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Logo Mark連載小説・デッサン いろはにほへど(8)思案その二

平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
日本におけるインターネットの黎明期からネットラジオ「radio ...

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 いよいよ講義に出なくなった。五校を相手にとび回っているのだから時間がいくらあっても足らない毎日であった。多少時間の余裕ができると、学内での広報活動もしくは実行委員会の運営と、全ての行動を把握し、余すところなく効率よく実践させねばならず、講義に出たくとも出られない状態が続いていた。
 そうしたなか、ある日第二外国語の中国語の講義のこと、
 「講義の前に一言言っておきたいことがあります、君たちは知っているかどうか分かりませんが、君たちの中で中村君という学生がおります、彼は今度の学祭にカワイイ娘をたくさん連れてくると言って今、他大学を一生懸命とびまわっています、君たちも我が大学の学生であるならば何等かの形で今度の学祭に自主的に参加して下さい、大いに楽しみましょう、私も積極的に参加させてもらいます、昨今、学生気質が低迷し自主自立性が失われつゝあるとか世間では言われていますが、関係ありません、まず行動を起こすことです、まあ、騒げるときにせいぜい騒いでおきましょう、」
 と、坂田先生は、席にいない中村を機に学生たちにカツをいれられたのである。
 実際のところ、史邦は忙しくなる以前より講義に出るよりは、先生達の研究室へいることの方が多かった。
 大学に入学して間もないころ、化学の玉置先生が、どこが気に入ったのか史邦に目をかけてくれ、構内で史邦の姿を見つけるたびに、
 「研究室へ行きましょう、お茶でもどうですか、」
 と、声をかけてくれたのをかわきりに、必修科目であった簿記原理の中田先生などは最初の講義の終わりに史邦を見つけ、
 「私は実際の簿記をつけてはいません、何か気がついたことがあればどんどん話しに来て下さい、」
 と、どこで耳に入れられたのか、たぶん史邦の経歴のせいであると思われるが、そう言われた。むろん史邦は簿記などというものはまるで知らない。
 東田先生はまだ独身で、顔を見るたびに、
 「飯は食ったか、今日は食ったか、」
 と、結婚されるまで、そう言われた。結婚されてからは愛妻弁当持参になられ、その言葉は消えてしまったが。
 法学の半田先生は入試の折の面接官であり、入学後も顔を覚えていてくれ、
 「おゝ、元気でやっとるか、」
 と、気さくに声をかけられる。
 原田先生は当初、気ままな陸上部に頭をかかえられていた様子だが、それでも都合よく諸事を史邦の意のまゝに影になり運んでくれていた。
 それから、と、書けば長くなるように史邦は教授陣の間で好意の目で見られることがまゝあったわけである。だから、時として
 「あゝ、君があの中村君ですか、」
 と、他の教授からも言われることもあった。史邦にしてみれば自分の経歴からだけで好意の待遇を受けることには抵抗があったが、知らぬふりをしていれば三回生ぐらいまでにはまぎれこめる風貌であることも原因して、そこから知らぬ顔で出発していたのであった。

