2024/11/07
「それはまだ私が神様を信じなかった頃…。」
いや、あの頃はまだ今よりむしろ信じてたかもしれないなぁ。それはまだ私たちが坊主頭を強制されるような中学校で竹刀を振り回すようなクソ音楽教師やすぐに生徒を殴る理科教師に追い回されている生徒だった頃、当時天然で頭髪の一部に茶髪が少し混じることでバカな教師の一人から、
「メッシュじゃねぇのか。」
とかからまれては毎度怒っていた拓人さんが貸してくれた一本のカセットテープが始まりだった(彼は当時、頭のちょうどソリコミを入れたりする位置の毛が自然に茶色くなってたんですよ…そういえば今はそんなことないな?)。
※ちなみに拓人さんについてはこちら。
執筆者紹介・藤田拓人
「誰これ?…さだまさし?…む…きょうよう?」
それは今でこそ知らない人などいない御大さだまさし大先生(当時まだ「関白宣言」前だったから、知らない人も多かったかもなぁ…少なくともうちの親は知らなかった)の、その頃発売されたばかりのアルバム「夢供養」(このアルバムは「ゆめくよう」と読む。決して「むきょうよう」ではない…とこれはご本人のライヴMCネタだったかもw)のカセットテープ版だった(ダビングしたカセットテープではなく正規のカセットテープ版だったりするあたり拓人さんのブルジョワっぷりが感じられる)。
「とにかく聞いてみろ」と言う。既に記憶が曖昧ではあるが、私にさだまさし(以下敬称略させていただきますね;;;)を推薦する理由等は特に言っていなかったようにも思う。だいたい、(これはだいぶ後になってから分かるのだが)実は拓人自身はさほどさだまさしを好きだったというわけでもなかったらしいし(まぁ彼は当時やたらといろいろなものを私に聞かせるのが楽しかったようだけど…そういえばDeep Purpleを初めて聞かせてくれたのも拓人だったなぁ…考えてみればどういう流れ?w)。
聞けと言われれば聞く。それはもう忠犬が如くちゃんと聞いた。だっていつも知らないものをたくさん見聞きさせてくれて面白かったんだもの。
最初にひっかかったのは「パンプキン・パイとシナモン・ティー」という曲だった。曲の乗っけから、
「二丁目の交差点から17軒目で時々走って2分と15秒、平均112.3歩目に我等のコーヒーベーカリー「安眠(あみん)」がある…」
と早口でまくし立てるこの曲は、そのおかしさが目に浮かぶような歌詞の描写と楽曲の面白さで、当時まともな喫茶店さえまだ行ったことがなかった坊主のチューボーの心を鷲掴みにした(てか、自分が住んでいた田舎町にはまだ喫茶店なんていうものがなかった気がする)。
そしてその後もしばらく聞いてるとこれもまた面白い「木根川橋」。なるほどこの人は面白い人なのだと、その2曲以外にもとてつもない名曲だらけだったそのアルバムのすごさにまったく気づくこともなく、単にそこだけで最初からかなり好きになっていた。
「他にもある?」
「あるよ。」
この文字面だけ読むとまるでテレビドラマ「HERO」で田中要次さん演じるマスターの台詞のようだが(今の若い子はもうこのドラマも知らないだろうなぁ)、果たして拓人は翌日、別のカセットテープを持ってきてくれた(そういえばこれも正規のカセットテープ版だったなぁw)。
そのタイトルは「さだまさしベスト16」。なんでもつい最近に発売になった企画アルバムなんだそうで、さだまさしがソロになってから(もっともその時点ではさだまさしがグレープというデュオをやっていたことすら…というかグレープの存在すら知らなかったけど)の代表曲がまんべんなく網羅され、いわゆるさだビギナーとしてはとってもありがたい作品だった。
しかしここでも引っかかったのは「雨やどり」だったりして、結局その最初期段階の私を捉えたのはつまり、さだまさしのコミカルな一面であったと言える。
そしてそのすぐ後に来たのが例の「関白宣言」の狂乱状態。もともとそのコミカルな面に惹かれてその世界に入った者にとってこの曲は麻薬のようなもので、さだまさしと言えば面白い曲を歌う人というステッカー…それも屋外全天候対応用の強力な奴をがっちりと貼り付けた状態になったという次第(昔はレッテルと言っただろうけど今どきレッテルなんて高齢者しか知らないだろうし)。
なので自分の最初期においてさだまさしと言えば、「雨やどり」「魔法使いの弟子」「天文学者になればよかった」「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「木根川橋」そして「関白宣言」の人であって、ついでに言えば、ラジオ等を聞くとなにやらめちゃくちゃ話が面白いというイメージだった。
