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Logo Mark連載小説・デッサン いろはにほへど(7)思案

平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
日本におけるインターネットの黎明期からネットラジオ「radio ...

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 「お兄さん、あった、あった、連絡があったょ、」
 冨永が史邦を捕まえて叫ぶ。
 「言うとった通りじゃ、食いついて来た来た、」
 「何じゃ、何がじゃ、何がきたんじゃ、」
 と、言いながらも冨永の顔を見ていると、史邦もうれしくなり、
 「よう分からぬが、何かお前を見ているとたのしいのぅ、ほうかほうか、」
 と一緒になって小躍りを始めた。
 「シンブンシャじゃ、新聞社がの、取材に来よったんじゃ、」
 「ほうかほうか、」
 「ほうかて、うれしいのぉ、」
 「お兄さんを捜しとったんじゃ、じゃがよう捜しきらぬでの、」
 「俺か、」
 「そうじゃ、お兄さんじゃが、」
 「俺は、どうでもえゝよ、」
 史邦には実際自分が学生であるという認識が、ことさら皆無であった。頭の中に毛頭もなく、大学のことなどで、全て、自分が正面に立つべきではないと考えていた。そういう場合、それは当たり前に大学へ入って来た、そういう学生が立てば好いことであって、とりあえずはそういう学生と拘りを持つのであれば、彼らを補佐しようという考えであった。
 冨永の言う新聞社とは下関読売新聞であった。
 記事の内容はこうである。
 『留学生が<日本人見聞録> 
 ———東亜大学で台湾の紀さん発表
 どんな評か楽しみ
 昨年四月、私立東亜大学(下関市楠乃)に台湾から留学して来た男子学生が、十三日からの大学祭弁論大会で「日本人の生活礼儀について」の題で発表することになり、大学祭実行委員会(冨永修一委員長)は、「どんな日本人評が飛び出すか楽しみ」と、この留学生の<見聞録>に期待を寄せている。
 発表するのは、同市楠乃西山六三、東亜大学恒友寮内、紀明岳さん(二三)(二年生)。紀さんは、台湾のほぼ中央にある彰化市の出身で、八人兄弟の末っ子。父親の金標さん(五九)は、日本企業と提携しており、「息子のうち一人は日本語をマスターして欲しい」と、願っていた。
 紀さんは、高校も親元を離れて台北市内に進学、国の規定通り、二年間の軍隊生活を送ったあと、父親の期待にこたえて昨年四月から、単身で同大学工学部機械科に入学した。
 発表内容は、入学からこれまでの日本人観。旅行すると必ず土産を買うのはなぜか、不愉快なことがあっても、それを表情に出さない日本人———などの疑問や感想を軸に、それぞれ「素晴らしい礼儀だと思う。だけど、その為に相手の真意を理解出来ない面がある」といった厳しい見方もしている。
 ほかに、台湾の入浴はシャワーでするのが習慣だが、留学直後は、日本の浴槽に慣れず困った。
 しかし、今は日本人以上にふろが好きになったこと、寮の仲間と楽しく酒を飲み、語り明かしたことなども盛り込む予定という。
 将来は、大学院に進む予定。東亜大学では「工学部が昨年誕生したばかりだけに、みんなと活気のある学部にしていきたい」と張り切っている。』
 と、『弁論大会前に構想を練る紀さん』という写真も含めて、葉書大の大きさで、後日十一月五日金曜日読売新聞朝刊下関市版に掲載された。
 「そうか、そりゃあ良かったのぉ、」
 と、冨永を見てそう思う史邦ではあったが、この新聞の一記事だけで学祭への影響はさ程期待してはいなかった。と、いうのも、史邦がこの大学へやってきて、陸上部やら学祭やら果てはこの先雲行きの怪しそうな寮の問題やらと、進んでゆくにつれて何かしら感じるものが頭の内に徐々に形造られ始めていたからであり、むしろ、学祭の人集めの為というよりも大学自体に周辺の目を向けさせることにより何ものかを期待していた節もなくはなく、その方の比重が大きくなっていたのである。その何ものかというのは、この段階ではまだ史邦には分かっていない。だから史邦の視点は遠くにある。
