」で、伊藤歩さんが演じた久野陽子を観た時にふと、彼女のことが頭をよぎったっけなぁ…。

 とまぁそれだけならよくいる秀才なんだけど…いや秀才でも大したものだけどさw…彼女の場合はその上やたらと洋楽にくわしかった。それもロックにくわしい。
 だから当時、ロクに知りもしないくせにロック・バンドのイラストなんてものを描いていた自分の絵に(絵を描くのは小さい頃から大好きだったもんで…下手だけど;;;)、
「ドラムってこうじゃない。」
とか、
「こんな形のギター・アンプはない。」
とか、いろいろなアテンションをつけてくれて、その上でそのどこがどう違っているのかなんてことも教えてくれたりした。
 当時自分はアコギを弾いて、さだまさしさんとか周辺のフォーク系の方々を弾き語ったり、そっち系のオリジナル曲を書いたりしてたので彼女もちょっと興味を持ってくれたのか時々「〇〇知ってる?」なんて、聞いたこともない洋楽のミュージシャンの名前を聞いてきたりしてくれたものだけれど、まぁ大抵分からなかったので、その都度なにかがっかりさせちゃってたかもなぁ…なんて今さら思ってみたり。

 そう言えば彼女はちょっと醒めたところもあって、当時自分も含め多くの友達が反抗期って感じで、校内暴力なんかも華やかだった頃、自分も調子に乗って熱くなって先生に反抗しちゃったりしてたんだけど、そんな時彼女に、
「そんなこと言ったってダメじゃん? もっとやり方考えなよ。」
的なことを言われて、いろいろ考えたりするようにもなったっけなぁ…。お陰でだいぶいろいろ考えるようになりましたなぁ…。

 そんな彼女が発した言葉の中で今でも忘れられない言葉がある。
「私はラディカルに生きていきたい。」
 正直、当時のバカな自分としては、「ラディカル」という言葉の意味も理解できず、こっそりと英和辞典を開いては、それが「過激な」という意味を持つことを知って、いったいなぜ彼女がそう言ったのか不思議に思いつつも、結局その真意を聞くことができないまま、中学を卒業してしまったのだった。

 実はそれから一切コンタクトを取っていない。
 高校になって別の学校に進学しても連絡を取りあっていた友人はいく人もいたし、進学しなかったけど連絡を取りあっていた友人もいた。しかしなぜか彼女との接点はまったくなくなってしまったのだ。
 当時はまだSNSはおろかスマホもないし携帯もない、いや、ネットもないから連絡を取ろうと思ったら自宅の電話に電話して、言葉で用件を伝えなければならない時代だった。だからたいして用事もないのに電話して「今どうしてる?」的なことを聞くのは正直ハードルが高かった。しかも相手は女性。それも、特別に距離が近かったわけでもない女性だ。しかも自分から見ると、思わずコンプレックスを感じてしまうほど優秀でかっこよかった女性だ。そんなおいそれと気軽に電話できる度胸なんてあるわけがない。

 そして社会人になって、自分は東京に移住して、さらに10数年ほど経って、東京から故郷に近い場所に移住した時、ふと、彼女のことを思い出した…というか、故郷に容易く行ける距離に移住したことでそれまですっかり忘れていた当時の友人たちのことをたくさん思い出した。しかし故郷に行ってもその痕跡はほぼない。
 当時遊びに行っていた友人の家は人の気配を感じられなくなっていたし、当時友達の親がやっていた店はなくなっていたし、好きだった子の家もどうやら引っ越しちゃったようで空き家っぽいし、当時通っていた小学校は建て替えられて別物になり、上記の中学校は自分たちが卒業した翌年には別の場所に統合移転されて更地になっていて、当時みんなが溜まっていた店ももちろん無くなって倉庫に変わってたり…。つまり、自分の過去と接点がありそうなものがほぼないといった状態。

 考えてみれば今でも連絡が取れる当時の友人たちはみんなもうその町にはいなくて、東京にいたり県の県庁所在地にいたりするんだから、そりゃ誰もいないだろうなと…。
 で、よくあるパターンとしてはネットとかで探してみたりもするんだけれど引っかからない。まぁ、苗字が変わってる可能性も高いしねぇ…。

 ということでまったく接点を持つことができない状態なわけだけれど、じゃあ逢ってどんな話がしたいのかと言えばやはり彼女の「ラディカルに生きる」という言葉の意味や、その先でどんな人生を歩んだのかなんてことを聞いてみたい。彼女にとっての「ラディカル」とはどのようなことだったのか。そしてはそれはどのように経過して着地したのか。是非聞いてみたい。もちろん彼女が「ラディカル」であることから離れていたとしてもいいし、もしかしたら自分がそんなことを言ったこと自体忘れているかもしれないけれど、それでもあれほどの異才である。きっと普通に埋もれて無難に暮らすなんてできないに違いなくて(失礼w)、だからそんな中でどのように生きてきたのかを是非聞いてみたいのだ。

 聞いてどうなるんだって?…いやどうもないけどさぁ…まぁ一応自分は歴史好きな人なんだという自覚はあるので、それもやはり、登場するいろいろな人がどんなことを考えてどんなアクションをしたのか、そしてその結果どんなことが起こったのか…なんてことに興味があるわけで(だから年代とかはさっぱりでござんす…そう言えば最近は歴史上の人物名もなかなか思い出せなくなってきたなぁ…とほほ)、それと同じようにただただ知りたいだけなんだけどね…。

 ということで、今なにをしているのか気になる存在…T塚A子という異才のお話でした。

※ちなみに写真はうちのストーブ(先代)の火。
 え? 季節外れだって?…梅雨の時期、那須ではストーブを点けたくなるほど寒くなることがあるんすよ。なのでストーブは年中出しっぱなしです。
※使用カメラ&レンズ:Canon EOS 50D + Sigma 70-300mm F4-5.6 APO DG

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