それが変わったのはやはり自分がギターを弾くようになって、さだまさしの楽曲を聞くだけじゃなくて弾いて歌ってみるようになってからかなと思う。
もちろんいきなり気づいたわけではない。なにせ当時の自分ときたら、ギターが弾けるとは言えせいぜいコードを押さえてストロークしたりアルペジオしたりスリー・フィンガーしたりできる程度。当然音楽的なことなどなに一つ分かっていないからその奥行きになどまるで気づくことはなかった。
それがだんだんおやおや?と思うようになったんだなぁ。きっかけは多分松山千春やアリス。当時大人気だった彼らの曲も当然に練習していたわけだけれども、これが不思議なことに(申し訳ないけど)先行して練習していたさだまさしよりもだいぶ簡単に思えたのだった。
だいたいさだまさしのコードには小さな数字がついてたりおかしな分数が書いてあったりする。フラットやらシャープといった嫌いな記号もけっこう多い。それに比べて千春やアリスにはそれがほぼない。また、いくつかのコード進行パターンを覚えてしまうと、けっこう多くの曲が同じコード進行で歌えてしまうという便利さ。いや、そういう曲はさだまさしにもあるけど、こんなにたくさんの曲で同じコード進行を擦ってたりしないよねぇ…とか。
そしてメロディーもまただいぶ難しい。コードが厄介ということはそれだけ複雑っぽい音の流れが可能になるということだから、つまりその時点ではあまり聞いたことのないメロディーの流れなんてのもけっこうあったりするのだ。そうだなぁ…例えば「ひき潮」とか「主人公」とか、その頃の自分にとって部分的になかなか音が取りにくいメロディーだったっけなぁと思い出す。
その上クラシカル音楽の響きが心をくすぐる。「セロ弾きのゴーシュ」あたりが典型例かもしれないけれど、さだまさしが3歳からやっていたというヴァイオリンの強み全開で、各所のアレンジや主メロディーにさえクラシカルな楽曲の一部やそれそのものではなくともそれらしい雰囲気が埋め込まれている…つまりちょっとおハイソな感じがして、その高尚感にもくすぐられるという次第。
さらには歌詞だなぁ。まずはとにかく難しい漢字が多い。ルビがなければ読めないような漢字がバンバン出てくる。だって「胡桃の日」「檸檬」ときて「空蝉」ですよ。中学生に読めるわけがない。当然に意味不明な単語も多くて、それを理解したくてまぁ辞書を引いたり図書館で調べたりしたものだった(当時インターネットどころかコンピュータすら一般人の生活にはなかったのだ)。
そんなことを繰り返していると少しずつそういったことが理解できるようになってきて、バカだからすぐに自分が偉くなったような気がしてしまう。知識がちょっとだけ増えて、ちょっとなのにかなり頭がよくなったような気がしてしまう。結果、自分でもさだまさしのような曲が書けるのではと思うようになり、よせばいいのに見よう見まねで作詞作曲して、気がつけばずぶずぶの沼にハマっていまだに抜け出せなくなっているという次第。
ということで、さだまさしのすごさを気づかせていただいたという意味で、千春やアリスにもめちゃくちゃ感謝…まぁ、他者との比較でないと気づくことができなかったあたり、自分のしょせん感はすごいけど…まだろくになにも知らない田舎の中学生だったんだから許して。
さて、それからずっとさだまさし好きだったのかと言われればそうではない。人間色気づいてくるともっと派手なものに目が行きがちになるし、なにより「さだ好き」を公言するとモテないという最大の問題を解決すべく、一時期はまったく「さだ好き」を口にしないばかりか、ジャズだフュージョンだテクノだポップロックだと散々日和見まくったあげく、ハードロックからメタル、プログレとかに進んで、さらにはワールド・ミュージックにハマってみたり急に懐古的になってみたりと、節操のないこと甚だしい状態のまま音楽と関わりつづけ、しかしお陰でだいぶいろいろな作品に触れることができて、お陰で今、だいぶ引き出しを増やすことができて結果よかったなぁなどとも思うが、しかしやはり今になってもやはりさだまさしはいいのだと、これは絶対的に思えたりするからやはりすごい(このように文頭から「。」までが異様に長い文章を書いてはいけません)。
それではさだまさしのなにがそんなにすごいのだろう。この辺りは全国各地に生息しているという「さだ研」のみなさんの専門分野であろうし、私のようなぬるい者がいい加減なことを言うとめちゃくちゃ怒られそうでちょっと臆してしまうところでもあるけれども、あくまで私見であると断って書くとすれば、やはりとんでもなく突出してすごいのはその歌詞世界にあるだろうと思える(長い前置きのくせになにを当たり前な…だって怖いんだもん)。
