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Logo Mark「ステキ」をベースに考えるインディーズ・マーケの肝人類初のルートでの南極点到達をめざすプロ冒険家・夢を追う男 阿部雅龍さん

野林徳行

ヘヴィメタル、プロレス、モータースポーツをこよなく愛するマーケター。
常に、カスタマー(お客様)の心を揺らし、「ステキ」創りをストーリーをもって実現することで成功に導く活動をしてい...

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野林徳行です。
「Spinart」にてマーケティングコラムの連載をさせていただいています。
アーティストのみなさんと接する機会も多いのですが、どんな人の心を揺らしたいのか、何を感じてほしいのか、人に言いたくなってしまうことはどうしたら起こるのか、そもそもあなたのアートによって人はなぜ幸せになるのか…答えは1つではありません。でも、常に考えていたいですね。そんな皆さんのヒントになれば幸いに思います。
59回目のコラムです。今回は、私がモデレーターをしている助成金制度推進センター「あしたのミカタセミナー」で7月14日に対談したプロ冒険家・夢を追う男 阿部雅龍(あべまさたつ)さんとの様子をレポートします。


■ 阿部さんの冒険プロフィールです

1982年12月生まれ。秋田県出身。秋田大学在校中の21歳から冒険活動を開始。単独・人力をテーマに世界を冒険する。
2006年、南米大陸単独自転車縦断。エクアドル赤道直下‐アルゼンチンラパタイア湾、290日、10,924km。
2010年、アメリカContinental Divide Trail単独踏破。カナダ国境からメキシコ国境までのアメリカンロッキー山脈縦走、147日、4,200km。
2011年、カナダGreat Divide Trail単独踏破。カナダ‐アメリカ北米大陸縦貫するロッキー山脈縦走、42日、1,200km。 2012年、ユーコン川単独カヌー アラスカ‐カナダ間のユーコン川単独カヌー。17日、750km。
乾季アマゾン川単独筏下り ユーコン川から続けて実施。42日、2,000km。
2014年、カナダ北極圏単独徒歩。南極への第一弾、32日、500km。
2015年、カナダ北極圏単独徒歩。レゾリュート‐グリスフィヨルド(500km)。
グリスフィヨルド周辺徒歩(250㎞)、54日、750km。
2016年、グリーンランド北極圏単独徒歩。750km。
2017年、人力車を引いての全国一宮参拝。6400km。「リキシャジャパントラバースプロジェクト」
2018年、人力車を引いての秋田一周「リキシャAKITAトラバース」。
2019年、日本人初踏破メスナールート単独徒歩南極点到達、918km。
2021年、同じ秋田出身の白瀬矗(のぶ)中尉の足跡を辿る南極点到達を目指したが、途中撤退。
2022年、第26回植村直己冒険賞。日本人冒険家として最高名誉と言える賞を受賞。
小学生たちと夏休みの三陸海岸冒険ウォーク100km主催。著書に学校推薦図書『次の夢への一歩』角川書店。


■ 子供の頃はどうだったのか

秋田の田舎の農家の子ども。運動音痴で人と話すのが苦手でシャイ、小学校のときは先生が「自由に班をつくって」となれば一人だけ余るタイプ。身体も弱くてひょろひょろ。同級生には、「まさたつ、みやびな龍なんて立派な名前は似合わない、お前はへび龍だな。」なんて言われていたそうです。そのため自然が遊び場で居場所だったそうです。野山をかけづりまわり野うさぎを追う、まさに童謡のふるさとの世界に生きていて、自然がいつも阿部さんを平等に扱ってくれた。この自然を感じる力が、のちのちの単独・人力にこだわる冒険につながっていきます。


■ 冒険家をめざしたきっかけは?