 「紀さんには面倒な話しじゃが、世話になるのぉ、」
 紀明岳は、新聞にも書かれてあったが、史邦と同じ寄宿舎に暮らす工学部機械科の二回生であり、史邦との親交も厚くこの案を史邦が依頼した折も、
 「わかりましたやりましょう、でも、私がこの一件を引き受けるのは中村さん、あなたの為です、中村さんがやってくれと言うから私はやります、それだけのことです、」
 と、内容もさることながら史邦の依頼そのものを承諾したのであった。
 「そりゃあそうと上の寮のことで何か聞いとりゃあせんかの、」
 と、冨永に言う。
 「何も、どういうこと、」
 「いや、それならえゝ、」
 「そげん、しかし変な言い方じゃのぅ、気になるのぉ、何かの、」
 「一年生がやられとる、」
 「やられるて、」
 史邦は大まかな内容を話す。
 「そげんか、そりゃあリンチじゃな、」
 史邦はある種この硬派冨永の反応を期待した。が、はずれた。
 「やられとる方も馬鹿じゃっど、」
 「それじゃけんど、現にじゃ、ーーーやめた、」
 「お兄さん放っとけ、放っとけ、ありゃあ体質としてそういうもんを持っとる。何も今に始まったことじゃあありゃあせんがな、」
 「いつからか、」
 「えっ、」
 「いつからそういう状態かと聞いとる、」
 「まあ、そんな熱うならんでんよかろう、昔からじゃ、」
 「昔?」
 「俺が来たころも聞いたことがある、それから毎年のことじゃ、いつじゃたかえろう問題になったこともあるが、ありゃあ事務で潰されたちゅう話しじゃ、」
 「潰された、事務で潰されたとはどういうことじゃ、」
 「何、例年事務までは話しがゆくみたいじゃっどん、とりあわぬ、そこまででいつのこっか年が明けとるようじゃっど、」
 「何なんだ、そりゃあ、どうなっとるんじゃここは、」
 「じゃから拘らぬほうがえゝ、馬鹿みるのがおちじゃど、」
 (そうはゆくか、それならばじゃ)
 蒼く朽ちた岡の顔が浮かんでくるのであった。
 「しかし、大学生にもなってすることじゃあねぇの、阿呆じゃっど、」
 と、冨永。
 「その阿呆が多すぎる、やらにゃあおえぬことが他に何ぼでもあろうが、弱い立場のもんを傷ぶって楽しんどるたぁ何か、阿呆めが、」
 しかもである。毎年々々、例年の如く同じことが問題となりながらも今回に至っている事実を如何に理解すれば好いものか。
 (馬鹿げている)
 そう史邦は思った。
 今回の場合、今までの例年のつけが一気にやってきたと思えば良い。毎年、その年に入ってきた一回生がそのヒエラルキーに組み込まれてゆき、その一回生の中の何名かに特に焦点が定められることになる。彼らに原因はない。ただ、視線と視線が合った時、その時の表情いかんで、又、交わした言葉の言葉尻で、その年の上級生と、その年の下級生の拘り合いの図式が成り上がってしまう。ただ、それだけのことである。今回たまたま上級生が佐藤を中心とする力関係の片方であったに過ぎず、他方岡を代表とする一回生の群れであったにすぎない。この際、固有名詞は不要となってしまう。まるで猿山のようだ。
 しかしながら、今までのつけが一気にやってきたと思って良いと書いたのは、問題が持ちあがり、潰れた回数と同じ割合だけ、最初に持ちあがった問題よりも複雑になってきているということである。即ち、ヒエラルキーの組織自体複雑強化し、そういう組織体を食い潰すには当初よりもかなりのエネルギーを費やさねばならなくなってしまった、ということであった。四年も経てば一新してしまう、そういう機構の内で年々複雑強固にに組織化されてゆく、というのも不思議といえば不思議ではあるのだが。
 (どうかしとる)
 良くは分からぬといったところが史邦の頭中なのであろう。
 (しかし、現に岡の顔はふくれとる)
 いかに各人が個人々々として独立していないかということはさておいて、現実問題として、
 (あの顔をなんとかしてやらねばのぉ)
 そう思うのが、史邦の人情であった。
 事実、各人が個人として存在せず、何らかのものへ帰属しようとするからこの種の問題は、一向に解決はしないのであるが、まあ、ここではいいことだ。後で又出てこよう。
 先を急ぐことにしよう。

