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Logo Mark連載小説・デッサン いろはにほへど(9)物情騒然

平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
日本におけるインターネットの黎明期からネットラジオ「radio ...

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 昨夜来からの頭痛が尾をひき、雨を持って尚四肢にまでも隅々に余すところなく激痛が走って来るようである。

 頭が痛む。しかし割れる様子は毛頭ない。血液の海の中で頭骨ばかりが、ただぼんやりと漂っているようだ。周辺の音は全て遮断され、訳の分からぬ危懐な振動だけが聞こえて来る様な感じがしている。分かるのは何処までが頭骨の内側で、何処からが外かという、そのあたりの実にとるに足らないことぐらいである。
 と、机の上には夜半史邦が書いた走り書きがおかれてある。
 大阪の春江の家に変化がおきた知らせが届いたのが昨夜のことであり、それ以来訳の分からない頭痛が史邦を襲っていた。
 恵子と春江の父、大坪博が事業に失敗したというのである。
 彼は元来大阪の人間であり、岸和田周辺で青年期をおくり、縁あって中村の一番下、史邦の父一男の妹貴美子と結婚することになる。その後、寝屋川に越し、そこで事業の前身である関運送株式会社大阪支店の責任を執っていたのである。
 関運送は、地場産業から飛躍しついには世界的市場を持つに至った松下電器産業の製品を、その主たる荷として請け負っていた。又、関運送の本社が品川にあるということもあり大阪と品川を結ぶ送路は繁栄を極め、年毎に大坪の責任は少なからざるものとなり、信用も重きに至った。
 大坪は貴美子との間に二子をもうける。それが、恵子と春江である。彼女達の成長を見、先の見通しをつけた彼は思いも新たに自ら運送会社の経営に踏み切ったのである。ところが、その新会社が軌道に乗るか乗らぬかという時、彼の計画は崩れた。六百万の不渡りを掴まされてしまったのである。彼はそれでも奔走し、わずか六百万の為に全てを失ってたまるかと頑張ってはみたものの、全ては徒労に終わってしまった。創業後わずか数ケ月のことであった。その転機が岡山の家の騒動の後だけに先行きに大いなる不安を貴美子達家族の者がいだいたのは当然のことであろう。中村の家の一件の方も、ほぼ確実な結果ではあったが、それにしても、だろうという予測以外の何ものでもなかった時期だけに精神的不安定さは増して大きなものであったろう。中村、大坪両家同じに騒動が持ち上がった結果となった。それでも、
 「おにいちゃん、ちょっと来て、」
 と、先行きする中村の家の事情を背負った一男のもとへ貴美子は頼っている。
 一男は大阪へ赴き、彼が対処した全てを規範に、一家の内で唯一人責任をしょい込み小さくなり、ともすれば精神的不安に駆られがちな博と家族の心のより所となる。
 「お前は男の気持ちを、こういう時こそ解ってやれ、」
 と、貴美子に言う。
 「ひとり男がやったことじゃ、責めてみたって何になる、何も皆を困らせようと思うてやった訳でもある訳じゃあなし、初めからちいそうちいそうなろうと思う奴があるものか、皆を何とか思い、一旗も二旗も大きゅうなろうと思うてのことじゃ、当面結果だけをおゝてちいさいことは言わぬことじゃ、」
 更に、世にいう一家心中のことに触れ、
 「五百万、六百万のことで家族心中するのを見て、たかが、五六百万のこと位でと聞く分には思うし、それ位のことで心中する位ならば死ぬ気で働けば、何も死ぬことはありゃあせぬと思うとろうが、ありゃあ違うぜ、家族もろ手あげてどうしょどうしょと騒ぎだすからもうたまらぬ、ついぞ心中でもしてみようかという気が涌いてくる、それだけのことじゃ、俺も今回ことがおこった時にぁ、ほら、ついこの前ここへ来たときのこと、来ての帰り信州あたり北の方の夜行へ乗って雪山にでも埋もれてみようか気持ちが好いぜととい頭にできあがったもんじゃ、けれど、史さんがここへ寄るからと云うのを聞いて気がそれた、史さんが来ると聞いた時にぁ、世の中うまくしたもんよのぉ最後に会っておけと言うとるんだからと、そう感じた訳よ、結局、翌日学校もあったことじゃし最終に間に合う時間まで待ってみて、史さんには会わずじまいにはなったが、あれで良かった、」
 周囲が同調して深刻になり悲壮感が漂いはじめてしまうと魔がさして一家心中だとかと云うものが出来上がる。だから、お前達が余程気丈夫になっていなくてはいけない、と一男は語った。
 一男の話しの中で、史邦がここに来る、というのがあるが、史邦自身当時一男がまさか大阪に来ているとはついぞ知らずに行動していた。
 東亜大学陸上部はこの時人間だけで成りあがっていた。
 陸上部をつくれども道具はなく、それらを揃える為の金もない。事情を辛島の口から知った彼の出身校の陸上部監督が、それならばと最低限の用具一式を最大限に提供してくれたのである。その為に史邦は辛島、槙野を連れ、大阪堺にある初芝高等学校まで用具の貰い受けに出むいていた。
 この時より東亜大学陸上部は初芝高校陸上部の、独立した分派であるということが言えるかもしれない。
 史邦は事のついでに、時間が許せば千枝のところに寄るかもしれない由を前以て知らせていたのであったが、つまるところ帰路下関へと直行したのであった。
 その一男と史邦との行き違いが、一男をして大坪の窮地に先程の言葉を吐かしたのである。
 (世の中というものは本当に良くしたものよ)
 と、改めて貴美子を前にして一男は思うのであった。

