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Logo Mark脳内伝言板音楽に救われる 3

白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

20代前半人...

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MOLEは何とも言いようのないバンドだった。リーダーは私より10歳ほど年上でバリバリのサーファー。台風がくると総てをキャンセルして海へ行く(笑)。メンバーは基本体育会系。色々な意味で対バンはあまり向かないバンドで基本ワンマンでのライブだった。見に来るお客さんはミュージシャンか、変わった外人が多かった。集客力は無いのだけれど大抵店のオーナーに気に入られていて、ライブは都内でも月に1〜2本位のペースでやっていた。 少ないギャラを少しずつ貯めたり、何故か機材を買ってくれる人がいたりして(今なら理解できるけれど)、発電機とか機材なんかも結構自前でそろえていた。当時よく地元の海岸でBBQしながら、ライブをしていた。だいたい昼ぐらいから始めて夜12時位に片付けて帰るような感じだった。
メンバーの半分は都内に在住していたのでそんな関係からも色々なミュージシャンを連れてきてくれた。そういう面でも良い経験だったが、かなりハードだったんで、今考えてもよくやっていたなと思えてくる。というのも夜12時位に音を止めてそれから片付けるのだが、東京組は早めに帰るので基本的に地元組が片付ける。だけど仕事の関係等で、タイミングが悪いと片付け要員がへる。一人減り二人減り…一番酷い時は私とリーダーの2人だけだった。この時は2人で明方までかかった(笑)。それも今ではいい笑い話だけれども。このライブは地元の海岸でフリーでやっていたんで口コミでそれなりに人は来ていた。基本的にデットやフィッシュ好きなちょっとマニアックな奴ばかりだった。

演奏はデットやオールマンあとジミヘンやサンタナとかそこら辺の年代の物を中心に基本完コピで間にフリーセッションにはいるスタイル。
曲も毎週CDを渡され皆週末までには完コピ。しかも皆空気感までコピーしてくる。
中には10分以上ある当時のセッション曲を完コピして更にMOLEのフリーセッションになるのだから、気が付くと一曲で2時間演奏する事もあった。
ラテンパーカッションはどの曲もベーシックなものはあまり変わらないのでパターン自体把握するのはそれ程大変ではなかったけれどほかのパートは結構大変そうだったな。全然ついていけないながらも随分鍛えられたと思う。

完コピって、究極いえば勿論不可能ではあるのだがチャレンジすることで耳や感性を相当鍛えられるように思う。私は最初に一曲完コピしようとチャレンジした曲は2年位かかってなんとなく聞けるかなってレベルだった。一曲丁寧にコピーできると2曲目3曲目はかなり速い速度で習得していけるものらしい。だが私はコピーがあまり好きではないけれど。

レコーディングもオリジナル曲やフリーセッション等、結構時間かけて録ったけれど結局納得いく感じが出来ないという理由でしっかりしたアルバムは無。アルバムを創るのが目的ではなく、常に今を表現した結果、CDよりもライブという事なのかもしれない。MOLEは今でも活動しているが未だにアルバムリリースの話は聞かない。

メンバーは増えたり減ったりを常に繰り返していた。多いい時では10人以上の時もあった。メンバーは本当に色々でスタジオミュージシャンやプロもいれば私みたいな素人もいる。ただ言えるのはあまり人とつるむのが好きではない一匹狼タイプばかりだった。色々な意味で本物志向というか言いたい事をはっきり言うタイプ。普段、社会的には浮いてしまうがそれでもお構いなしという感じか。それまで私の考え方がおかしいのかなと思う事が多々あったがMOLEの仲間と出逢えて私の思考も間違いではないんだと、言葉ではなく肌で感じる事が多かった。
本当にお互い「ゆるくやる」という事は実はとても厳しい事だと身に染みてわかったし、そういう付き合いが出来る奴らがいるという事は、なんだか嬉しい。
人と人が向き合うのって綺麗事だけじゃ片付かない。色々な物ひっくるめて、お互いが飲み込んで許しあったり支えあったりしなければ成り立たない。生きていくためにはやはり自分を鍛えるしか方法が無いのかもしれない。それは時間もかかるしやっかいかもしれないけれど、何故だかそんな風に生きたいと思ってしまう。私は寂しがりやなんだと思う。

あくまで私の主観でしかないのだが、アートと音楽の大きな違いは個人プレーか複数プレーかというところが大きな違いの一つではないかと思う(もちろん複数人のアートも個人演奏もあるけれどそれは置いといて読んでください)。
最初から最後まで一人の判断で行けるアートに対して音楽は相手がいる事で事情が変わってくる。それは時にイラっとしたり、イラっとさせたり、感動し、相乗効果を生み出したり、相手を許したり許されたり。音楽をしたことある人なら多分少しは共感していただけるのではないかと思う。

自分の感性を揺さぶるような、その音とそのタイミングを生み出す人がいる。それが誰であれ、地位や裕福度は関係ない。その音を出すという事実が重要で、しかもその人の変わりはいないと思った方がいい。時に最高の瞬間を与えてくれる。時間にすればほんの一瞬の出来事だが、生涯忘れられないかけがえのない時間を脳裏に刻む。そして不思議なくらい親近感が湧く。

音楽に出逢って結構な月日が過ぎたが、未だに何をどう表現しようか模索中だし一向に上手くはならない。ただ自分が興味ある事は少しづつだが見え始めている。
私は曲を覚えるのがあまり好きではないみたいで、とにかく即興的に音を出したいだけらしい。だがそれをどうすれば表現としてアウトプットできるかを模索している感じだ。音と音楽の間をつかみ取りたいのだが中々姿を現してはくれない。楽器を創る事で自分の好みの音を作り出すところまでは大分出来てきた。そこから何が出来るのか、今年はアトリエに引きこもる時間が増えそうなので少しでも形に出来たらと思っている。

                 音楽に救われる おしまい


BRAIN II 【未来の記憶】より

【視点】
一つのモノを見続けようとしても絶えず変化しているので
結果多くのモノを見ることになる
逆に広く大きく見ていてるとなぜか一つのものが見えてくるから面白い

        K,shirasuna

【千里の眼鏡】

2012制作
金属 硝子 ヒマラヤ水晶 苔

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白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

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