特に物語型、手紙型と思える2つのタイプでの表現はすさまじく、本当にほぼほぼ一つの長い物語を読んだような感覚にもさせられるし、またリアルに差し出された一通の長い手紙を読んだような気持ちにもさせられるのだ。
物語型としてはやはり「親父の一番長い日」が一番有名かなぁ。まぁ曲そのものが長いということもあるけれど(確か12分30秒…発売当時はシングルなのにLP盤サイズのレコードだった気がする)、一つの曲の中で妹の誕生から結婚までをあれほど克明に描き切るのは並大抵の日本語力ではないと思える。その他で言えば前出の「雨やどり」や「パンプキン・パイとシナモン・ティー」、「歳時記」そして「空蝉」、「償い」も衝撃的だったなぁ…いやいやもう数多くて書ききれないや。そしてそのどれもが素晴らしい描写力で、言葉とメロディーによってその情景をありありと浮かばせる。だから後年さだまさしが小説を書いてヒットして映画にもなったりした時にも、ああやっとやったのかと思ったくらいだった。だってこれほどの物語を、文字数の制限がシビアな歌詞の中で描けるということは、書ける文字数制限が比較的緩い小説などはむしろハードルが低いんじゃないかと思えたし。
そうそう、さだまさしは初めての著書「本〜人の縁とは不思議なもので」の中で「超人たちのコーヒーブレイク」という短編を書いていて、これがまたものすごく面白くて、三億円事件の話が好きな人は是非読んでみることをお勧めしたい。この短編を原作に映画とか作ったら面白いと思うんだけどなぁ…もっとも三億円事件はもう、もっと生臭い話が定着しているから、こんなロマンティックな話には乗ってくれないのかもしれないけれども…(そういえば映画「イエスタデイ」を観た時、この短編のことを思い出したんだよなぁ)。
また話が逸れたが(筆者の特技である…というツッコミは「本〜人の縁とは不思議なもので」の中の編集部注のパクり)、手紙型の表現として有名なところとしてはやはり「風に立つライオン」だろうか。淡々と始まって最後は嗚咽するくらいのすごさ(これは「親父の一番長い日」とかもそうだけど)。手紙という形態を歌にしていることも世間的にはそれほど多くないのではとは思うけれども、そのフォーマットでこれだけの内容を伝え、さらに感情を揺さぶるのだ。
本当にすごいなぁと思う。そして憧れる。自分もこんな風に歌を作りたいと思う。だから本を読んだり映画を観たり、日常身の回りで起こることをいちいち考え、人の立ち居振る舞いとその裏にある思考を想像し、ニュースにとして流れていることについてもいちいちあれこれ考えてみる。で、いろいろ苛立って、投げやりにダークな曲を書いてしまったりするという次第。
そうかぁそう考えるとやっぱりまだまだだなぁ。だってこんな風に物語を描けてる曲…自分にはまだないんじゃないかなぁ。それらしく歌詞っぽくはしていても、文章としてはちょっと散文的というか、こうして考えるとまだまだ至らない部分が見えてくる。そういう意味でもまだ作品作りはやめられないなとも思ったり。
そういえばさだまさし独自の世界作りもすごいよなぁ。歌詞の中にどこにもない架空の世界があるのだ。どうやらこれを「まさしんぐわーるど」と言うらしいのだが(合ってるかな?…さだ研のみなさんが怖くて;;;)、この世界の描写がものすごく精密で、その街の風景が見えてきたり、住んでいる人たちの生活が見えてきたりするからすごい。これももちろん歌の中の言葉だけでそれが表現されているのだ。これの代表としては「主人公」だろうなぁ。「パンプキン・パイとシナモン・ティー」もそうだろうし、「聖野菜祭(セント・ヴェジタブル・デイ)」なんかも大好きだ。
ああそれから古典的な世界観の描き方も素敵なんだよなぁ。「飛梅」「まほろば」「春告鳥」「鳥辺野」「邪馬臺」あたりかなぁ。古典や歴史を本当によく知ってると思うし勉強もしてると思う。そしてやはり、それをそこから物語にする力がとてつもなくものすごい。
いやぁこれは書ききれないぞ…自分程度の知識でもこんなに書いてまだ足りないんだから、さだ研の皆さんなんて本当に大変だろうなぁ…さだ研の皆さんがどんな解説文を書くのかとかちょっと読んでみたいなんて思ったりして…いや、そのような専門家はやっぱり怖いから、かなり遠くからちょっとだけ覗く程度にさせてもらおう(興味と好奇心はありまくるんだけど)。