 その日の史邦に戻ろう。
 (額が妙な具合で痛むのお)
 いつ頃からか、時おり何の前ぶりなしに額がうずくことがまゝあった。ちょうど前頭葉、つまり眉の上横一文字に額の神経が漏電するが如く、奇妙にうずくのである。ひどい時には体全体が常とは異なり、ぎくしゃくする。特に背骨、首より何番目かの箇所が、骨が多少どちらかへずれているのではあるまいかと思われる程、直接的な痛みとは異質な疲労感にみまわれることがあった。
 この日もそうである。
 その日、朝、額真一文字のうずきに眠気を妨げられ、昨夜半ぐるりぐるりと頭がまわりあまり寝ていない頭で目を覚ました。
 朝食をとりに食堂へやって来ると、前日の夕食の残りが二三テーブルに盛られ、卵と味噌汁だけの食卓にかぶさるようにして辛島とサトー(義広)が飯を掻き込んでいた。史邦はほとんど朝飯と云うものは下関へ来るまではとったことがなく、こちらへ来てからもまゝであった。その史邦を見て、
 「おや、」
 「おや珍し、」
 と、サトーがからかう。
 サトーの朝食は辛島のものよりも一風かわっていて、卵と味噌汁と昨晩の残りが飯の上に山のように同居していた。
 「それ食ってうまいか、」
 と、寝起きの悪い史邦が、表情のないまゝ顔で言った。
 サトーはそれに答えず、
 「おくさん、困るでしょうねぇ、」
 と、寝起きの悪さを言い当てて、ニタニタと笑っている。
 史邦は盆に飯をもらい、サトーの正面につき、不機嫌そうな面付きを変えようともせず無言で飯を流し込む。サトーが、こうすれば楽に食べられますよ、と言って、自分と同じように卵と味噌汁と昨晩の残りものと、ついでに沢庵二切れを、次々に飯にかけはじめたものをされるがまゝにその工程を眺め、それが終わるのを待って目の覚めない頭のまゝ流し込むのであった。
 この時、目は食器に落ちてはいない。
 (何ちゅうことか)
 だますも良し、だまされるも良し。このうちひとつを選べといわれれば、だまされる方が好いに決まっている。それ以前にだます方の素質は体質として禁じ得ないものなのではあったが。春江達家族のこと、更に父一男から自分に至るまでにさかのぼる一連の目に見えぬ力の動きというものを再度改めて考えさせられる思いである。以前は史邦がその会社経営の破局から下関という方向が決定するまでの間に、やはり目に見えぬ得体の知れない時間の流れが太い帯状の流動体に自分が包まれているかの如く強烈に感じることができた。自分一個の力ではとうてい太刀打ちできるしろものではない得体の知れないもの。そういうものを相手に無力感を知り、そこから出発したのであった。
 階段を登りながら、
 (俺は何をしている)
 と、怒りにも似た腹立たしさを覚える史邦であった。
 と、そんな時、
 廊下を歩いていて加藤とすれ違った。妙な具合である。史邦と顔を合わした瞬間に目をそらす。
 (おかしな奴)
 すれ違ってみて、そう思った。
 「ありゃあ阿呆じゃ、」
 と言ったのは辛島で、朝食の後しばらくしてから史邦の部屋で煙草ばかりふかしている。
 彼によると、何でも史邦の部屋に現れるより前、加藤のところを覗いて来たということであった。阿呆と言った話しの内容は、何、たいしたことではありはしなかったが、
 「ありゃあ阿呆じゃ、」
 そう言った。
 「そう言うな、先輩じゃぞ、」
 「先輩でも阿呆は阿呆じゃ、いくら三回生じゃからいうても、おかしいんとちゃうか、」
 更に、
 「先輩なら先輩らしゅう、ちゃんとした人格で後輩の前に現れて来いていつも言うてんのは中村さんじゃろ、かばうのはおかしい、」
 下らんことでぐだぐだ言うな、わしゃあそれどころじゃないんじゃと言えば言いたい史邦であったが、それが彼らの現実なのである。言わない。
 「そうか、」
 「今度の北九の運動会のことでもそうじゃ、何考えてんのかの、先輩方は、よう分からぬ、つまり、さっぱり分からぬそうでしょう、」
 「その運動会がどうしたのか、」
 「登録が完了した時点で全員がキャンセルですよ、三十五人中三十五人です、もう頭にきてしもうた、せっかく中村さんが大学の名前を売る為に頑張ってみても結果がこれじゃあ元もこもない、」
 (別に大学の名を売ったつもりはない、ただそれだけの為に何かをしたというものではなかろう)
 第三十九回北九州スポーツの祭典は、新日本体育連盟の主催で、スポーツの祭典というだけあって、他の大会などとは、例えば中国四国学生陸上競技連盟のそれなどとはかなり毛色の違うものとなっていた。その規約はかなり柔軟なものである。つまり、陸上部員であるという資格そのものがない場合でも、所属する大学の陸上部の管理の元に参加し、日頃の腕を競ってもよろしいということであった。
 「皆にふれてまわってみろ、」
 興味のある者はどれも出してやれ、という意味で、辛島がとりあえず寮内の各員に伝達し、部員以外で三十五名の参加意思を確認したのであった。その三十五名が全て出場を辞退したのである。
 「どういうことか、」
 参加票、個人登録その他全ての手続きは終わっている。当日のプログラムも既に辛島の手元に届いており、今になって参加を辞退せねばならぬのである。
 (当日が迫り気後れしたということか)
 辞退者の中の何名かは陸上競技経験者ではあったが、大半はまるでその種の記録会、大会を知らず、その自信のなさが雪崩現象を引き起こしたのではないかと史邦は感じた。
 (———それにしてもーーー)
 それにしてもである。開いた口がふさがらなくはないか。
 史邦にしてみれば、あらゆる機会を通じて、大学内だけにこだわらぬ自由な空気を提供したつもりではあったが、どうやらそれにのってくる性質の学生達ではなかったようだ。