 数日して、上の一回生達が何やら動き始めていることを小耳にはさんだ。やはり上の寮生の梶村が史邦に知らせた。それまで梶村は史邦との交際は殆どなく、たまにすれ違うと挨拶を交わす程度のものであったがすれ違う度につれ、史邦の許容量の大きい人懐っこい笑みに、彼は次第にひかれていたのであった。又、そうした他の一部の上の寮生の一回生達によって史邦の存在は彼らの頼るところとなり、知らぬ間に史邦は担がれるはめになるのであるが、史邦自身、担がれようが担がれまいが、既に自分の問題として事件を取り込んでいる以上、それはどうでも良いことではあるのだが。
 梶村は言う。
 「寮内ではなんだからと云うことで、他日日を改めて別の場所で一回生だけが集まることになりました、」
 「そうか、やっと腰をあげたか、よいよい、たかが五六人に牛耳られること自体がアホらしいこっちゃ、しかし別の場所とはーーー仕方ないかもしれんのぉ、五十人ちゅうたらちょっとした数じゃしな、目立つじゃろおョ、」
 「中電にも行って資料をもらって来ているし、水道局にも他の連中が行きましたから、それらを元に一回生の最終的態度が一本化されるということになりますか、」
 「そのチュウデンたあ何か、」
 「いや、要するに電気代と水道料金のことです、」
 「電気代や水道代が何で暴力問題と関係があるんだ、」
 「おゝいに関係ありですよ、何しろ上の寮全体の体質、いや、あり方自体に拘ってくる話しですから、中村さんたちの寮とはだいぶん違うらしいですね、上の寮じゃあ、その月のオーバーした電気代や水道料金を一回生の頭割りで払わされるんです、」
 「何じゃあそりゃあ、下だとか上だとか、上と下と同じ大学の寄宿舎じゃろが、同じ大学の隣どうしの二つの寄宿舎で何で違うことがおこる、何かの間違いじゃあねぇのかい、」
 「いいえ、しかし実際の話しが、オーバーしているようにも思われんのですョ、」
 「と、いうと、」
 「まずこうです、」
 と、梶村は下の寄宿舎恒友塾と上の萌友塾との、同じ大学の寄宿舎でありながらも、そのあまりにも違いすぎる運営上の疑問点や制度を逐一説明し始めた。
 それによると。
 電力供給時間が恒友塾が二十四時間、一日中であるのに対し、萌友塾は午前中八時からの一時間と午後五時から十時迄、と制限されていること。
 次ぎに、電話番という奇妙な制度。
 これは恒友塾にはない。電話番をさせられるのは全て一回生で、各二名が割り当てられる。番が回ってくると、その日午後五時から十時迄の五時間もの間、玄関備え付けの赤い公衆電話の周囲から離れることが出来ない。午後五時から十時迄というのも、結局のところ大学での講義が終わり、まっすぐに寄宿舎にたどり着いた五時から消灯時間である十時迄ということであって、午前中は番をさせるには、寮という建前上不都合と考えられたからにすぎぬ。そうでなければ彼らは、一日中でも下級生を縛り付けるに違いない。だから、講義の空いた時間や、出席していない時間にこの寄宿舎にいれば、やはり同じこと、電話番が待っているということになる。寄宿生六十名余りの頭数であれば、午後電話がかかってくる件数はまゝあれど、受話器の鳴りもしない間は電話番はずっと何もすることなく、ロビーの長椅子に、じっと座っているしかない。
 更に水道料金の問題。
 一回生が使い過ぎるという水道量の件では、これは主に洗濯機の水量となるのではあるが、各寄宿舎には半自動洗濯機、つまり洗濯槽と脱水槽の二穴からなる洗濯機が三台ないし四台は絶対的な人数の割合から設けられており、人数的に多いのが一回生ならばその割合だけは水量を使用するもの当然至極の話しであり、何ら問題になりようがない。洗濯以外で水を使用するのは顔を洗う程度のものではないであろうか。この件はこうした意味からも、むしろ直接的理由以外の作為的な何ものかが伺えよう。直接的理由以外に理由などというものはありえないのであるが。
 次ぎに、購買部という得体の知れないもの。この寄宿舎内における購買というようなものも、恒友塾には存在しない。どういうものであるかというと、まず、その販売兼倉庫を目的とした場所に空き部屋が与えられ、その部屋における実際上の管理販売は全て、これまた一回生に強要するものとなっており、そこで売られる物品は寮監が近くの卸市場にて仕入れて来て、利益をあげるというものである。あげられた利益は、仕入れの際の現金が寮監のふところからでたものであるから寮監のものとなるという原理が働いているようで、個人的商いが公共的な厚生施設である大学の寄宿舎で、半ば公然と営まれているのである。
 しかし時として、寮監が顧客である学生を私的に利用し営まさせている、その倉庫の品の数がむやみに減っていたり、一応月毎に締めを行っていたようだが、その際現金が万単位で合わなかったり、そういうこともあったようだ。
 そんな時。
 寮監は損をするのを好まない。
 締めの折の損害を一回生に負担させた。全体責任という訳の分からぬ言葉のもとにーーー。その工程を、いや、それからの工程をも含めて、五人の上級生達が目を光らせて監視する。そういう拘り合いをこれらの両者は持っていて、いわば持ちつ持たれつの関係が、一回生を時に現金を含む顧客として、あるいは私有財産であるかのように所有していた。全て形式上だけの立場を利用して、全てが全て実行されていたのである。下級生に対する上級生の力関係。それを黙認することにより後々の私的利益につなげてしまう寮監。当然、寮監は彼ら上級生のきげんをとっておかねばならず、時には酒を飲まし、時には食べに連れて歩くだけの工夫も決して忘れてはいない。それらは経営上の投資であり、そうすることを欠くリスクを思いやると、何よりまずは一安心と胸を撫で降ろすのであった。寮監にしてみれば、当然すべきことをしているだけのことなのに違いはないのであろう。