さてさてじゃあ結局、さだまさしのどの曲が好きなんだよと…考えてみる。「線香花火」「異邦人」「第三病棟」…いやいや、単にソロになってからの曲を順に挙げていくようなことになりかねない。だから思い切って絞り込んでみる。
「夕凪」「つゆのあとさき」「セロ弾きのゴーシュ」「SUNDAY PARK」「魔法使いの弟子」「主人公」「風の篝火」「歳時記」「パンプキン・パイとシナモン・ティー」「まほろば」「ひき潮」「親父の一番長い日」「交響楽」「距離(ディスタンス)」「博物館」「黄昏迄」「小夜曲(セレネード)」「Home(Now I Know I'm Home)」「償い」「片おしどり」…ああまだ多いし書ききれない…。
そうそう、さだまさしと言えば、本物の落語さんでさえ参考にするという恐るべき話術にも触れないわけにはいかないだろう。この辺りは「随想録(エッセイ)」をはじめとする数々のライヴ・アルバムや、なんとトークだけの作品「さだまさしトークベスト」なんてものまで出ているので、是非聞いてもらいたいと思うけれども、自分的には書籍「噺歌集」が好きだなぁ。話の音だけだと流れてしまったり、語句の意味が取りきれないものも、文字で確認しながら楽しめるから、さだまさしの話の世界を理解するのにとてもいい。音源を聞いてから読むと、頭の中ではあの声とあの調子で聞こえてくるから臨場感もちゃんと再現できるしね。
それにしてもこの人のエピソードの多彩さはものすごい。当然ネタ帳があってそれをきちんとまとめていることとは思うけれども、日本記録を持っているほど多くの公演をやりつづけながらよくもまぁこれほど多くのエピソードがあるものだと驚かされる。そしてまた一つ一つのエピソードを見事に面白く構成されている上にモノによっては面白いだけじゃなくて、なにかしら考えさせられるものがあったりする。
これはね、何度か真似してみようと思ったけど結局あきらめた。だって無理よ。これに匹敵するのはデーモン閣下くらいなもので(まぁ、かつて観た谷村新司も面白かったけど)、このレベルの話ができる人なんて、世の中にそうそういてたまるかと思ったりもする。
もっとも最近はちょっとねぇ…歳取ってからいろいろと気になって以前のように素直に観られなくなったなぁ…。やたらと仕立てのいい衣装スーツを着て以前よりもだいぶ上からモノを言ってる感じで、ちょっとね、ご自身が若い頃嫌ってたタイプのおじさんになってやしないかと…。
ということで単にさだまさしの話が書きたかっただけの今回。既にさだまさしを知っている方にはなにを当たり前のことを今さら…という話だったかもしれないし、さだまさしに興味のない方にはまったく引っかからない話だったかもしれないけれど、願わくば、ここに書いてあることなどを手がかりに、さだまさしというとっても稀有な才能が生み出してきた素晴らしい世界を知っていただけたらうれしいなと思う。
いやマジでさ、作詞作曲する人や文章書く人、あと人前で話をするなんていう人なら知っておいて絶対損はないから。いやホントに。だまされたと思って。え? だまされた? いやいや、さだまさしに限ってそれはないって。頭髪が気になる?…いやいや若い頃はよく「アデランス三兄弟(長兄:谷村新司、次男:さだまさし、末弟:松山千春)」なんてことをネタにしてたけどさぁw…と…終われなくなっちゃいますねw
ちなみに(まだ終わらないのかいw)写真はアルバム「夢供養」のジャケット(なんか今は違うジャケに変わってるのかな?)。このジャケットの雰囲気、好きだったなぁ。「風見鶏」や「私歌集」のイラストも大好きだけど。
そういえばこの間、軽井沢にある喫茶店・珈琲館旦念亭さんのマスターに教えていただいたんですけど、このジャケットを撮影したのは45年ほども前の軽井沢駅のホームだったんだそうです。まだ新幹線が通る前の、アウトレットもない頃の軽井沢駅。雰囲気が全然違いますねぇ。
ちなみに珈琲館旦念亭さんの壁には、1980年8月17日に書かれたというさださん直筆の「風見鶏」というタイトルの文章が書かれています。当時おそらく28歳のさださんの直筆、超貴重ですね!
珈琲館旦念亭さんは、水出しコーヒーがめちゃくちゃ美味しくて、それ以外にも全部に本気さを感じる色々なコーヒーがあって…あの時食べたケーキやタルトも美味しかったなぁ…そしてお店の雰囲気もめちゃくちゃいいので、軽井沢に行った際は是非お立ち寄りください。
珈琲館旦念亭さんの詳細はこちら。
珈琲館旦念亭さんのInstagram
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