 (加藤のところへゆかなければ)
 加藤は倉敷の出で、この年経営学部の三回生であった。
 梅光女学院大学の学祭に関連する用件が、彼に対してあったのである。
 それを、思い出した。
 この年、梅大はさだまさしの講演会を企画し、東亜大学実行委員はその協力として講演会のチケットを頼まれていた。チケットは枚数にしてわずか三十枚というから、これは梅大にしてみればほんの儀礼的なものであったろう。本来はさだまさし講演会に関しての趣旨は一般的なものではなく、こと学内向けのものである性質上他の協力を必要とはしないものである。
 その梅大からわずか三十枚にしろそういう依頼があったということはどちらにせよ、史邦達の大学回りと称するもののひとつの成果に他ならない。
 実行委員十三名。これは全て講演会にゆかねばなるまい。と、すると残るはチケット十七枚。このうち十枚を史邦が寮内の者から依頼を受けて確保している。
 その依頼者の一人が加藤であった。
 史邦がいかに特殊な、学生らしからぬ学生であったにせよ、チケット十枚を獲得するには多少なりとも気がひけていたのは事実であろう。
 史邦が加藤の部屋へゆこうと立ちあがった時、本棚の隅に講演会のチケットがおかれてあるのを見つけた。まさに、梅大主催のさだまさし講演会のチケットであった。
 (ひとをなめるにも程がある)
 既に手持ちの金で、引き受けたチケットの代金は払ってある。史邦が依頼者の代わりに建て替えた格好になっていた。
 しかも、講演会当日の朝である。
 史邦にしてみれば、だまされたようなものである。
 彼らから依頼を受け、それをのみ、他を抑えてまで確保せねばならなかったチケットを、彼らはいともた易くつき返してくる。それはもう話しにならない。
 虚脱感を覚えた。
 (だまされたな)
 だまされた、と、史邦は頭の中でつぶやいた。
 そうでなくても、あれやこれやで彼の頭中はめまぐるしく働いていた時期に昨夜来の大阪の電話である。史邦は、ひとたびついて出た自分の言葉に酔った。
 「だまされた?」
 そうつぶやく。
 彼の胸の内には、非常識な者達の顔とあいまって春江のむじゃきに動く姿がだぶっていた。
 「やられたーーー春江よまたじゃ、」
 つかの間現れては消えてゆく残像をやみくもに自分の力で掻き消してしまう史邦であった。
 間をおいて、何やら得体の知れぬぼんやりとした闇の中に直感した。
 ぼんやりと正体なく、ただ黒いもやもやしたものが加藤の顔となって現れて来た。
 (そうか)
 それでさっき、顔を合わすまいとしていたのか。
 加藤のことである。
 「あの野郎、」
 史邦の虚脱感は、いつしか攻撃的なものへと変わりつゝあった。