 筆者は胸が悪くなった。

 さて、続けよう。
 その月のオーバーした電気代、水道料金を一回生達だけに負担させていると梶村は言った。けれども電気水道量に関しては聞くところ恒友塾の比ではないし、足が出る訳はなく、むしろ逆であろう。仮に、もし収められた寮費から足が出たとしても、それを一回生だけに押し付けて数字上の解決をみるなどは全く愚の骨頂であり、寮監の意思であるという他はない。事実、毎月のように電気、水道代がかさむのであれば問題はまるで別のところにあると言えよう。
 人間が複数存在すれば、ある種、とり決めというものが必然的に誕生する。共同生活をおくる場合、当然のことながら複数の人間の観念や思考等が入り乱れることは言うまでもないことである。しかし、そのことがすぐ電話番につながるいわれはない。要は、六十名程の学生のいる萌友塾内でのことであり、総員によるものならばよし、そうでないものならあるいはそうしたくない者が何名かいるのであれば、後はその者達の努力が必要となってくる。ただ、それだけのことである。とまれ、共同生活を承知の上であれば最低限度のルール、規範を、好もうと好まざるとに拘わらず受け入れなければならないし、又、そうでなくてはやってゆかれるものでもあるまい。
 更には寄宿舎の管理者たる者のこと。これについてはこの際触れない。一個の社会人としての人格の問題である。ただ単に、胸の悪くなる感をおぼえるのみである。
 「葉じゃ、」
 「ハッ、」
 「要するにそんなことは採るに足りぬーーーといったら怒るかの、」
 「いえ、そんな、」
 「枝葉末節のハッじゃろ、大幹、ネを掘りおこさぬことにはどうもならぬじゃあないか、」
 「まあ、そうですね、」
 「デンキやミズの値段がどうであれ、問題にすべきは根っこの方じゃろ、ーーーいやぁしかし小さいのぉ、」
 「小さいです、」
 「梶村、お前はどうじゃ、地下にもぐって根っこでもかじっちゃらんか、」
 「もとよりのことです、」
 「いやぁ、女々しゅうて女々しゅうて、なんだかこう、ムシズがはしるわぃ、」
 「なんだか中電や水道局のデーターばかりに目が向いて、はぐらかされたような、だまされたような、」
 「忘れちょる、」
 「そうですネ、忘れてはいないとは思いますが、そうですね、」
 「何しろせっかく裏付けをとったんじゃから、後で何らかの役にはたつじゃろが、もうちょっとこう真正面からむかえんかいな、」
 「僕もなんだかそんな気がします、そうですね、」
 「そうじゃそうじゃ、お前がついとんじゃ、皆に頑張れ、よう前を見ぃちゅうといてくれ、」
 「そうしましょう、」
 大まかな上の寄宿舎の様子を梶村から聞かされて、史邦は何よりも既にそうなりきってしまっている寮の体質のこと、又、それを作り上げてしまったのは他ならぬ学生のこと、あれやこれや思いをめぐらすのであった。特に寮監が立場を忘れ都合の好いようにしている有り様を見るにつけ思うのであった。
 (食いものにしちょる)
 この種の人間はどこにでもいる。存在そのものに驚きはしないけれども自分の手の届く範囲内に、身近にその種の人間がいることは、しかし許せるものではない。
 (そうは思わぬか)
 食い物にされている者達にむかって。

