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Logo Mark脳内伝言板やりたいことしかやらないと決めた日から2 青年時代 社会と私

白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

20代前半人...

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やがて社会に出る。家業が造園業だったので農業高校の造園科を卒業し、大きな造園会社に就職するのだが長くは続かず、他の仕事を転々としていく。そのうち家を建ててみたくなり、知り合いの大工の仕事を手伝うようになる。これもまた長く続かない。社会的には典型的なダメな青年だった。そのうち親戚のつてで鉄道関係の会社に入社することになる。サラリーマンというものに興味が湧き、一度やってみたかった、くらいの動機だった。主な仕事は新幹線の線路工事用列車の運転手だ。仕事は楽で給料もそれなりに良く休みも多い。
この頃になると、物を創るには、段取り良く一つ一つ丁寧に行えば上手くできることがわかってきた。そうなると毛ばりやルアーなどの完成度は格段にUPしていくが、やはり不器用な自分に劣等感を感じていた。
また社会的には 充実したように見える生活をしながらも、心の奥底ではいつもなにか物足りず、何かがくすぶっていることを感じていた。

うわべだけで生きている自分と向き合い始めたのもこの頃だった。表面的に生きてきた過去すべてを否定しなければならないので、何もできない空っぽの自分と向き合うのは結構つらいものだった。
その気持ちにどうやって向き合ってよいのか分からなかったので興味がある事をもがくように試した。
時間とお金があるのだから何か免許を取りに行こうと思い、無線の免許や船の免許、ダイビングのライセンスや大型バイクの免許などを取りにいった。また冬になるとスキーやスノーボードをしに、長野や新潟へ出かけた。あとオフロードバイクに乗り始め、レーサーバイクを車に積んでレース場に通ったり、レースに出たりもした。夏はジェットスキーで海上ツーリングもした。できうる限り色々なことをやってみた。

それでもいつも心の中にあるモヤモヤは拭い去ることが出来なかった。それどころかモヤモヤは膨張していった。
そう言った感情がやがて破裂する時がくるのだった。
何をやっても本気になれない。それは何事も中途半端だからではないかと考えるようになっていった。バイクに乗るなら仕事をしている暇はないし、ダイビングをやるなら毎日潜らなきゃ満たされない。色々思い悩んだ結果、私の中で大きな決断の時がやってきた。

人生一度きりだからやりたい事しかやらない…と。

その日以来、腹をくくった。

言葉にするとこんなにも簡単なことだし今ではそれが当たり前になっているのだけれど、最初の頃はそういった思いを実行するのが難しかった。
決断してみてまず、私は何に興味があるのかと自分をひも解いていった。
子供の頃から本を読むのが苦手で、まともに本を読むことが出来なかったが、唯一愛読していた本があった。それが「サバイバル読本」という本だ。
私はサバイバルに強い関心がある ということにたどり着いた。

丁度そのタイミングで西表という島のことを知った。島の半分しか道がなく、その殆どが手つかずのジャングルだ。「いりおもて」という名前の響きにも強く引き付けられた。そしてその時何を思ったのか突然ターザンになりたいと本気で思ってしまったのだった。
この時、会社に長期休暇をとって「しばらくターザンを試す」という選択肢ももちろんあったのだが、それだと今までと何も変わらないような気がして、馬鹿な選択かもしれないが全てを捨てて臨みたかった。
そして安定していた生活を捨てて不安定だが自由気ままな人生を選択することになる。
だがこの頃は、夢と希望というよりも殆ど不安しかなかったので、色々な人に俺はターザンになるんだと言って歩き、後には引けないように自分を追い込む「有言実行作戦」をしたのをよく覚えている。

ただチャレンジしてみたかった。小心者の自分を変えたかった。笑って死ねる人生にしたかった。
様々な事を考え、思い悩む中で一つだけ確信していたことがある。
「今やらなければ後悔する」ということだった。
もしターザンをやらずにサラリーマンを続けていて、いつか旅する若者に出逢った時、自分をごまかし続けることが出来るだろうか。結局自分をごまかすのがイヤだった。建前や見栄で自分の心を抑え込む事ができなかった。そういう気持ちに気付いてしまったら、もう後戻りはできない。何一つまともに出来ないくせに、それでも自分にしかできない生き方に憧れていたのだと思う。