 「最近食ってるかね、」
 この日の朝、一号館六階にある東田先生の研究室ではすっかり馴染みになった史邦の後ろ頭があった。
 「はあ、」
 まるで馬鹿のような恰好をして、半ば固まりかけているコーヒーの粉の固まりを、湯をかけて潰している。
 「それ、飲めるかい、」
 この研究室にある唯一のコーヒーはほとんど史邦のためのものといってよく、粉が固まりかけてから先生はもっぱら元来の紅茶党になっていたのである。
 「ふむ?」
 正体を得ない。寝起きのまゝ何も胃袋に入れず、ここまで辿り着いたばかりで、この男、頭が冴えるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
 そこへ、隣の研究室の井上先生がひょっこりやってこられた。
 「先生、いいですかね、」
 と、井上先生は後ろ頭の史邦を見て、そう言う。
 「どうぞどうぞ、中村です、」
 と、
 「あゝ中村君でしたか、こりゃあちょうど好い、饅頭がありましてね、一緒に食べましょう、」
 井上先生は小脇に饅頭の箱をかかえ、急須と湯呑を持参で入ってこられた。
 「今年の学祭は何だか中村君が一人でやってるみたいですねぇ、東田さん、」
 「まあ、この男には妙なところがありますから、」
 史邦の目玉はコーヒーの中に落ちている。
 「陸上部も造ったんでしょう、何をやるんですか、」
 競技種目のことである。
 「この男は要するに元締めみたいなことをやっとるんですよ、」
 「そうですか、それはそれはご苦労さんです、取りまとめも大変でしょうな、でも先生、中村君みたいな学生がいたればこそ、こういう立派な陸上部顧問も出来上がったわけでしょう、」
 「そういうことです、」
 とは、史邦。
 「陸上部を取りまとめるには骨でしょう、まだまだネ、学生も学生ですから、」
 「まあ、それを言えば身もふたもなくなりますから、」
 と、一応は学生という身分である史邦の手前と、更に自問自答とで、東田先生はこの後苦笑した。
 「一年生にして陸上部創部と学祭の実行委員会の補佐(オブザーバー)でしょう、」
 「トシですから、」
 と、饅頭をつかんだ史邦はボソリと言った。
 「いや、実際ここで何だかんだ言ってると思ったら、もう何やら出来上がっているんですょ、例えば今朝の新聞は、井上さん、もう見られましたか、」
 「いえ、まだ見ていませんが、」
 新聞と聞いて多少表情をかえた井上先生であったが、
 「どうぞ、」
 と、史邦は饅頭をつかんだ手で新聞を渡した。
 新聞は新下関駅売店で早朝、同じ寮に暮らす佐藤義広によって買い占められたもので、大半は既にばらまかれていた。足らずは複写で間に合わせる。そういう考えであった。これも広報活動の一環である。
 「へぇ、こいつはすごいじゃあありませんか、新聞配達の量ですな、こりゃあ、」
 と、史邦の足の下、椅子の横に隠れていた新聞の量に驚いた。
 「バイトもやってるんですな、うちのクラスにも新聞奨学生がいましてねぇ、」
 「なぁにを言っとるんですか井上さん、」
 「ここですょ、ここ、」
 饅頭をほおばったまゝ、下関版を開いた。
 更に、東田先生は苦笑し、且つ、事が理解できると三人で笑った。
 「へぇ、でてますねぇ、こりゃあすごいことです、大学の好い宣伝になりますねぇ、」
 「でしょう、こういうことをやるんですょ、この男は、」
 「普通思い浮かびませんもん目の付けどころが違います、中村君、たいしたもんですょ、学校の好い宣伝ができますねぇ、こりゃあ学校を代表して礼を言わんければなりません、」
 「そこまでーーー、しかしこれだけのスペースをさいて広告を出したとすればかなりのもんですょ、」
 「そうですとも、かなりの額になります、」
 「もっと大学が学生の後押しをどんどんするようになれば好いんですがね、」
 「新興私学のうちじゃあ、問題ありですかな、」
 別に新興私学だから問題有りという訳ではない。新興私学の全てが全てそうではないこと位百も承知、言わずもがなのことであるが、得てして体型の出来上がりが不充分であるということについては、この新興私学が、というのは当たっているだろう。多分にもれず東亜大学も、創設以来わずか十年たつかたたぬかで、極めて歴史に乏しい。乏しさが故に各種問題も出てくるというのも、至極当然のなりゆきである。何、たいしたことではない。気がつけば治せばいい。それだけのことである。
 「それじゃあ、次、講義がありますから、」
 と、井上先生が研究室を後にしたとき、
 「次、講義はないのか、」
 と、東田先生が史邦に言った。
 受けていわく、
 「でません、」
 そう、史邦は答えた。
 井上先生の残していった饅頭のあたまを手に、
 「ふう?、」
 と、何やらしきりに頭の中で訳の分からぬものがやっと回転し始めたようで、史邦は宙をにらみ、時折このフウムというのを溜め息まじりにもらしている。
 また、
 「ふう?、」
 「何だぇ、次は、」
 と、やっと目が覚めだした史邦を捕らえて東田先生は言う。
 「頭に何やら浮かんできたようだな、」
 「いろいろとありまして、」
 と、ニタリと笑みをもらす。
 史邦自身でさえまだ、その頭の中で混沌としたまゝ整理のついていない事情を、ひとつひとつ並べるように、ボソリ、またボソリと二人の間にあるテーブルの上に吐きだしてゆく。
 ひとつには陸上部内での、この程度のことが問題になるのかといった判然としない人間関係の上での感情のもつれ、あるいは、一から十に至るまで説明を要する個々人の持つ体質、しかしこれは辛島や槙野達部員の持つかわいらしさを強調するものであるから、さ程深刻なものではなく、むしろある種愉快なる心配の種であった。