 さて、暴力問題である。この暴力問題をどうしたものか。どうするかは決まっている。解決させてしまうまでのこと。どこから、どういうふうに手をつければいいものであろうか、と、あれやらこれやら思いをめぐらす史邦ではあったが、そうこうしているうちに更に冨永が混乱の種を持ってきた。冨永が混乱の種を持ってくる前日に、絵に書いたような話しではあるが、当の冨永の相手である森元女史から同種で、しかもその希望はまるで正反対の相談を史邦は持ちかけられていた

 事実は小説よりも奇なり。
 将にそうであった。
 順序だてて説明しよう。
 まず、前日の森元からの話しである。

 例により、実行委員会室で先程までガヤガヤやって後の、お開きのこと。森元は当大学では貴重な女史であることから夕刻遅くお開きとなれば送ってゆくということを、このところ常としていた。家は宇部である。以前に、学祭とは無関係な時期、人の少ない電車にて帰宅の途、厭な雰囲気に包まれたことがあると、彼女自身言っていたことがあった。と、とうことで、遅くなるようであれば車で送ってくれろと、史邦は教務の徳永から頼まれていたのである。
 「今日はどうする、送ってゆこうか、」
 と、史邦が言う前に、
 「実は、相談したいことがあるんですけれど、聞いてもらえますか、」
 と、森本が言った。
 「送るついででよければ、いいよ、聞きくよ、」
 下関から宇部まではどのくらいかかるのだろうか。車だと片道一時間半位であろう。県道菊川線から国道二号線王司付近へ抜け、途中小野田、宇部方面へと右へ折れてゆく。
 田舎道の国道を夜走る。
 「それで、」
 と、切り出しにくそうに先程からまるで関係のない学祭の話しばかりをトツトツと喋る彼女を制した。
 「え、でも、」
 (デモもないだろう)
 と思いながらも、
 「言いにくいことなのか、」
 史邦の悪い癖である。女の前にでると、その相手が自分にとって特別な人間でもないくせに、やたら身構えてしまう。悪い癖である。その為に相手の誤解を招き、後の処理で困ることが幾度かあるのであった。しかし、どうしようもなく、現在まで続いているようだ、これでは。野郎相手の時と口調がかわり、さ程の余裕も失いそうな史邦である。