 部屋に、加藤はいた。
 「中村か、」
 と、史邦の姿を捕らえて言う。
 「———」
 史邦は無言である。
 (こんな奴に)
 そう思った。
 「何でわしが二枚も買わにゃあいけんのじゃ、」
 「知らぬ、」
 加藤は史邦に二枚頼んでいた。だから、加藤の口から何でと言われても、史邦には理由など知る由もない。
 「やはり、お前か、」
 椅子に腰をおろした加藤の肩越しに二枚のチケットが見える。他の学生のものであるらしかった。つまるところその学生も要らぬようである。
 「今になって何を言う、今日あるんじゃろうが、」
 「しらなぁ、そねぇなこたぁ、」
 「そこのチケットは何なら、」
 「宇野の分じゃ、行かぬ言うとった、」
 喋る加藤を、遠くから全体像として捕らえる史邦には、既に言葉は無用である。
 (こんな奴らに)
 だまされた、と、思うと、今までの全ての因果の対象に加藤は化けてしまった。
 「おめぇら、ひとの付き合いちゅうもんを知らんのか、おお、」
 気がついた瞬間、史邦の右腕は加藤の顎を捕らえていた。
 (しまった)
 が、もう遅い。後にはひけぬ。
 いったい何が起こったのか理解するまでに加藤は時間を必要とした。それ程に史邦の印象には、今目の前での姿はつながらない。
 椅子から立ちあがりざまに、違和感のある口から血のたまりを吐き捨てる。歯が一本、みごとにおれている。ころがりでた歯を見て、加藤は我を忘れた。
 最初の一撃を放った史邦は、当初こそ文字どおり爆発してしまったのであるが、机の上に加藤をつりあげ、その体をベットにたたきつけてしまった頃になると、既に冷静さをとり戻していた。好対照をなす。相手の興奮は徐々に高まりつゝあるのだ。だから、相手の出方に合わせて体を動かしているだけにしか過ぎない。
 冷静なものである。いつ切りあげたものか機会を伺っている。
 (あんまりやるとことじゃの)
 相手には持病がある。時折、突然に変化を見せる体を以前にも幾度か見ているのであった。だから、
 (でんにゃあえゝが)
と、持病のてんかんを思いやっているのである。
 (もうやめぬか)
 しかし、
 (そういう訳にもゆくまいよ)
 やがて、狭すぎる三畳から廊下へもつれ出た。背になった史邦がノブに手をかけたのであった。
 廊下には三人いた。
 彼らはあわてた。意外な人間が中心になっていたからである。
 「中村さん、やめとけ、」
 と、日頃より加藤を小馬鹿にしてからかっていた熊谷が言う。
 (やめたいわィ)
 それでも、加藤は両腕をくんだまゝむやみに押してくる。押しに押されて、とうとう反対側の壁にもたれてしまう格好になった。
 取り巻く三人の向こうに、気配で誘われて出て来た磯元がいた。
 「ほお、」
 黙って見ている。磯元の目は言う。
 「わしが充分見届けてやるから、思う存分やるが良かろう、」
 「いい迷惑じゃ、」
 と、目で答える。
 (こりゃあ何とか形をつくらんにゃあならぬ)
 と、思うやいなや、史邦は掴む腕をゆるめた。力がすうっと抜けてゆく。
 (早う、やれ)
 史邦は見た目こそ状態に変化はないが、無防備にになった。
 もがいていた加藤は急に自由になった両腕を振りまわしてかかって来た。
 一発が史邦の顎に決まった。
 (おや)
 目の前の変化に敏感であった磯元は、
 「頃合いじゃ、」
 と、踏んだ。やがて、割って入るよう、極自然に三人を動かしたのであるが、史邦の方はどうかといえば、
 「痛ッ、」
 (この野郎)
 と、再燃し始めた。
 その時、事は終わったのであった。
 三人がおさまらぬ加藤をいともた易く、無理矢理に部屋に閉じ込め、史邦のもとへやって来た。
 「やるもんじゃのお、」
 とか何とか言っていたが史邦には聞こえない。まだ、再びついてしまった火の余韻があるのである。我をとり戻した時には磯元と二人で部屋にいた。
 「お兄さんは喧嘩をせぬ方がえゝ、喧嘩の方法が下手じゃ、」
 相手を殴る場合、顔は殴らぬのが定石であるらしく、むしろ腹に集中した方が後々問題が残らんで好いらしい。
 「わしが何で止めに入らなんだか分かるかいの、」
 それは、一対一で争っていたからだと言う。喧嘩だからとも言った。
 「思う存分やった方が尾をひかんでええからじゃよ、」
 (知るか、早うとめにはいれ)