西表の一番端っこに南風見田という浜がある。ここは昔マラリアが原因で廃村になった場所で、ジャングルに分け入ると今でも当時の石垣などが少し残っている。そこから海岸沿いに、さらに奥へ行った所に川をみつけ その周辺のジャングルを少し切り開いて、私はそこに住み着くことにした。
島での生活は、それは楽しくて、モリや釣りざお、ルアー、ビーチサンダルなど、生活に必要なものはたいがい海岸に流れ着いているのでそれを直して使っていた。水は、川の水をわかして飲んだ。
貝や魚、あとジャングルに入ればパパイヤがとれるのでそういったものを食べていた。
ある晩、もの凄い雷雨にさらされた。土砂降りの中、テントからはい出し、木に吊るしてある鍋など金属製のものを急いで砂に埋め、またテントへ潜り込んだ。かみなりの音と光の間隔がだんだん狭くなっていく。気が付けばかなり近くにバンバン落ちているのを感じる。恐ろしい体験だった。朝起きて生きていることを強く実感した。
島での生活は、何もないけれど、何でもある。時間はたっぷりあるが、あっという間に過ぎていく。五感と肉体をフルに使う生活だった。充実した日々、今思えば、覚醒した感じだった。
ところがその中で、冷たいアイスを食べたいという強い衝動に駆られる事があった。往復8時間も歩いて、島の商店までアイスを買いに行く自分自身に直面した。このとき「自分は現代人なんだ」という事を根底から気付かされた。
結局四か月程生活したが、文明の力を知ってしまった私は、私の人生においてかなり大きな挫折を経験した。

「ターザン挫折」。

ただ、挫折感もあったし、かなりのモノを犠牲にしたけれど、得たものは計り知れない。
なにより以前、いつも付きまとっていた心の中のくすぶりは完全に消え心は満たされていた。
毎日毎日、心の底からドキドキして腹の底から楽しくて。不安も寂しさもあるけれど 気が付けば、それすら楽しめるようになっていた。
思い切って飛びだし、身をもって感じることでそのきっかけを手に入れたのだ。

ターザンをあきらめた私は西表を後にした。

〜放浪時代へ続く〜

TOP写真は【釘ノ音器】です。


やりたいことしかやらないと決めた日から1 序章 少年時代
やりたいことしかやらないと決めた日から2 青年時代 社会と私
やりたいことしかやらないと決めた日から3 放浪時代
やりたいことしかやらないと決めた日から4 ジャムバンド時代
やりたいことしかやらないと決めた日から5 アートと出逢う

白砂勝敏展一始まりの痕跡一@小松庵総本家 銀座

この度、小松庵総本家 銀座にて展覧会を開催させていただくことになりました。
今回は陶器、油彩、銅版画等を展示します。
お食事をしながら作品を閲覧していただけましたら幸いです。

こちらでは[森の時間]平日16:00〜17:00(土日・祝日を除く)
展示してある作品をじっくりご鑑賞いただける、ギャラリー・タイムがございます(入場無料)。
※この時間はお食事の提供をしておりません。

期間中8月4日にオープニングパーティーと9月1日にライブがございます(入場無料)。
お時間ご都合つきましたら是非お出かけください。
よろしくお願いいたします。

[ 白砂勝敏展一始まりの痕跡一 ]
日時:2025年8月4日〜10月5日
   11:00〜22:00(L.O. 21:00)
場所:小松庵総本家 銀座
   東京都中央区銀座5-7-6 i liv 14F
   Tel.03-6264-5109
   11:00〜22:00(L.O. 21:00)不定休
   ※展示期間、営業時間等変更となる場合がありますのでお問合せ下さい。
   オフィシャルサイト

[ オープニング・パーティー ]
2025年8月4日(月) 16:00〜17:00
ムビラ・ディジュリドゥの演奏

[ ワークショップ・ライブ ]
2025年9月1日(月) 16:00〜17:00
自作の白砂式音器の演奏+詩の朗読等
出演:白砂勝敏(演奏)Kumi(読)

[ 森の時間 ]
平日16:00〜17:00(土日・祝日を除く)
展示してある作品をじっくりご鑑賞いただける、ギャラリー・タイムです(入場無料)。
※この時間はお食事の提供をしておりません。

Directed by 風戸重利
KOMATSUAN GINZAXTOKYO SOBA 小松庵総本家 銀座

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白砂勝敏(Shirasuna Katsutoshi)

静岡県出身、造形家/演奏家。
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美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。

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