 更に、第七回大学祭にからむ諸々の件。これに関しては、その主たる部分はいわばビジネスであり、史邦が連中の中で最大限の手腕をふるえばいいことであり、あくまでビジネスとしての問題であるから、割り切れば、何たいしたことではない。繁雑な周囲の雰囲気は雰囲気として切り捨てて好いようなものである。問題は実行委員に絡めた森元と冨永のこと。両人が学祭実行委員のメンバーであるだけに、先の展開が思いやられるということであろう。この両人、冨永と森元が同メンバーであるのは偶然のことではなく、冨永がその思惑で彼女を一員に引き入れたことは先に述べたことではあるのだが。
 全て、問題は同時に平行した時間を持っている。
 史邦が至急対処しなければならぬと思い込んでいる最大の問題は、やはり萌友塾における暴力問題であった。いわば、暴力問題であるが、これは案外史邦が当初思っていたよりは、余程深い問題である。この一件を通して果ては全てのありようにまでつながろうとするものでもあるし、否、相対的には一方が欠けては、この問題自体存在しなくなるであろう。
 (急がねばならぬ)
 当面、この問題の犠牲者となっている岡達一回生を救うことが急務だ。
 トツトツと喋りながらも史邦は事の急速なる解決へと身のはやる思いでこう思った。岡達から話しを聞いてから既に幾度となく暗い夜を一回生達は重ねていた筈だ。そう思うと、もやもやとした何ものかが史邦の頭の中に生まれ、渦を巻き始めたようである。自然、それまでの朴訥な話し方にも熱が入り、歯切れの好い勢いを持って口からすべり出してる。
 (おや)
 とは、それまでの史邦の話しを黙って聞いていた東田先生は史邦の内にある何ものかを感じた。
 (面白い男だな、これは、問題が重なれば重なるだけまともに見えてくるとは)
 史邦は喋り終えた。
 「さて、」
 「どうするね、」
 「さて、さて、」
 「ふむ?」
 史邦自身喋ることで、実際今の自分の回りに一体何がおこり、どうなっているのか、またどうなろうとしているのか、ぼんやりとこの時点で確認がとれたようである。
 「お前さんは面白いねえ、面白いよ、何だか生き生きしてみえてくる、ついさっきまではなかった顔が、もうそこにあって座っているんだから、これが面白くないといったら何が残るネ、問題山積でうれしそうにさえ見えてくるょ、おおいにやってみるがいいさ、」
 と、東田先生の言うことを半ばうわの空で聞いている。
 「さて、」
 と、史邦は視点を落とす。先生の肩越しに窓の外をぼんやりと見ている姿には、意識的に先程の光る鋭い目つきは見せないでいる。
 「とは、」
 「ここから先はまだなんとも、」
 「考えついたんじゃあないのか、」
 「ここから先は先生に考えてもらおうと、たった今思いつきました、」
 「俺がか、」
 拍子抜けした気配が顔を塗りかえた。しかし後、間髪を入れず史邦の意思を感じとった東田先生は、続ける。
 「最初からつもりだったな、」
 「その通り、当たり当たり、」
 と、史邦は屈託なくニヤニヤしている。
 (こいつ奴)
 「そうさな、」
 と、東田先生は、こと寮の問題に関しては放ってはおけぬ問題だとしながら、この時以降頭を悩ますはめになってしまった。
 東亜大学は創設より十年たつかたたぬかの新興私学であることは先に触れたことだが、その歴史の新しいが故に、何かと制限されることがまゝあった。全国的な学生の募集も教授陣の仕事のひとつとされていた。例えば、教授の出身の地かもしくは馴染みの土地を優先的に割り振りが当てられ、誰々は広島だとか、誰々は大阪、東京といった具合にその地区の高校を分担して受け持ち、定期的に地区の高校を訪問し、又、入学後は自分の担当の地区から来た学生を招集し、コンパを開く等をされている者もいるようであった。
 そういう時期の大学にあって、大学の厚生施設であるべき寮の実体が暴力問題を生み、しかもかん口令を引き外部に事情を漏らさないように徹底するヒエラルキーを確立させる体質を持つものであって良い筈がない。当然、噂というものは口づたえに広がってゆく。いくら人間の意識の手でその口をふさぐにかかろうとも、それは自然のなりゆきに反したものであり、その噂がわるい方のそれであるならば、広がり方も、その時間の速さも言うにおよばない。
 教授陣が各地区の高校を歩き、学生の募集をするのも学生に是非とも東亜大学に来てもらいたいが為であることも又しかり、何も知らず大学にやってきた者の何割かが確実にヒエラルキーの餌食となり、全ての者がそういうものを自ら生ませながら何ら疑問の頭をもたげようとはしない大学のそういう体質を持ったものの枠の内に収められてしまうのである。しかしながら、やがて事実を知ってしまった多くの学生の口を借り、伝わってゆく事実の行く先は所を構わない。彼らこそ犠牲者である。事実を知らぬ者が犠牲者である。事実を知っている者、知ってしまった者、これはもう犠牲者ではない。犠牲者のまゝであってはならない。
 (中村め、俺に事実を見ろと言って来やがった)
 と、史邦が研究所を出て行った後で東田先生は化かされたような自分をとりもどした。
 史邦が研究室を去ったのとほぼ同時に坂田先生が入れ代わり顔を出した。
 「先生そろそろ時間ですよ、」
 この日予定されていた教授会のことである。
 「もう、そんな時間ですか、」
 東田先生はつい今しがたまで史邦と話し込んでいたことを話した。
 「しかし、驚きましたな、」
 「いやいや、例年あるようですよ、」
 「坂田先生、ご存知でしたか、」
 「学生部長の方から聞いたことはあります、しかし、こう毎年同じことが何で問題になりますかね、いったい理事達は何を考えているんでしょうか、臭いものに蓋ををして歩いても何ら解決はしやしません、」
 「そうですな、」
 「そうですか、中村君が言ってましたか、今度ゆっくり彼と話してみましょう、」
 「そうしてやって下さい、」

