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Logo Mark「ステキ」をベースに考えるインディーズ・マーケの肝アフガニスタンの子供を救え!〜ドイツ国際平和村〜

野林徳行

ヘヴィメタル、プロレス、モータースポーツをこよなく愛するマーケター。
常に、カスタマー(お客様)の心を揺らし、「ステキ」創りをストーリーをもって実現することで成功に導く活動をしてい...

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野林徳行です。
「Spinart」にてマーケティングコラムの連載をさせていただいています。
アーティストのみなさんと接する機会も多いのですが、どんな人の心を揺らしたいのか、何を感じてほしいのか、人に言いたくなってしまうことはどうしたら起こるのか、そもそもあなたのアートによって人はなぜ幸せになるのか…答えは1つではありません。でも、常に考えていたいですね。そんな皆さんのヒントになれば幸いに思います。
48回目のコラムです。今回は、年末にBS1スペシャルで放送されました「アフガニスタンの子供を救え!〜密着ドイツ国際平和村の6か月〜」について書いてきます。


■ ドイツ国際平和村を知ったきっかけ

ドイツ国際平和村の活動は、紛争や危機的状況にある子どもたちへの援助活動です。紛争や危機的状況にある地域のケガや病気を抱えた子どもたちに、ドイツでの治療の機会を提供しています。
1999年、「世界ウルルン滞在記」の番組制作会社がドイツ国際平和村を訪れ、何度も取材、撮影、放映を繰り返し、ドイツ国際平和村の活動が日本で知られるようになりました。世界ウルルン滞在記の取材時には、女優・東ちづるさんがテレビチームとともにドイツ国際平和村を訪れました。東さんはドイツ国際平和村の活動に衝撃を受け、その時以来、ドイツ国際平和村施設を定期的に訪れ、日本国内でもボランティア活動をしています。東さんは、初めてドイツ国際平和村の子どもたちに会った時、その痛々しい傷口、ケガに大きなショックを受けました。当時の放送を見て私も衝撃を受けましたので、この平和村の存在と、東ちづるさんの活動はずっと脳に残っていました。


■ ドイツ国際平和村の理念・背景・歴史

最も弱い立場にある罪のない小さな子どもたちが、世界のどこかで傷ついていたら、私たちは活動を続けます! 紛争や危機的状況にある母国で適切な治療を受けられることができない傷ついた子どもたちに、ドイツでの治療を提供しています。ここで、子どもたちは生きていくチャンスを得るのです。また、子どもたちの母国において、人々が 自らの力 で立ち上がれるように、現地プロジェクト活動を進めています。加えて、人々の 平和への意識を高める ための平和教育活動も行っています。(ホームページより)

ドイツ国際平和村は、1967年7月に設立され、ベトナム戦争によって犠牲となった子どもの援助が開始されました。現在では、ドイツでの治療のためにベトナムから子どもたちを受け入れる必要もなく、ベトナムにおける現地プロジェクト活動も、現地の人の手によって運営・管理されています。支援をしたベトナムの子どもたちは、ナパーム弾の被害を受けて小児麻痺のような当時ベトナムでは対症療法がなかった病気や、戦争で負傷した男の子や女の子たちでした。母国で治療を受けられない子どもたちへ治療の機会を提供するドイツ国際平和村の活動が具体的に始まった瞬間でした。ドイツ国際平和村の設立者も、子どもたちは治療後、母国に帰るべきだという考えを持っていましたが、ベトナム戦争終結は、北ベトナムによる政治体制によって統一されたため、南ベトナムから受け入れていた子どもたちの帰国の途が閉ざされてしまいました。渡独してきた子どもたちの滞在目的の変更やドイツ社会への融合を進めることを余儀なくされたのです。この経験から、ドイツ国際平和村スタッフは、「子どもたちの母国への帰国」は必ず実行されるべきであることを学び、今では、ドイツへ子どもたちを受け入れる際の条件の一つとなっています。