 この男、いつかは女で失敗するのではーーー。

 いや、筆者のたわごとであった。

 「冨永さんと、別れたいの、」
 「ナント、」
 「でも、駄目みたい、」
 「誰と?」
 「冨永さん、」
 「別れたいって、ホー、」
 ホーでもなかろう。うとい男だ。
 「別れたいもなにもそういうことになっとるとは全然気づかなんだ、いや、ホント、」
 「私を会計に欲しいから是非にって、お兄さんと二人で誘いにきたでしょう、」
 「行った行った、」
 「あの時、私、迷ってたの、」
 「そうか、」
 「冨永さん、そんな私に気付いてたみたい、それでお兄さんを連れて、」
 「連れられてーーー」
 「あっ、ごめんなさい、でも、本当のことなの、」
 「俺をだしに森元さんを引きとめようと、」
 「そう、でも私、決心したんです、」
 「そうか、別れるか、」
 史邦は別のことを感じている。ただ、別れるという言葉の響きだけが独立して頭の内をぐるりぐるりと歩き始めた。
 「それでねーーー」
 もう後は頭に入っていない。
 (別れるーーーそうか、別れるねぇ)
 これ程人の話を聞かずに器用に相槌がうてるものかどうか。現に史邦は森元の話しをうわのそらで、奇妙に相槌だけをうつ。しかも、間ははずしていないから不思議だ。相手は真剣に話しを続けている。
 彼女の話しだと、かいつまんで要点だけを並べるとこうなる。
 要は、二人のつき合い方そのものが、女である森元にとって苦痛このうえもないものになってしまったということである。冨永の荒々しさが男を感じさせていたのもつかの間、つまるところデリカシィも何もあったものではなく、彼女をはじめから女としか見てはいなかっただけのことであり、彼女は女としてみれば当然のことながらそういう、いや、それだけの関係に終止符をうちたいばかりか、関係してしまった自分のふがいなさに、女である自分に、愛想をつかせていたのであった。
 (どうでも、問題は問題じゃ)
 この場合、この二人がやってきたことはどちらがどうでも、この際女の方は良い。自分で経験し迷い判断する時間はあった訳だから。告げられる男も、まあ、原因なり経過というものは二人いて初めてできる性質のものだから、いよいよの馬鹿でない限り、それは共有のものだとしても、迷い判断するだけの時間を持っていただろうか。持ってはいまい。話の内容からすると、男は太平楽、女は深刻。明日からは男は地獄、女も地獄になりはしまいか。
 だから、
 (どうでも、ことじゃな)
 で、ある。

 太平楽の男は翌日、夜史邦の部屋にいた。
 史邦はたわいもない話しをする笑顔の冨永を見ている。
(この男、一言で地獄じゃの)
例によって、史邦は人の話しを聞いていない。頭の内にて、ぐるりぐるりと足が歩いていた。
「お兄さん、」
と、史邦の状態を見抜いたかの様に強く声がした。
「ーーー」
当然のことながら、驚いた。
「人の話しを聞いとらんな、」
「聞いてなかった、」
「ーーーまあえゝ、じゃっどん今までの阿呆話はどうでんよかど、こんからの話しは、ちょっとマジに聞いてくれ、」
「怒りな、怒りな、分かった聞くよ、何なの、」
「何かのて、呑気な、真剣な話しど、」
「ほうか、」
「女がおっての、」
(地獄じゃ、そりゃあ地獄なんじゃぞ)
「女がのお、」
「これじゃ、これじゃ、」
と、冨永は小指を一本立てた。
(それが地獄じゃ)
「何ちゅうか、つまりじゃ、」
「何じゃ、」
「モメての、」
「ほう、モメたか、」
「真剣なんぞ、」
「分かっちょる、モメてどうした、早う言え、」
「それでの、これがの、モメての、じゃが分かれとうないんじゃ、ーーーどねんかしてくれ、」
(何処の言葉か)
(礼儀として聞いておこう)
「誰ネ、」
「知っとるじゃろが、照れくさか、」
「知らんがナ、そういう話しは、わしゃあうといんじゃ、」
「うといのお、駄目ゾ、そげんこっで、」
(ほっとけ)
「純子じゃ、」
「ジュンコ、」
(ジュンコて、誰か)
「森元の純子さんなんじゃ、」
「そうか、」
(ジュンコ、て言うんか森元さんは、知らなんだ)


連載小説「デッサン いろはにほへど」をまとめて読む
(1)門出の花
(2)馬関へ
(3)陸援隊
(4)桜の木
(5)憂
(6)惨風
(7)思案
(8)思案その二
(9)物情騒然
(10)刺客
あとがき

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平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
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