冒険家への憧れは10歳のときに、母親が買ってくれった世界の探検家・冒険家の本でした。コロンブスやマゼラン、ヘディン。そして世界初のノルウェー・イギリス・日本 三つ巴の南極点争奪レース。そこで印象的だったのが同郷秋田出身の白瀬矗(のぶ)中尉 南極探検隊長。自分が弱かっただけに一途に夢を目指す冒険家たちの姿がたまらなく眩しく見えたようです。


■ 勇気はなかった 最初の一歩

それでも勇気はなく、なんとなく大学生になり、そして就職活動。そのとき初めて真剣に人生を考えたそうです。自分を見つめ直した際に、夢や目標、働きたい仕事さえなく、人の目ばかりを気にして生きる自分に愕然とします。そして冒険家への憧れを思い出し、第4回植村直己冒険賞受賞者の大場満郎さんの言葉に出逢います。
「なぜ冒険に行くのですか」という記者からの質問に対して大場さんは、「一度しかない人生、笑って死ねる人生がいい。だから僕は冒険に行く」。このひと言に、大げさではなくガツンとショックを受けました。このままだと自分を好きになれず、笑って死ねないのではないか? いつまでも自分が嫌いなままは嫌だ。自分を好きになりたい。大場さんのような人になりたいという思いで大学を休学して大場さんの冒険学校にスタッフとして手伝いに行ったのが、最初の一歩となりました。「笑って死ねる人生」という言葉に衝撃を受けたのですね。


■ このときの決断の根本は?

このとき、決断する根本になったのは。父親の最初の記憶が彼の葬式だったからとのことです。阿部さんが4歳、父親が29歳のときで、交通事故で突然他界しました。平等に理不尽に人は必ず死ぬ。ならば、夢に挑戦し続ける笑って死ねるような人生を送りたい。小さい頃から死を見つめていたこともあって、後悔する人生を送りたくないと強烈な思いが込み上げてきたそうです。自分自身を仮面ライダークウガに重ねていたそうで、主人公の五代雄介も父親を若くしてなくしており、五代が人に渡す名刺に「夢を追う男」と書かれていたことから、阿部さんも「プロ冒険家・夢を追う男」という肩書を使用しているとのことでした。


■ 植村直己グランドチルドレン世代

植村さんが1984年に消息をたったとき、物心がつかない2歳。植村さんの現役を見てないので、阿部さんは植村チルドレンではありません。恩師の大場満郎さんを通して知ったいわば孫、植村グランドチルドレン世代です。
「青春を山に賭けて」(1977年)(文春文庫)を何度も読みその物語にワクワクしていたそうです。白瀬矗・植村直己・大場満郎。この歴代にわたる冒険の系譜が阿部さんの中で脈々と生きています。大学を出てからは冒険の為に就職せず、トレーニングを兼ねて浅草で人力車引きのバイトをはじめ、夜は旅行者がドミトリーで格安で泊まれるゲストハウスの住み込みの宿直をし代わりに無料で住み、ゲストが残した食パンを食べるなどしてお金をため、冒険遠征にでていました。


■ 人力・単独にこだわる理由は何ですか

南米自転車、ロッキー山脈徒歩、ユーコン川カヌー、アマゾン川筏下り、北極圏徒歩、人力車、南極徒歩と阿部さんの冒険は、人力・単独にこだわっています。前述したように、自然を存分に感じるには、単独でなるべく機械なども制限して自然と対話しながら冒険するのが自分のスタイルというふうにさわやかに語っていました。
両岸が見えない広大なアマゾン川に浮かぶ筏の中でマラリアにかかり一人で立ち直ったこと、そもそもその筏を作るにあたっては、何のつてもない現地の方々に一生懸命交渉して作り上げたこと、単独での徒歩の途中に車に乗った方が差し出す水を丁寧に断り、自力でチャレンジしているのでと笑顔で答えたことなど、たくさんのエピソードを語ってくれました。単独にこだわっているので、このあとの北極・南極もほんとうに単独で走破しています。様々な現地では、家に泊れと言ってくれたり、単独になる前の時間にたくさんの冒険家たちが自分のナレッジをたくさん提供してくれたりというステキな対話の時間もあったようです。