■ 現在の活動状況

10カ国以上の紛争地域や危機的状況にある国々へ支援を続けています。
アンゴラ:内戦がもたらした地雷の危険が残り、食糧事情や健康保健状況は壊滅的で、国民の約40%が貧困層に属します。
アフガニスタン:みなさまもご承知の通り、アメリカ軍撤退を機にタリバンが政権を掌握しました。コロナ禍も加わり、子どもたちの受け入れに苦労しながらも活動の継続を模索しています。
アルメニア:アゼルバイジャンとの紛争、1988年の大地震で多くの人々が家を失い、掘っ立て小屋での生活を余儀なくされています。失業率が高く、失業者の多くが貧困層に属します。
ガンビア:アフリカ最小の国土面積の国で、亡命ガンビア人からの寄付や観光業で成り立っています。国民のほぼ半数が、貧困層に属しています。
ガザ:パレスチナとイスラエル間の紛争が悪化し、重傷を負った42人の子どもたちが、パレスチナからドイツへやってきました。彼らは、治療後、母国へと帰国しました。
ジョージア:高い失業率と苦しい貧困に人々は苦しんでいます。2008年には、アブハジア地域と南オセチアをめぐる紛争が深刻化し、20万人もの人々が避難しました。被追放民たちは、現在も逆境下で生活しています。
カンボジア:長い内戦を経験しました。ドイツ国際平和村は、基礎診療所を建設し、都市から離れた地域への医療供給の改善に努めています。予防接種のプログラム、妊婦指導、衛生指導、出産立ち合い、軽度の病気や簡易な手術が受けられます。結核センターでは治療、感染予防のプログラムを運営しています。障がいを持つ人、盲目の人へのプロジェクト活動も進めています。また、プノンペンのごみ山に住む子どもたちのための幼稚園やバタンバン市のサーカスプロジェクトも支援しています。
キルギス:産業は存在せずロシアからの補助が無くなり、医療供給は崩壊しました。民族紛争や汚職、収入の不公平な分配などの問題もあります。
ルーマニア: EU加盟国となりましたが、人々の生活は一向に良くならず、家賃の高騰、食料品や医薬品の値上げに加え、高い失業率、貧困問題があります。医療供給も十分ではありません。
スリランカ:タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)とスリランカ政府軍の衝突で、一般市民が犠牲になり、20万人もの人が避難しました。2009年5月18日内戦が終結しましたが、2004年12月26日、スマトラ沖地震によりスリランカを津波が襲い、4万5千人以上もの人々が津波の犠牲になりました。
タジキスタン:中央アジアの国々中で最も貧しい国で、多くの国民が十分な医療供給を受けていません。
1997年に内戦は終結しましたが、国民の3分の1が、貧困層に属します。
ウズベキスタン:ドイツ国際平和村は、ウズベキスタン国内で、口唇口蓋裂を持つ子どもたちの手術を行う際の資金援助をしています。以降は、整形外科の手術、形成外科の治療が必要な子どもたちへの援助をしています。
ベトナム:ベトナム戦争の戦時下では、枯葉剤が使用され、長期間汚染という結果をもたらし、がん患者や新生児の先天性形成異常が多く見られるようになりました。ドイツ国際平和村は、ベトナムの医療制度には欠かせない、大きな病院とリハビリセンターも建設しました。


■ BS1スペシャル 子どもたち「ここにいるとハンバーガーが食べられるけど、家族のもとに帰る」

この番組では、タリバンが掌握した混乱状態のアフガニスタンからの子どもの受け入れに奔走するスタッフの方々の試行錯誤が特集されていました。コロナ禍による行動の制限、タリバンによる政権掌握とそれに対するアフガニスタンの子どもたちの支援の理解を得る必要性ということがテーマ。なんとか27人の子どもたちをドイツに連れてこられたのですが、この子どもたちは、都市部の子どもたちで郊外の子どもたちまではたどり着けません。ドイツ国際平和村では、子供たちの治療が進み、コミュニケーション力も回復しながら笑顔が増えていきます。インタビューでは、「ここにいるとハンバーガーが食べられるけど、家族に会いたいので家族のもとに帰る」と言って、また戻っていきます。映像からしか見て取ることはできませんが、こんな状況なのに今日を生きること・明日を夢見ること…目が力強いのです。ドイツで治療すること、現地の団体と連携すること、サポート施設を援助すること…治療だけではなく戻った後のことまで視野に入れたステキな活動に心が揺れました。「焼け石に水」と言われることもあるようですが、この輪を広げていかないと世界は全く変わりません。たくさんのことを教えてくれました。

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