2024/09/05
ヘヴィメタル、プロレス、モータースポーツをこよなく愛するマーケター。
常に、カスタマー(お客様)の心を揺らし、「ステキ」創りをストーリーをもって実現することで成功に導く活動をしてい...
野林徳行です。
「Spinart」にてマーケティングコラムの連載をさせていただいています。
アーティストのみなさんと接する機会も多いのですが、どんな人の心を揺らしたいのか、何を感じてほしいのか、人に言いたくなってしまうことはどうしたら起こるのか、そもそもあなたのアートによって人はなぜ幸せになるのか…答えは1つではありません。でも、常に考えていたいですね。そんな皆さんのヒントになれば幸いに思います。
110回目のコラムです。8月27日東京キネマ倶楽部で行われたVOW WOWのヴォーカリスト人見元基が開催したGENKI SESSION 2024で、まさに「セッション」を楽しんできましたので、そのレポートを掲載します。
東京は鶯谷という渋い場所にあるホールです。かつて昭和時代に隆盛を誇ったグランドキャバレーのひとつ「ワールド」であった施設を、一部当時の設備を利用して2000年に、無声映画上映レストラン「東京キネマ倶楽部」としてオープンしています。イベントスペースとして利用されていますが、近年はコンサートがメインになっているようです。ステージフロアとなる5Fはスタンディングで600名程度、吹き抜けとなっている上階6Fは椅子席にて100名程度収容可能です。昔の豪華なキャバレーのような空間でロックを聴くという体験でした。
コロナ禍もあり5年ぶりの開催というセッションは、人見元基(Vo)・難波弘之(Key)・日下部”Burny”正則(G)・ロジャー高橋(Dr)・松本慎二(B)という豪華なメンバーでのロックショーでした。
VOW WOWの楽曲ではなく、60年代・70年代のロックを楽しむステージという主旨のコンサートでした。もちろんチケットも完売。演奏のすごさもちろんですが、人見元基の全く衰えないヴォーカルに驚愕しました。レッド・ツェッペリンは、私もステージで歌いますが、人見さんの歌声を聞き、ヴォーカルはやめようと瞬間的に決意しました(笑)。
ここでメンバー紹介です。懐かしさも楽しんでください。
日本のハードロック・ヘヴィメタル界随一のヴォーカリストです。
現在は、高等学校英語教諭で生徒には「先生のロックすごいじゃん」と言われる存在(笑)。
今年、14年ぶりのVOW WOW奇跡的再集結にて、最高峰のヴォーカルを示してくれました。
ファーストキャリアのNOIZ解散後、アルバムに参加していた厚見玲衣の誘いで1984年1月にBOW WOW(5月にVOW WOWに改称)に加入し、日本のヘヴィメタル界の頂点に立ちました。
様々なレンジで力強く歌いあげる幅広い声域、音域を問わず掛けられる深さと速さを兼ね備えたビブラート、ナチュラル・ディストーションの効いたシャウト唱法を中心に据えた抜群の歌唱力を誇り、流暢な英語の発音とソウルフルな表現力をも兼ね備える「日本人離れした実力派シンガー」として海外の評価も高いです。
キーボード奏者であり、作曲家・編曲家、SF作家。東京音楽大学音楽学部教授。
1975年に、金子マリ&バックスバニーに加入。その後、プログレッシブ・ロックバンドSENSE OF WONDERを結成。日本ファルコムのゲームミュージックのアレンジを多数手がけています。
1993年には「野獣王国」を結成。また、1997年に五十嵐久勝(元ノヴェラ)とユニット「NUOVO IMMIGRATO」を結成。世良公則やRED WARRIORSなど、多数のミュージシャンをサポートしています。
1982年高崎晃のソロアルバム「ジャガーの牙」に参加。1983年にX-RAYでメジャー・デビュー。レジスタンスを経て、野村義男、石田長生、Char、横道坊主、al.ni.co、人見元基、宮原学、ポルノグラフィティ、音屋吉右衛門などと数々のセッション。自由な発想のドラミングで多くの人から支持を得ており、東京スクールオブミュージック専門学校にてセッションドラムの授業もしている。
1981年からSniperで活動開始。その後は、ゲームミュージックの先駆けとなるJDK BANDなどで活躍。山下達郎の50枚目のシングル「REBORN」、木村拓哉の「Next Destination」のレコーディングに参加。吉井和哉や海外アーティストのツアーサポートをしている。2023年に自身のバンドASIAN BLACKでアルバム『赤い薔薇』をリリース。