 この一件は予想外に早く伝わった。
 「嘘じゃ、嘘じゃろお、中村さんがそんなことする筈はない、」
 と、サトーなどは聞く事柄と史邦の印象からとてもあり得ぬ話しだと本人の口から聞くまでは決して信じようとはしなかった。

 話は戻る。
 両者が冷静さをとり戻したおり、
 「話しをしとかんにゃあおえぬ、」
 と、史邦は立ちあがった。
 「立ち合おう、」
 と、磯元は先を歩く。
 「おるか、」
 と言いながら扉を開けると、タオルを口に当てた加藤が宇野から介抱を受けていた。
 「お兄さんが喋るぞ、」
 と、彼らを威圧した磯元が、
 「聞け、」
 と、一言言った。
 史邦は言う。
 事の結果歯を折ってしまったらしい。原因はどうであれ、物理的な問題としては全てその責任は当方にある。責任はとる。だから、安心しろ。と、いうような意味の事を言葉少なく加藤に告げた。
 「ただし、間違うんじゃあねえぞ、これだけは覚えておけ、問題は解決してはおらぬ、おらんのじゃぞ、よう覚えとけ、」
 問題はむしろ歯の治療が終わった時、そこから始まるんだと言うのである。
 その頃になると、史邦の影は萌友塾の暴力問題追及の巨漢として周囲の者達は捕らえ始めていた。そんなことに無頓着な当の本人は、あの一件以来むやみに落ち込んでいた。自己嫌悪の渦に飲まれていた。
 「中村さん?」
 「ふむ?」
 今日もサトーが部屋にいる。部屋にいて、気のない男を困ったものだと腕を組み考え込んでいる。
 「同い年か、ひとつふたつ上か下かの者が殴ったというなら話しは分かるが、これゃあもう、話しにならんでの、」
 「済んだことです、」
 「分かっちょる、誰がもういっぺんやるもんか、分かっちょるがのお、」
 萎えている。
 本人の意思とは裏腹に、事実を知った連中の史邦の株はどういう訳か落ちることはなかった。そればかりか、あがっているのである。この辺り、人徳のなす業か、そうとしか感じられない。
 それとは無関係に、
 「ふむ?」
 と、史邦はベットに座ったまゝである。
 サトーが差し出す煙草を無意味にふかす。
 (それにしても、面白い、やることだけはやっている)のではないかと、サトーは思っていると、
 「何ニヤニヤしとる、俺が落ち込んどるのがそんなに嬉しいか、」
 と、布団にくるまってしまった。
 (駄目だ、手におえぬわ)
 放っておこうとサトーは思った。

 翌日、加藤は史邦に言われた通り、病院の領収書を持ってやって来た。医者の話しだと、安くて三万、高ければ五万円を治療費にかかるということであった。
 「そうか、分かった、」
 更に翌日、金をおろして来た史邦は、
 「ここに十万はいっちょる、これで全て治すように、」
 と、千枝からもらった金の半分を手渡した。
 「完全に治せ、あとはやる、」
 と史邦は言った。十万で完全に治してしまえ、残りはかえさなくても良い由を告げたのである。
 加藤がどう思ったかはどうでもよい。
 五日後、更に十万かかると言って来た。
 「そうか、」
 とは言ってみたものの預金残高ではとうてい足らぬ。
 「今はない、いずれ支払う、それでよいか、」
 「そんなに持っている筈がないのは分かる、自分がそれまで立て替えておく、」と、加藤は返事した。
 「そうか、すまぬのお、」


連載小説「デッサン いろはにほへど」をまとめて読む
(1)門出の花
(2)馬関へ
(3)陸援隊
(4)桜の木
(5)憂
(6)惨風
(7)思案
(8)思案その二
(9)物情騒然
(10)刺客
あとがき

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平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
日本におけるインターネットの黎明期からネットラジオ「radio ...

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