2019/01/20
アートに限らずとは思うんですが、人間という生き物は、なにか創ったり、描いたり、なにかしら表現したりするのが好きなようで、それも、その活動も多くは生きることに直接益しないにも関わらず、しかしそれをやるのに夢中になり、しかも多くは楽しくて仕方がない…これってなぜなんでしょうねぇ。こんなことをするのはおそらく人間だけなのかもしれない等とも思います。他の動物はどうなんでしょうねぇ。人間にもっとも近いと言われているチンパンジーはどうなんでしょう。
多分遊びはするんですよ。多分簡単なゲーム的なものはするんだと思うんです。しかしそれはおそらく、餌を取る方法を学んだり、集団の中での序列を決めたり等、なんらかの機能を持っていることのように思います(この辺りについては、きちんと専門家の方の意見をお聞きしてみたいものですが)。
しかし人間が行うアート的な創作には、そういった機能があるように思えないんです。本当に純粋に作ったり描いたり、表現したりすることを楽しんでいるというか、なにかとても不思議なことのように思えます。
なぜ人間はそのようなことをするのか、ということについてもとても興味深いので、是非そちらも掘り進めてみたいところですが、ここではまず、そういう時の人間の状態について考えてみたいと思います。
想像してみてください。どうでしょう。きっと、もの作りしている間の時間いつでもハッピーな状態では決してないということが思い起こされるかと思います。
時に悩み、壁にぶち当たり、投げ出しかけたりあきらめかけたりということもあり、しかしそれでもやめられず、ちょっとしたきっかけからわずかな突破口を見出し、そしてその先のステップに進む。
その間悶々としまくるのにしかしその突破した瞬間の喜びが忘れられない。そんな感じかなと思います。
でも実際、そうやってずっと創作活動を継続できる人は多くはないのではないかとも思います。
行き詰まって堂々巡りし、前へ進むことを止めてしまったり、創作活動そのものを止めてしまったりということもあるでしょう。
ましてやこの活動がまったく生きることに益するものでないのですから、経済的な成功がなければ、外的なプレッシャーも大きくなり、その継続がさらに難しくなるということもあるでしょう。
かく言う私自身も、30歳代の最末期から40歳代のほぼすべての期間にあたるおよそ10年近くの時間を、まったく創作的な活動から離れて過ごしてしまった一人でもあります。
もしそんな時、そういった活動に寄り添い一緒に考えてくれる存在がいたら、ひょっとしたらもっと早く復帰できたかも知れない。もっと早く今の水準に達することができたかもしれない等とも思います。
他者を頼ってばかりではどうにもならないのは人生の常とは思いますが、しかし自分だけではなかなかスムーズに進めないことがあるのも事実と思う次第です。
今、毎日できるだけ多くのアーティストの作品に触れようと努めています。
そんな中、極めて高い技術力があるにも関わらず作品クオリティが上がっていない例や、逆に、非常に高い創作思想を持って作品作りしていることは強く感じるのに、そこに技術が伴っていない例も多く目にします。
また、とても素晴らしい作品を産み出していたにも関わらず、残念ながらバンドやチームが解散してしまっているという例にも出逢います。
こうしたみなさんに対し、自分たちが少しでも役に立てることで、幾人かでも状況改善していただくことができるのではないか。ふとそんな、考えようによっては極めて不遜なことかも知れないことさえ思います。
本当にできるのかどうかは現状まだ分かりません。どのようにすれば効果的なのかについてもまだまだ手探りです。しかし、かつて一緒に「クリムゾン・シャア」というバンドで活動した木村稔の賛同とバックアップもいただき、こうしてまずはテイクオフすることができました。
是非ご期待いただくとともに、一緒に歩んでいただければ大変うれしく思います。
株式会社4DT(フォーディーティー)による「Spinart(スピナート)」。
是非どうぞよろしくお願い申し上げます。
「Spinart(スピナート)」でできることについてはこちらをご覧ください。
Spinart(スピナート)・サービス紹介
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※ちなみに写真は、仕事で湯河原へ行った帰りの列車の中から撮影したもの。
※タイトル:夕方の海、そして半透明な月
※使用カメラ&レンズ:Canon EOS 6D + EF24-70mm F2.8L II USM
準備中