2019/08/23
「僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない」
…というのは、かつて尾崎豊が「僕が僕であるために」という歌の中で歌っていたことだけれども、まぁ「勝ち続け」るってのは、その相手はなによとか、ちょっと別の議論になりそうだからそれは置いておくとして、しかしこの曲の主題になっている「僕が僕であるために」ということは、なにかを表現する人にとっては必須なことのようには思う。
みなさんはどうですか。「自分が、他者とは明らかに異なって明確に選別できる自分である」と言えるようなもの、創れてますかね。
「おまえはどうなんだよ!?」って???…正直自信ないなぁw いやぁそういうものを創りたいとは思っていろいろ考えてはいるけど、じゃあそれができてるかと言われれば、まだまだ足りてないかもねぇとしか思えない。
これを考える上でポイントになるのは以下の2点かなとは思う。
1. 「自分が、他者とは明らかに異なって明確に選別できる自分である」ってどういう状態か?
2. 表現者にとって「自分が、他者とは明らかに異なって明確に選別できる自分である」状態は本当に必要か?
あはは…「2」が「No」となると、かなり身も蓋もなさそうだなw
ではまず、「自分が、他者とは明らかに異なって明確に選別できる自分である」ってどういう状態か?…ということについて。
これ、厳格な定義はもちろん難しいとは思うけれども、漠然とはきっとみんなイメージができているのではないかとは思うけどいかがでしょ?
言葉でガチガチに定義すればするほどバグが出てきそうということもあるので、ここはあえて上記のように漠然としたイメージで語らせていただくことをお許しいただければ、例えば、「それ、Led Zeppelinっぽいよね」とか言われる際の「Led Zeppelin」の存在と言えば分かりやすいかなぁ。
「Led Zeppelin」の登場以降、数多くの「Led Zeppelinっぽい」と言われるバンドは出てきてるけど、逆に、きっと誰も「Led Zeppelin」に対して「○○っぽい」とかは言わないかなと。
もちろん、ジミー・ペイジ(知らない人のために書くとLed Zeppelinのギタリスト)が、先達の誰かの影響を受けたとか、そのスタイルの一部を取り入れていたとか、もちろんそういうことはあるに決まってると思うけど、しかしそれでも、「ジミー・ペイジって○○っぽいよね」という話は聞いたことがないし感じたこともないし、ましてやバンドとしてのLed Zeppelin自体に「○○っぽさ」なんて気にしたこともないということかなと。ジミー・ペイジはとにかくジミー・ペイジだし、Led ZeppelinもとにかくLed Zeppelinだと感じるのだ。
まぁ、Led Zeppelinを知らない人には一体なんのこっちゃというような例えで恐縮とは思いつつも、知っている人にはけっこういい例えなんじゃないかなぁなんてことも思ったりするのでこのまま話を進めさせていただくと、つまり、Led Zeppelinのみなさんも、いきなりオリジナルな存在だったということではなく、そこにたどり着くまでにさまざまな先達の影響を受けたり、コピーしたり、パクったりw…して来たはずとは思うものの、しかしそれをそのままアウトプットするのではなく、自分から出す時にはそこに自分たちらしさをしっかり考えて付け加えるか産み出していったということが言えるのではないかということ…かなと。
だって初期のLed Zeppelinは、けっこう既存のブルーズ曲とかをそのままやってたりするけど、でもこれがやっぱりもうとんでもなくLed Zeppelinになってるんだよなぁ…なんて思うので。
いかがでしょう。
かなり漠然としたイメージとして書かせていただきましたが、イメージできましたかねぇ…。まぁ、Led Zeppelinだけではなく他の例もなにか…なんてことも考えたけど、あまりに長くなりそうなのであっさりあきらめてみました。
ということで「自分が、他者とは明らかに異なって明確に選別できる自分である状態は本当に必要か?」についてはまたいずれ。
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※ちなみに写真はうちの近所の森で撮った一枚。
夏場、葉が生い茂って、暗く涼しい森の中にあって、木漏れ日がスポットライトのように1つの枝だけを浮き立たせることがある。この光が美しいんだよなぁ。
※使用カメラ&レンズ:Canon EOS 6D + EF24-70mm F2.8L II USM
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