2020/05/02
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
人生において勘違いみたいなものはよくある事だ。私は若いころ大きな大きな勘違いをしたまま育った。それは中学生くらいからより加速していった。
なんと仲間以外は皆「敵」だと本気で思っていたのである。
この勘違いがあることで、私の心は常に大きな恐怖に支配されていた。その頃はそこまではっきり分からなかったが、今ならよくわかる。怖くて怖くて仕方なかったのだ。
私の取った対応策は自身を鍛える事だった。いつ何時襲われても対応できるように常に気を張り、学校の休み時間は鉄棒にぶら下がり懸垂したりして体を鍛え、部活は柔道部だったので放課後は実践の練習をしていた。顧問の先生は柔道を少しかじった位の先生だったので自分で模索するしかなく、結局中学3年間はどうやったら人のバランスを崩せるかみたいな事ばかり考えていた。
建物に入るとそこにどんな人がいるか気付かれないように何気なく確認し、普通を装いながらも、いつ襲われても対処できるように身構え、そこを曲がると誰かが襲いかかってくるかもしれないみたいな思考で生きていた。今考えると漫画みたいだけれど本当に毎日がそういう感じだった。
今は作品制作の事ばかり考えているが、その頃は毎晩のように眠る前にも戦いをシュミレートしていた。それは今と違って楽しい事ではなかった。恐怖心に押しつぶされないために必死だったと今なら解る。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので私が戦闘モードなのだから当然戦いは避けられない。そうやってより自分の鎧を固めていく。
それならば家から一歩も出なければいいのだろうがそこは好奇心が勝っていたようで、怖いのにわざわざ町に行き、わざわざゲーセンやパチンコ屋へ行く。典型的なお馬鹿さんだった。
当時のゲーセンは今と違いかなりガラの悪い奴らがたむろしていた。また仕事や学校をさぼってそこにいるお客が多いからか、中からは見えるが外からは見えないガラス張りのお店が多く、いかにも怪しい感じだったのが今考えると結構笑えたりもする。ゲーセンは時代と共に随分変わったな。
という事で行く度にもめごとになるのだが、振り返ってみるとそうやって友達も結構増えた(笑)。当たり前のことだが、暫くすると私の方がたむろしている悪い奴になっているんだから少し笑えたりもする。
そんなこんなで20歳過ぎ位まで多かれ少なかれそういう恐怖心を抱いて生きていた。
ところが何の拍子か記憶にもなくなっているのだが、ある時大きな勘違いをしているのではないかと気が付いた。
「あれ? 日本て自分が思っている以上に平和なのではないか」と。
そのことに気付いてからは出逢う人みんな友達になれる気がしてしまい…今に至る。
今では誰彼となく気楽に話しかけたり、初対面の人やきっと自分の事あまり良く思っていないかもしれないと思われる人とまで結構気軽に話が出来るようになった。話してみないと分らない事も多い。それは話してみて初めて分かる事だと学んだ。
始めてあった人とも平気で話す。その後で、会話を聞いていた友達に知り合いだったんだねといわれ、いや 知らない人だよと言うと驚かれたりすることも時々ある。
思い込みって恐ろしいなと実体験を通じて学んだ出来事だった。
TOP写真はホシのタマゴ 静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター(CCC)個展会場風景です。
【ホシのタマゴ】
土に植物の種を混ぜセメントで固めた
数十年が過ぎ形が崩れても種は生き残るものもあるだろう
ホシの一つ一つが影響しあって今を刻んでいる
その理(ことわり)を説明することは出来ないが
繋がっている事を感じて生きることは非常に重要ではないかと思う
植物が誕生してどれくらいの年月が経つのだろう。大地の養分を吸い育ち酸素まで作り出す。動物たちに命の源を与えてくれる。ここは植物と動物の共存しているホシなんだ。
Brain II 【未来の記憶】より
【用心】
なにがおこってもいいように常に8割で進むのか
なにがおこっても悔いを残さないように常に全開ですすむのか
白砂勝敏
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
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