 史邦が東田先生と研究室で話している間にも、事は進んでいた。梶村が史邦を探していたのである。
 階段を降りていると梶村が下からやって来た。
 「あ、おったおった、」
 「よお、」
 「中村さん、探してたんですよ、」
 「そうか、」
 「何を呑気な、ちょっとこっちへ来て下さい、」
 と、強引に史邦の腕をとり、どんどん引っ張ってゆく。
 「こりゃこりゃ、あわてな、あわてな、」
 と、どうもこの主人公には緊迫感が足りないような気がする。梶村も梶村で史邦の面つきにいい加減真剣さが欠け、あちらへぶらりこちらへぶらりと引っ張ることに面白みを感じている。とうとう坂を下り、下りきったところに当時一軒だけあった喫茶店まで引っ張られて来てしまった。
 「して、何事じゃ、用のむきを聞こう、申してみい、」
 と、まるで時代劇。
 「中村さん、」
 史邦は怒られた。
 「すまぬ、」
 梶村は話す。
 「実はですねーーー」
 萌友塾の一回生達が今日集会を開くと言うのである。
 「そうか、ついに連中も立ち上がったか、」
 「ところがですねーーー」
 やる前から事のなりゆきは分かりきっていると言った。集会を開き一回生全員の頭数を揃えてみなくても、どういうことが決議されるのか梶村は分かるのだと言う。
 「どういうことか、」
 「それはーーー」
 暴力問題に関しては、今後一回生の誰かが餌食にされるようなことがあった場合、警察に事後処理を依頼しようということの各員への了承と他の寮内のシステムについては電気水道といった表面だけのことで、それらの資料が揃ったことの告示だけのことであり、まるで核心をつかず問題にならぬことを告げた。
 「———」
 「そういうことです、それだけのことですょ、しかもですよ、一回生の中には連中に通じている者もどうやらおるようです。はっきりとはしませんが、」
 「それじゃあ無駄じゃないか、」
 「彼らは知らんのです、たとえ、加わっていたとしても誰とはっきり分からない以上同じことですがね、」
 「警察云々というのはどういうことか、」
 「要するに自分達の手にはおえんので他に手を借りようというのと、それに事を大きく運べば寮の所有者たる学校側もうごかざるを得ない状態に持ってゆこうとしているんですよ、」
 (馬鹿な)
 と、史邦は思った。史邦が感じたのは直線的な意味においてのことであり学生の自治を考慮したものではなく、単に、自らの努力を持ってまず問題を解決しろ、ということである。他の人間の手を頼るのはそれからでも遅くはない。
 「努力せんで何をいうとる、まずはじゃなぁ、問題意識を持て問題意識を、」
 そう言った。
 更につけ加えて、
 「それにじゃ、自ら権利を放棄して待つのは阿呆のてじゃぞ、」
 「そう思います、」
 「首謀者は誰じゃ、」
 「いません、」
 「何じゃそりゃあ、」
 「そういうことになっています、」
 「そんな馬鹿なことがあるか、烏合の衆かェ、」
 「そうです、」
 実は、烏合の衆のようなものですよと梶村は言う。しかし、誰と誰が実際のところリーダー的存在である、といえばいえることと、この集会自体一応その場所に寮外の某所をあててはいるものの、その意味のないこと、更には会の内容そのものに至っても同様のことを史邦に話すのであった。
 「やめとけ、」
 と、話しを聞いてボソリと言った。
 「え、」
 「やめとけ、そう言うとけ、外からの力が必要というならば俺が用意してやる、それまでは待て、要らぬ騒ぎをおこして自分達を不利にするんじゃねえ、そう、おらぬ首謀者に伝えてくれんか、」
 「分りました、」


連載小説「デッサン いろはにほへど」をまとめて読む
(1)門出の花
(2)馬関へ
(3)陸援隊
(4)桜の木
(5)憂
(6)惨風
(7)思案
(8)思案その二
(9)物情騒然
(10)刺客
あとがき

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平松将史

1957年3月8日生まれ。
岡山を中心に長年愛されてきたフリーマガジン「月刊CAMNET」の編集長。
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