■ スポンサーのサポートで南極へ

30代からは南極を志しスポンサーをつけ始め、就職をしたこともないのに多くの方に支えて頂いて冒険遠征を続けていると言います。2019年に単独徒歩で南極点に到達していますが、夢は憧れのオリジンである白瀬矗南極探検隊が到達できなかった前人未到のルートという見果てぬ夢を受け継いでの南極点到達。冒険を志した頃からずっと抱いている夢。先人の夢を継ぎ、先人たちが見れなかった景色を見たい、人の夢が1世紀以上も受け継がれていくことを証明したい、そんな強い思いに多くの方々の心が揺らされサポートしています。


■ 途中撤退

その人生最大の挑戦であるしらせルートによる南極点到達は途中撤退という結果に。悪条件が重なる中で顔面凍傷も経験しながら、360度広がる真っ白の世界の中で、4千メートル級の山脈が見えてくる景色が美しかったそうです。そして今年の年末に再度このしらせルートによる南極点到達という冒険にチャレンジします。その前にグリーンランドに調整に行くという…この調整だけでも誰にもできることではありません。みなさんもご存じのように円安が大変な事態になっています。チャーターする飛行機・燃油などだけでも1000万以上も値段が上がってしまっています。8月にはクラウドファンディングも行われるようです。注目していただいて阿部さんの夢に乗ってみませんか? 商品は、南極からの…ここでは伏せておきましょう。発表を待ちたいと思います。


■ なぜ冒険に行くのか

生きがいというより使命感。人類初ルートでの南極点到達は、難易度と資金という2つの壁があるため100年以上も誰も達成していません。そのゴールに、地球上でいま最も近い位置まで辿り着いているのが自分だと自覚していると言います。国内外の多くの方からたくさん応援していただいているので、その期待に応え、人類の壮大な夢を叶える人間でなければいけないと、勝手な使命感を抱いているという感覚だそうです。
白瀬隊長が南極点を目指した1912年は列強諸国に追いつけと総力を挙げていた時期です。その時に、未知の世界を求めて闘った日本人がいた事実。白瀬隊長が地中に埋めた宝は挑戦心、その思いを受け継ぎ、人類初の冒険に成功することで、100年以上経っても人の夢は引き継がれていくことを証明する。阿部さんの冒険は、人の意志を継ぐ挑戦。死が隣り合わせの厳しい闘いになりますが、ビジネスマン、アスリートなどもそれぞれの場で命懸けで闘っています、なので自分の挑戦すべき冒険の場で命を懸けて生き切りたいと断言されました。

白瀬隊長の夢を受け継いでの南極点到達が最大目標であったがゆえに、過去の遠征で達成しても感動して泣いたことはないそうです。そこは常に通過点だった。再度、南極点に立ち、阿部さんが見たい見せたい景色をシェアし、何を世界の果てで感じたかを伝えたい、初めて嬉し涙を流すかも知れない、それは南極点に行ってみなければわからない、だから行くのです…この日の言葉に全くぶれにない芯を強く強く感じました。


■ 子供たちに伝えたいこと

阿部さんは、毎年夏に子どもたちと一緒に三陸海岸のみちのく潮風トレイルを歩いてます。10~12歳の子供たちを募集するのですが、毎年20分で埋まってしまうそうです。サポートスタッフはいますが、基本的には阿部さんと6人の子供たちで冒険します。水をいち早く飲んでしまう子、「どうする?水はないと歩けないよ、あそこに民家があるね、さあどうする?」「ちょっと困ったね、みんなでどうするか考えてみて!」くじけそうな顔の後の生き生きとした子供たちの顔。たった1週間ですが、絶対に忘れない1週間になりますね。13歳になった経験者が、サポートに名乗りを上げてきてくれたりもあるとのことでした。本物の教育とは?と感じます。
現役の冒険家としてまだまだ活動し更に大きな夢を見ながら、これから先のドングリたちに挑戦する楽しさを自然の中で伝えていっているのですね。


■ 阿部さんの信条

夢には期限を設ける。期限を作り、自分を律して夢を追いかける。期限を設けないとダラダラ過ごすことになる。夢を「いつか」叶えられたらではダメ。夢を口にだし、夢を応援助けてくれる人が現れるかもしれないから口に出す。できるとわかっていることしかやらない人生はつまらない。笑って死ねる人生を過ごす。

みなさんの人生はいかがですか?

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