1981年NIGHT HAWKSを結成。NIGHT HAWKSのライブ活動と平行し、難波弘之、そうる透と共にSENCE OF WONDERでも活動。専門学校ESP MUSICAL ACADEMYのベースコース講師。2003年外道復活。2005年にはJampi’n Jap Stars参加。Dr梅澤康弘、G斉藤光浩、G.Vo高橋ヨシロウ(Action、NOVELA)。
不定期で今まで参加したミュージシャンは、渡辺貢(Personz)、廣瀬洋一(The Yellow Monkey)、原田ケンタ、高橋ロジャー(X-ray)、辻伸介(FREEN)、そうる透、田中一郎、川上正樹、甲斐貴之(Earth Shaker)、菊池琢己(頭脳警察)、佐々井康雄(GERARD) 永川敏郎(GERARD)。サポートしている玲里のレコーディングには難波弘之、土屋昌巳、織田哲郎、北島健二、日下部”Burny”正則、そうる透、高橋”Roger”和久らが参加している。
こう見てみると、ジャパメタとして名を馳せた方々は、ハードロック・ヘヴィメタル界の中でも移動しているし、いわゆるJポップにジャンルされるバンドとも行き来していることが分かりますね。そんなに明確に境界を分ける必要もありませんが。そして、ヘヴィメタルミュージシャンは幅広くJポップやゲームミュージックなどとも関係しているし、音楽学校でも活躍しているようです。
日本のヘヴィメタルはあまりテレビに出てくることはありませんでしたが、ビジュアル系への影響であったり、ツアーサポートであったり、重要な役割は続いているようです。
今回書いていて、過去を理解できたり、つながりがわかったり、そして何より全員60歳以上ですが、最高のコンディションで演奏しているすごさもよかったです。
VOW WOWの1stアルバム「BEAT OF METAL MOTION」がリリース40周年を迎えること、そして前年に亡くなったドラマー新美俊宏の一周忌追悼を行ないたいという思いから、山本恭司、人見元基、厚見玲衣の3人が集まり、再結成ライヴが開催されました。チケットは両日共にわずか1分で完売。我が家はいとも簡単にチケットの抽選にはずれ玉砕しました。2025年1月8日・9日に東京ドームシティホールで追加公演が開催されることになったので、今度こそリベンジです。
GENKI SESSIONでは感激の楽曲が演奏されました。PYG(ピッグ)です。1970年代初頭に、グループ・サウンズの「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダース」のメンバーが集結した、日本のスーパーグループで、沢田研二、萩原健一のツインボーカルを擁したロックバンドでした。
メンバーは、タイガースから沢田研二、岸部修三(岸辺一徳)、スパイダースから井上堯之、大野克夫(その後の井上堯之バンド)、テンプターズから萩原健一、大口広司というラインナップでした。萩原健一の俳優としての評価が高まると、萩原が参加できる時はPYGとして、参加できない時には沢田研二と井上堯之バンドとして活動するようになる。井上堯之バンドの代表曲と言えるほど有名になった「太陽にほえろ!メインテーマ」も、PYGとしてレコーディングされました。
この日は私の大好きな、「花・太陽・雨」が2部の冒頭で演奏され、マジでぶっ飛びました。しかも曲がめちゃくちゃ厚くなっていて、PYGがピンクフロイドになったようでした。
2部構成で20曲近く演奏。全く疲れを見せない60代。VOW WOWでは見せない楽曲とトーク。なによりも多くの大ファンの前に輝いていること。エンターテインメントショーの意義を感じる日となりました。今回は、昔は日本のヘヴィメタルも聞いたなあという方にとっての懐かしい名前をいろいろと出してみました。たまには昔のCDを引っ張り出してみてください。
ヘヴィメタル、プロレス、モータースポーツをこよなく愛するマーケター。
常に、カスタマー(お客様)の心を揺らし、「ステキ」創りをストーリーをもって実現することで成功に導く活動をしてい...
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