2024/08/16
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
私は若いころギターを背負ってバイクに乗って旅をしてみたことがあった。知らない街の路上や気持ちがいい場所を見つけて野宿するのだが夜一人でポロポロ弾き語っていた。そんな風に書くとかっこいいのだが、実際は少し覚えているコードをジャコジャコ弾き鳴らしている程度なのだが、それでもなんか楽しかったように記憶している。当然作曲しようと試みたりもした。ただやればやるほど自分には言いたいことがないという事に気付くことになった。あまり何かを人に伝えたいと思う気持ちが薄いのだと今ならわかるのだが、その当時は言いたいことはあまりないのだと妙に納得してしまい思考停止してしまっていた。その後何年かがたちアートと出逢い作品制作をする中でこんなにも自分の中に自分なりの思考や思っていることがあるのだなぁと気づくことになる。そうなって初めてわかるのだが、私は人に何か伝えたいのではなく、作品を創ることによって日々感じていることや思い描いていることを現わしているだけなのだと。だから曲を作るにおいても私の思っていることをさらけ出せばいいのだと。
そのことに気が付くまでに四半世紀を費やした。ただそのことに気が付いてからはとてもスッキリしている。また伝えることより伝わることの偉大さも感じるようになった。
いくら伝えようと一生懸命になってもかえって伝わらなかったり。逆に別に誰かに聞いてほしいわけでもなく、自分の思いをただ吐き出しただけなのに、なぜかそれを見た人に、すとんと落とし込まれたように伝わってしまうことがあったりするものだ。そういった言葉にならない感覚みたいなものが、表現の面白い所でもあるし難しい所でもあるのかなぁ。
作品を見て声をかけてくれる人がいる。どこかで共感してくれる人がいる。そうやって集まってくれる人たちは少なからず近い感性を持っているのでお互いが共感することが多い。そういったことも表現の面白さの一つなのだろう。
人は影響しあって生きているものだから、少なからず自由に生きる私を見て勇気づけられる人がいるようだ。それは私にとってはとても嬉しいことであり、逆に私の方も勇気づけられる。ただ振り返ってみると10代はもとより20代30代とずいぶん変人扱いされていたし社会と自分の生き方にズレを感じることが多かった。ただ私の場合それがさほどいやではなく、まぁ自分は自分だからそれでもかまわないと思っていたので、そのことで極限まで追いつめられることはなかったのは幸いだったと思う。それでもどこへ行っても何をしていてもアウェイ感はあったなぁ。
昨今、若者に私の話を聞くものがチラホラ現れる。私は誰かに何かを伝えるより、先輩たちや大自然から学びたいという気持ちが強かったし、私なんかが何かを伝えること自体がおこがましいのではないかとも思っていた。でも気が付けば私も50歳を超えて、生い先が短くなってきたことを感じるようになってきて、もし私のような考えが若者の人生の参考になるのなら惜しみなく伝えることもありなのかもしれないと思うようになってきた。
これまでも私は人生の先輩や色々な方に要所要所で助けられて生きてきた。そしてそれは別の困っている人に出逢った時恩返しする恩送りという感覚は若いときから結構意識して生きてきたが、そこに更に経験を伝えるという事が加わっていくのかなぁ。もちろんそれは誰にでもというわけではないので、あくまで必要として求められたらという事なのだが。
年を重ねるという事と経験を積むという事の意味みたいなものを考えざる得ない年になったことを嘆くというか憂うというのかちょっと複雑な心境である。でも生きていればみんな通る道なのかなぁ。 おしまい。
写真は「うまれたての龍」(油彩)を額装したものです。
静岡県出身、造形家/演奏家。
農業高校造園科卒業、美術音楽共に独学。
美術家、演奏家、パーカッション、ディジュリドゥ、ムビラ奏者。
20代前半人...
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